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踏み出すために必要なのは、「知ること」だったりする

ネット上でよく「タラレバ娘がリアルすぎて怖い!」という発言を目にするのですが、まわりに既婚者が増えフリーの友人がほぼいなくなったこともあってか、私のまわりではあまり「怖い」という文脈では語られていない気がします。

私自身も面白いと思いこそすれ「怖い」と感じたことがなく、この世の中とのズレは何なのだろうと常々疑問に思ってきました。

そこでふと気付いたのが「私は "知っている"から怖くないのだ」ということ。

もともと百貨店で働いていたので、一般的な会社よりも40、50代の未婚女性を目にする機会も多かったように思います。

だからこそ私は40、50代で未婚だとどうなるのかを "知っている"。

もちろん全員がバリバリ働いてそれが幸せだと思って今の人生に満足している人ばかりではなく、やっぱり結婚したい!と婚活を続けている人もいますし、この先どうしようと暗い話題になることもあります。

でもそれは既婚者だって同じことで、結婚したら結婚したなりの悩みがでてくるのだし、子供の有無も同様です。

ただ、40、50代で未婚だと24時間365日不幸かというとそんなこともなく、みんなカラッとして面白いお姉さま方ばかり。

「買って失敗することでしかセンスは磨かれないのよ!」
と教えてくれた諸先輩方のことはいまだに尊敬しています。

未婚のままの未来に抱く不安って、けっこう漠然としている気がします。

毎日が灰色で、ずっと後悔していて、最後は孤独死する未来。

でも実際には当たり前のように日常の喜怒哀楽があって、楽しい時間と悲しい時間の配分は今と案外変わらなかったりする。

そしてふとした瞬間に不安になったり何かを後悔したりするのは、どんな道を選ぼうと同じことです。

結婚したくなったらするし、したくないうちはしない。

そういうシンプルな考え方で過ごせるようになったのは、あの当時いろんな大人を見てきたからだなと改めて思います。

これを腹落ちさせるためには「知る」ことしかないんですよね。

そして実際に知ってみると「なーんだ、こんなことに怯えていたのか」と思うもので。

怖くて飛び降りる覚悟ができないとき、その段差はきっとあなたが思っているより小さい。

だからこそ人に会うとか本を読むとかどこかにでかけるとか、新しい世界を知ることで「なーんだ」と自分が怯えていたものの小ささを感じて一歩を踏み出すことができる。

人を動かすのは決意とか覚悟なんてだいそれたことではなくて、正しくその段差を見極めることなんじゃないかなあと思うここ最近です。

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(Photo by tomoko morishige)

私のnoteの表紙画像について書いた記事はこちら。

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