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「賞」の意義

私が映画「ドライブ・マイ・カー」を鑑賞したのは、巷で話題になるずっと前のことだった。慌てて見に行かなければならなかったほど上映期間は短かったし、このご時世とはいえ客の入りもまばらだった頃。魂が揺さぶられるほどの感動を分かち合える相手はほとんどいなかった。

作品の要素をエンタメ性と芸術性に二分するならば、圧倒的に芸術性の比重が高い映画である。勧善懲悪や少女漫画的ラブストーリーのようなわかりやすいプロットでもないし、作品の端々にでてくる戯曲や文学作品にアレルギーを起こさないだけの教養という名の基礎体力も必要だ。しみじみと沁みとおるような感動を言語化するのは至難の業で、人におすすめをするハードルも高い。

いい作品であることと売れることはまた別の話で、「難しくて美しいもの」はマス化しづらい。

けれど、がアカデミー賞にノミネートされたことで「ドライブ・マイ・カー」への注目度は急激に上がった。あらゆる映画館で上映されるようになり、メディアで取り上げられる機会が増え、上映期間も大幅に延びた。

ほんの一ヶ月前までマイナー色が強かった映画が、一気にメジャーの舞台に引き上げられる。これが「賞」の持つ力なのか、とその意義に思いを馳せずにはいられなかった。

人は、人気があるものに吸い寄せられる性質がある。行列は行列を生み、混雑が混雑を呼ぶ。そのティッピングポイントを超えるには最大公約数に届くだけのわかりやすさ、キャッチーさが不可欠だ。自然発生的に人気がでるものは、「おいしい」「かわいい」など同じ価値観を共有するためのハードルが低いものが多い。

その均衡を崩すひとつの手法が、「賞」によってわかりやすさを付加することなのではないかと思う。中身は複雑で難解でも、賞の権威と認知度の高さは「わかりやすい」価値である。
ノーベル賞を授与された研究内容を理解できなくても、その凄さは広く一般に認知されているゆえに私たちは価値を理解することができる。専門家ではない、その分野に興味すらない人たちにもその価値を伝え、話題をうみ、吸い寄せられる人の絶対数を増やすこともまた「賞」の存在意義のひとつであるように思われる。

民意の反映であり実際に利益を生み出している「人気」や「売上ランキング」も質や価値を評価する基準となる。個々人が身銭を切ってでも手に入れたい、体験したいと行動変容を起こした総数が示すパワーは計り知れないものがある。

けれど、「難しくて美しいもの」はどうしてもそのランキングからこぼれ落ちてしまいがちだ。だからこそ人気や売上とは別の軸で評価し、興味をもつきっかけを作る必要がある。

売れるものがいいものだ、という主張にも一理ある。その一方で、現代の消費社会は「いいもの」が評価の土台にすら立てない歪みも内包している。その歪みを補正し、評価の機会を作る役割を「賞」が担っているのではないか、と思うのである。


▼「ドライブ・マイ・カー」観賞後に書いたnote。作品の感想というより個人的なエッセイです。


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