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余剰の余韻

エンドロールを見ながら映画の余韻に浸っていたら、唐突に「次のおすすめはコレ!」と賑やかな予告映像が流れてきて心底驚いた。そして、Netflixはこの仕様をよしとする判断を下したのか、と小さく失望した。

大半のユーザーはきっと、エンドロールに入ったら満足してアプリを閉じてしまうものなのだろう。かくいう私だって、Netflixがもともとこんな仕様だったかどうかわからないくらい、エンドロールの記憶は薄い。数値を分析した結果、最後まで流すよりも次の作品に切り替えた方がより多くの作品を見てもらえる可能性が高まり、継続してもらえるという結論が出たのであれば文句のつけようもない。それが私たちの「総意」なのだから。

私はこの仕様に気付いたからと言ってNetflixに「仕様を変えろ」と主張するつもりはないし、代わりに他のサービスを使うような不買行動をとろうとも思わない。Netflixは便利だし、オリジナル作品は面白い。彼らが日々データと向き合って改善して作り上げたお金で、励まされたり人生を変えられたりした人がいる。その功績と「映画への愛はないのか」と落胆する勝手な気持ちを、同じ土俵の上に乗せるのはなんだか違うような気がしている。芸術作品としての映画を愛しているからといって、Netflixのようにいつでも手軽に映画をみられるサービスを作れるわけではない。愛していれば発展に貢献できるわけじゃないし、「愛しているならこうするはずだ」と人に押し付けることもできない。

ただ、私はNetflixと映画愛を語ることはないだろうと思った。彼らも別にそんなことは望んでいないだろう。便利な世の中に生まれてよかった、それだけのこと。

いつかDVDというものが廃れて配信に置き換わり、映画館も数を減らして貴重なものになってしまったら、私はどうやってエンドロールを見るのだろう。大半の人が「余剰」と切り捨てたものに「余韻」を見出してきた人たちは、どこにいくのだろう。

エンドロールを遮って始まった別の作品が画面から放つ光だけが、私の顔を照らしていた。

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