なぜ私は、その人生を選ばなかったのか
夜、ベッドに入ってから寝るまでの数十分。
どれだけ慌ただしい日々の中でも、睡眠時間が足りていない時期でも、本に手を伸ばさなかった日はない。
ただ知識欲を満たすための読書ができる時間。
それ以上に幸せな時間を、私は知らない。
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ふと、「なぜ私は今、この人生を選んだのだろう」と思うことがある。
自分の幸せな「状態」だけを突き詰めれば、地元で公務員になって、それこそ司書や図書館の先生として安定した職場で、本に囲まれて好きなだけ好きな本を読んで生きていくこともできたかもしれない。
やろうと思えばできた生き方なのに、なぜそうしなかったのだろうか、と。
むしろ今の生活は、理想とする「状態」からは少し遠い。
私にとって、本を読む時間がとれないことと、寝不足の頭で書かれている内容が理解できないことほど辛いことはない。
世界中に散りばめられた真理のかけらに気づく瞬間が、一番「生きている」と感じるときでもある。
だから、もっと本をゆっくり時間がほしい、といつも思っている。
実際、いつか隠居するなら静かな場所で延々読書をして、気づいたことをつらつらと書き留めながら生活するのがひとつの夢だ。
でも、その生活は別に今すぐにだって実現できることなのだ。
今もっているものを、すべて捨ててさえしまえば。
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もしパラレルワールドというものがあるとしたら、別の道を歩んだ私は今ごろ幸せにやっているだろうか。
幸せな「状態」を手に入れるための道を選んでいたとしても、その先の「実在したかもしれない私」が幸せに暮らしているイメージはうまくできない。
あのとき両親の言うことを聞いていたら、
あのときあの人を選んでいたら、
あのとき我慢していたら…
どれもそっちの道の方が正しかったような気もする一方で、いまいち幸せになっているイメージがわかなかったりもする。
きっと私は、「これを手に入れたい」という強い気持ちを燃料に生きていて、幸福な状態に満たされてしまったら、私にとってはきっと不幸なのだと思う。
つまり、私が十分満足できるだけの読書時間を確保できる日は、永遠にこないのかもしれない。
でもそれこそが、今の人生を選んだ理由であり、これが私にとって一番幸せな「状態」なのだ。
世界の心理の断片に、ひとつでも多く触れたい。
読書がそのための一番の近道だと思ってきたけれど、実は人生の中で足掻きつづける方が、よっぽど面白いのかもしれない。
だから私はきっと、こっちの道を選んだのだ。
人生は、飽きることのない探求の道である。
いつか棺の蓋が閉じられる、その日まで。
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