「準備」すら最高のコンテンツにするのがプロの力
プロである以上、常に完璧な姿を見せなければならない──。
それが一般的な「プロ」のイメージである。
実際、私もよくプロ野球選手の姿に感銘を受けている。
甲子園では負けて泣いていたような子も、プロとしてマウンドに立てばどんなに悲惨な負け方をしていても落ち込んだ顔を見せるわけにはいかない。
たとえプライベートで嫌なことがあっても、バッターボックスに立つ以上は結果を残さなければならない。
私たちの目の前に映る彼らは、いつだって仕上がった姿である。
しかしプロ野球ファンの1年は、春季キャンプという「準備」から始まる。
試合という本番ではなく、練習という「準備」を観るために私たちは沖縄や宮崎といったどの本拠地からも離れた場所にわざわざ足を運ぶ。
今年もうきうきしながら春季キャンプ行きの準備をしていて、そのことにふと気づいた。
私たちは完璧な姿だけをみたいのではない。
準備すらもまた、ひとつのコンテンツなのだと。
これはスポーツに限らず、あらゆる分野に共通したことではないかと思う。
映画や舞台もの舞台裏や制作秘話が人気なのも同じ理由なのかもしれない。
そして準備中のエピソードを知っているからこそ、本番の楽しみがより深くなる面もあるような気がする。
私は投げ込みやスイングをみたくらいで今年の調子がどうかなんてわからないけれど、実際に足を運べばなんとなく「今年は調子よさそうだな」なんて偉そうに感じたりもする。
その姿をみていればこそ、本番がはじまったときに厚みをもって応援することもできる。
私たちはもしかして、もっと好きになるための理由を探しにまだ不完全な「準備」の姿を見に行くのかもしれない。
ただキャンプという準備期間は、決してレベルが低いわけでも手を抜いているわけでもない。
調整期間なので本気で投げ込みをしたり試合のようなフルスイングをしたりすることはないけれど、開幕直前のこの時期、スタメンやベンチ入りを狙う彼らの目は本気そのものだ。
インターネットが発達した結果として誰もが簡単に完成作品もその裏側も見せられるようになったけれど、裏側を見せることとレベルが低いものを見せることは違う。
プロは準備すらもコンテンツとして楽しませるからこそプロなのだ。
キャンプは選手との距離が近いのも人気の理由だけれども、私は3ヶ月ちょっとの間見られなかったプロの姿を久しぶりに見られることに、毎年感動してしまう。
プロの球は速いし、体は軽やかに動くし、打てばものすごく遠くまで飛ぶ。
そこに手抜きや妥協はないからこそ、本番とはまた違うエンターテイメント性があるのではないかと思うのだ。
準備すら最高のコンテンツにしてしまうプロの力を感じながら。
今年も球音を聞きに、私は彼らに会いにいく。
▼「野球を語る」をテーマにしたサークルもやっています。
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