生身
お米が炊けるまでに日記を書く。あと32分。
何度目かのアラームで、渋々9時に起きた。汗ばんでいて不快だった。カロリーメイトを1箱とホットコーヒーを一杯摂取した。
ノーメイク、きわめてシンプルな格好でインターンに行った。頼まれた作業が最後に間に合わなかったので、かなり迷惑をかけてしまったと思う。さらに気分が落ち込んだ。
一旦帰宅して、フェイスパウダーと暗めのアイシャドウを顔にのせた。
京都シネマに行った。上映2分前に『ナミビアの砂漠』のチケットを買って、すわった。
主人公カナの魅力がすごかった。それに尽きる。ああなりたくはないけれど、もし周りにいたら羨望を込めて目で追ってしまうと思った。
カナが年齢不相応に感情を発露させる、痛々しい場面がたびたびあった。その感情をぶつけられた相手は否応なしに心をかき乱される。やさしいままでいることはできず、罵倒したり暴力で対抗したりしてしまうので、その一瞬は嘘やごまかしが取っ払われる気がする。
生身のからだを全力で刺し合うような関係。
あとは、他者をひきつける魅力は自己愛からくるのかなと考えた。
外に出ると道路が艶めいていて、雨上がりだとわかった。イヤフォンをつけたけれど、感傷が侵されないように詞のない曲をあつめたプレイリストを再生した。
私は映画鑑賞後、作品の世界観や主人公の性格に自分をひたひたにさせる。今日は、カナみたく無気力かつ退廃的、斜に構えたような気分で歩き続けた。うつむき、ふらふらと、楽しくなさそうに。
かけていた眼鏡を外した。一気に世界がぼやけ、信号や車のライトがわざとそう撮ったMVのように目に映った。
1年ほど前に気づいたことだが、人目を気にせず歩くには自分の視力を落とすことが有効である。見られていると感じるのは自分が見ているからだ。
若い金髪ボブの人が近づいてきた。話しかけられる直前、あ、美容院のカットモデル勧誘や、と思った。カラーモデル勧誘だった。
帰路、以前の日記には書かなかった友人との会話を急に思い出した。私はいろいろと日記にしてしまい、そこに書いたことは見返せばよみがえるけれど、書かなかった思い出は自然と薄れてしまうだろうと思った。書いたことだけしか残らないのは、過去の一日を捏造しているのと同義な気がする。
いや、そもそも記憶は捏造だらけか。
What a fuckと言いながら自転車で通り過ぎる人がいた。
実は、お米はとっくに炊けている。保温から22分、今。待ち時間は文章で埋められると知った。
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