お盆の思い出

子供の頃、母の実家の方にいた事から、お盆になると、いつもは東京に住んでいる伯父さん夫婦と年上のいとこが、塩尻市にあるお墓参りに来るのが、毎年の恒例だった。

東京からくる伯父たちは、いつも洒落た都会のお菓子をお土産として持ってきてくれた。
今では案外ズーパーのお土産コーナーとかで買えたりする物だと思うが、50年ほど前の話なので、その物たちは本当に年に一度口にすることができる様なものだった。

一人っ子の自分は、家にいとこの兄姉が来るのが本当に楽しみだった。ただ年は少し離れていた為に、すごく親しくできたかと言われたら、あまり覚えていないのが真実である。

また、その頃は信州の夏休みはお盆と共に終わる様な状況だったので、時に学校から帰ってくると、伯父達がきて、お墓参りをして次の目的地に行ってしまった後ということも、多かった。
なにしろ東京の初休みは8月末まであるのて、こちらに来れる都合に合わせてくるので、会えない時もあり、お土産とお茶を飲んでいった後が、茶の間にあるという、淋しい思い出が残っている。

また、おやじはお盆も仕事だったはずなので、何か家にいたという記憶があまりない。家にいるときは、甲子園のテレビをずっと見ていて、何もしなかった思い出しか無い。

さて、それから50年ほどの今は、お盆にやるべきことをやる様になった。

お盆になれば、父と母だけが一緒にいる塩尻市の霊園に迎えに行ってくる。
諸般の事情により、代々のお墓には入れていない二人にとっては、霊園の区画に石塔を建てることができたので、こうしてお墓に行くことができる。
いずれは自分が入ることになるであろう墓があることは、かなり幸せなことなのかもしれない。

そして、昔、おやじがずっと高校科野球を見ていたのが嫌だったはずなのに、お盆にお休みをいただき、やるべきことをやった後は、同じ様に高校野球を眺めている、おやじと同じような生活を送っている自分がいる。

特に誰かがきて、賑やかになることは特にはないので、普通にしていれば何も変わらない。
少し前まではお盆と言っても、特に何かやることがあるわけでもないので、うまくやりくりして、お盆は休まずに仕事に出ていて、他の人が休みをとるのを優先していたが、やはり年齢に合わせて、やるべきことも少しは変わるので、お盆が休めるようなら、休みを取らせてもらおうと思っている。
(お盆休みというものはないので、慣れてしまったが、夏休みとかお盆休みとかは、身体のメンテナンスには必要なものだという感じがする)
もちろん、信州の夏は、都会の夏に比べるとかなり過ごしやすいのではあるが。

なぜかふと昔のお盆のことを思い出したので、こうしてメモってみた次第。

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