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「推し」が与える甘えの構造と、「人間的成熟のための消費について

土居健郎は、「『甘え』の構造」のなかで「日本人の決定的特徴は甘えにある」と説いた。

欧米が自他をはっきりと分けて自立を目指すのとは反対に、日本の場合は主客が一体化した曖昧な心地よさを優先させる。この理想の違いが、社会構造や生活文化の違いにも影響を与えているという。

たしかに「甘え」の観点から両者を比較すると、腑に落ちることも多い。個人的には、そのひとつが「推し」や「オタ活」といったコンテンツ消費のスタイルにあるのではないかと思う。

BTSがアメリカでも活躍するようになってから、韓国や日本をはじめとする東アジアのアイドルが世界(≒アメリカ)を目指すケースが増えた。はじめから英語圏を意識して全編英語の曲をつくるグループも少なくない。

東アジア文化圏においてアイドルや推しは巨額のお金が動く成長市場であり、この市場をアジア圏以外にも広げることで、第二のビートルズを生み出したいと考えるのは当然のことだ。

しかし、これだけ瞬時に情報が共有できるようになった現代においても、アジア圏以外で、同じようにアイドルへの熱狂が起きているエリアは生まれていない。もちろんアイドルにもアニメや漫画にも世界中に熱心なファンがいて、日本人と同じように熱狂している人はいるが、それは日本で洋楽やジャズに熱狂している人と同じような、メインストリームではないニッチな扱いのはずだ。

これは日本や韓国のコンテンツパワーの問題ではなく、受け手側にアイドル(偶像)に熱狂し、一体化することを肯定する素地があるかどうかの違いではないかと私は思う。

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思索綴

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