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インスタからの逃避

私はインスタのアカウントを持っていない。
以前は作ったこともあったのだが、それもごく親しい友達10人ほどと繋がっているくらいの規模しかなく、ほとんど見る専だった。そして今年に入ってからは本格的にインスタから距離を置いた。

インスタをはじめとするSNSは、私にとって堕落と紙一重の恐怖の存在だ。嫌いというわけではない。インスタのアプリを入れていたときはむしろ、暇があれば画面を開いて延々とスクロールをしていた。

余談だが、私は通知を溜めておくことができない。ラインも大学からのメールも、届いたらすぐに気がついて確認する。画面が整理されていない状態が嫌いなので、基本的に1時間以上未読をすることはないのだ。noteも、自分の記事へのスキやフォローの通知は秒で見るし、フォローしている方の新着記事も同様である。フォロワーの方々には早すぎるとさぞ気味悪がられていることだろう。
ただ恋人からのラインは例外で、まるでショートケーキの苺のようにある程度残しておくことができる。(思えば赤のバッジは苺に見えなくもない。)

話が逸れてしまったけれど、これらからわかるように私はSNSに依存しやすい質なのである。

インスタをやっていたとき、当時好きだった人の過去の投稿は遡ってほぼすべて把握するくらいになっていたし、捨て垢を作ってこっそりストーリーを見たりもしていた。良く言えば好奇心旺盛だが、ストレートに言えばネトスト気質があるということに他ならない。
それでひとり勝手に落ち込んでいた過去の自分は救いようのない恥ずかしいものである。

インスタをやめてから、そうしたことはめっきり減った。ブラウザでインスタを見たとしても、ストーリーの閲覧は制限されているし、少し時間が経つと、アプリを入れましょうというわずらわしい警告?があらわれるので断念するしかなくなるのだ。(これは、ログインしないとまったく投稿を見ることのできないXの方がより顕著である。)

そもそも、インスタからわかるその人の生活や人間性は本来のものではない。いわばぴかぴかした武装状態なのである。そのことを理解していなかった私は、対面した本人よりもインスタ内のその人へ恋心を抱いていたのではないか、と思わざるをえない時期があった。まさにインスタに毒されていたのだ。

だから私は、恋人のインスタのアカウントも知らないし、彼には隠しておいてくれと願う。もし知ったならば逐一アカウント名で検索をかけ、何もなくても疑心暗鬼になってしまうだろう。

インスタをしない弊害を挙げるなら、大学の同期との連絡先交換で気まずい思いをすることである。
たとえば、授業の情報を共有するために連絡先を交換しようと私が言うと、たいていこう返される。
「インスタやってる?」
「あ…ごめん、やってないからラインでいい?」
という具合である。他人とインスタで繋がりたくない人なのだと思われていても仕方がない。
まあしかし、その後はみんな快くラインを交換してくれるので、そこまで支障がないといえばそうである。

インスタにはもちろん、有益な情報もたくさんある。誰かの投稿から、素敵な場所や食べ物などを知って生活を豊かにすることだってできる。だから決してインスタが問題なのではなく、それを利用する側の問題である。私は向いていなかったというだけだ。

ネットリテラシーを我がものにしつつ、マイペースにインスタを楽しんでいる強者には尊敬の念しかない。


インスタっぽいサムネとともに。

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