大学で一番力をいれるべきなのは「勉強」である
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大学で一番力をいれるべきなのは「勉強」である

大学は勉強をする場所である。当たり前すぎるほど当たり前のことだが、私は一に遊び二にバイト、単位なにそれおいしいの?いう調子で大学生活を送った元気な不良大学生であった。そもそも田舎の高校生だった私は受験の時点で「学位」の概念を持ち合わせておらず、偏差値と照らし合わせて入学できるかどうかで大学を選んだと言っても過言ではない。
大学で勉強する意味もよく理解していなかったし、大卒の資格を得ることによって就職の幅が広がることと4年間の自由な時間が買えるくらいにしか思っていなかった。大学をナメすぎである。

そんな調子で大学生になったので、学校でいい成績をとろうとか何かを極めようという志も皆無だった。昔から本は好きだったので教科書を読むことに抵抗はなかったが、「就職のために」とよこしまな気持ちで選んだコースに愛着はなく、どの授業も退屈で苦痛だったことしか覚えていない。

自分がどんな成績をとっていたかもはやまったく思い出せないが、単位さえ取れればいいと思っていたので「優」は少なかったはずだし、卒論も「とりあえず2万字書けばどうにかなる」の精神で書いたので文章もはちゃめちゃだった。今振り返ってみても、よくストレートで卒業できたものだと思う(ゼミの同期から「え、今年卒業するつもりあったんだ!」と驚かれたレベル)。

とはいえ、実際問題として日本で就職する分には大学の成績はほとんど意味がない。海外では取得学位や成績スコアも見られることがあるが、日本の就活において学位と志望職種が違っていても突っ込まれることは少ないし、成績が話題になることなど皆無といっても過言ではない。

私も大学を卒業して10年近く経つが、大学の成績が仕事に支障をきたしたことはない。日本にいるかぎりは、大学に入るための受験さえがんばればそのあとの苦労はほとんどないといってもいい(文系の場合に限る)。

しかし、30歳を超えたあたりから

これ、大学で勉強しておくべきことだったのでは?

と感じることが増えた。

たとえば、論理的に自分の考えを組み立てる力や健全に批判しあう姿勢。自ら設定した課題に対して科学的にアプローチし、結論づける方法。

組織の手足となってがむしゃらに働く若手時代を終えて中堅に差し掛かると、自ら考え解決する力が求められる。しかもベテランほど業務経験が蓄積されているわけではないため、中堅ほど課題設定・調査検証・結論の文章化の精度を上げていかなければならない。

そしてこの課題設定・調査検証・結論の文章化のサイクルは、本来大学生活で身に付けるべき能力であり、特に卒業論文の執筆は自ら設定した課題に対して調査し、期限内に自分なりの結論を出す絶好の練習機会である。この経験を通して、論文として成立する課題の粒度や信頼できる出典にあたるための検索リテラシー、2万字の文章を破綻なく構成するための抽象化能力などを養うことで得られるのが「大卒」の称号である。

大学時代の私は、社会に出て働くとは上司から与えられた問題を素早く解くことだと思っていた。しかし実際に与えられる課題は非常に漠然としており、最終ゴールを達成するためのマイルストーンとしての課題設定は自ら行う必要がある。「世界から戦争をなくしたい」と言われても簡単には達成できないように、「Aの売上を増やせ」という課題もより細かい粒度で課題を設定し、もっとも効果的なポイントに絞って実行するための仮説を立てなければならない。

さらに世の中は有象無象の情報で溢れており、SNSの台頭もあいまって、フェイクニュースやフィルターバブルの問題を含め、情報取得のリテラシーが求められる時代になっている。何が信用に足るソースとなり得るのか、どんな情報には気をつけなければならないのか、その取捨選択のセンスもまた、大学時代に文献にあたることで磨くべき能力であるように思う。

「結論の文章化」も実は中堅以上になってから大きく差がでる部分である。人を動かすには全員が納得できるように理論立てて説明する必要があり、情報を集めるだけでなく抽象化してひとつの解を示す必要がある。情報収集までは社会人になってからも若手の期間に訓練を積むことができるが、「その情報をもとにどう考えたか」こそが知的生産を行う人間の価値である。
抽象化の訓練に根気よく付き合ってもらえるのは学生のうちまでで、社会に出たあとは「考えられる人」に仕事が回っていくだけだ。残酷だが、お金をもらうということは自分自身が淘汰の波にさらされるということでもある。

同年代と話していると、「大学院に入りなおしたい」という声をよく聞く。私自身も現在真剣に進学を検討している。
その背景には、上記で示したような中堅として必要とされる基礎能力を改めて大学で学び直したい気持ちがあるように思う。特に日本の場合は大学時代の専攻と現在の職業がリンクしていない人も多く、今の職業分野について改めて深めたい人も多いはずだ。

しかしここでひとつ落とし穴がある。大学院によっては、大学時代の成績や専攻でふるい落とされる可能性があるのだ。

特に海外の大学院は大学時代にしっかり勉強をしてきたからこそ卒業できたという認識が前提にあるため、足切りとなる成績が厳しいところも多い。また国内外問わず大学で研究をするためには前提となる専門知識が求められるため、大学での専攻が異なる場合入学できない場合もある。大人になってから学び直そうとしてはじめて、大学時代の成績や専攻によって選択肢が狭まることに気づくのである。

もちろん大学時代に一生懸命に勉強していても社会に出てから興味のある分野が変わることはあるし、これまでのキャリアの延長線上にはない学びに挑戦しやすくする環境も必要である。外国人と話していると大学の専攻選びによってその後のキャリアがある程度固まってしまう社会がはたして幸福と言えるだろうかという問いもある。

ただ前述の「課題設定・調査検証・結論の文章化」は汎用性の高い能力であり、大学時代に身に付けておけば社会人になってから自分で考えるサイクルを回し続けることができる。自分で考えて調べ、抽象化して結論づける能力があれば、改めて大学院で時間をとらずとも在野で研究し、それを仕事に生かすこともできるはずだ。

一番危険なのは優秀な手足となって満足することであり、自ら考えることなく目の前の仕事を早く回すことは知的生産とは別の能力である。大学時代にインターンとは名ばかりの雑用仕事に追われ、本来大学で身に付けるべき知的生産の訓練を疎かにしたまま社会に出ると中堅に差し掛かったあたりで伸び悩むのは、私自身が経験として痛感していることでもある。

高校生時代に、先生からもらったアドバイスをことあるごとに思い出す。

「大学生活は、勉強・バイト・サークルの3つのうち2つを選ぶことになる。そして大抵の大学生がバイトとサークルを選ぶ」。

若者でいられる時間は一瞬だし、学費も生活費も交際費もなにかとお金がかかるし、私が大学生に戻ったとしてもまた勉強を疎かにする可能性もある。

自分の経験からも、大学生に勉強だけしろというつもりはないけれど、大学だからこそ学べること、大学にいるうちに身につけるべきことを意識するだけでも、今やるべきことの優先順位が変わるのではないかと思っている。


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最所あさみ

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大吉!今日はとっても素敵な1日になるはず!
Retail Futurist .「知性ある消費を作る」をミッションに掲げています。プロ野球と食べものがすきです。noteの有料マガジン「余談的小売文化論」とコミュニティマガジン「消費文化総研」もよろしくどうぞ!