暴力

早起きして予習をしようと思っていたのに、ギリギリの時刻に起きた。いつも通りだ。
友達にもらった、冷たいままのカスクートを食べてから、遅れ気味で大学へ向かった。自転車に乗っているあいだ、牧野ヨシのアルバムをひたすら聴いて、全曲好きだなと思った。

2限の映画学の講義では、ダグラス・サークの『心のともしび』を鑑賞した。街や服装はビビッドな色合いが多く、心が躍った。テクニカラーという技術が使われているらしい。

昼休みに慌ただしく予習をして臨んだ3限のドイツ語購読では、唯一のクラスメイトが休みだった。そのため厳しい先生の授業をマンツーマンで受けることになったのだけれど、もう慣れたので2人だろうが1人だろうが心理的負担は変わらなかった。

すべての講義を終えて家に帰り、夜ご飯を食べた。それから、Filmarksのトレンドに入っていて気になっていた『先生の白い嘘』を観に行った。性被害/加害問題を描いており、出演者の希望したインティマシー・コーディネーター(性的描写のある場面で俳優のケアと製作陣のサポートをする職)の起用を監督が断ったことで物議を醸している映画である。

無料公開されている原作漫画を読みつつ、行くかやめるかギリギリまで迷っていたので、家を出るのが遅くなった。加えて、映画館では何度試しても券売機で読み取られない千円札のせいで焦った。しかし13分ある予告編の上映中に、なんとか劇場に入れて本編に間に合った。

衝撃作と思っていただけに、映画の前半は割と淡々と進んでいて拍子抜けした。少々現実離れしている恋愛要素は必要か?と疑問を抱いたし、惹かれ合う2人の様子は都合が良いように思えて、あまり共感できなかった。
だが、ラブホのシーンから作品の印象は一変した。そこでの主人公の痛々しい顔や、その後の加害者の自殺未遂シーンを観たときは結構な苦痛で、文字通り胸が重苦しくなった。そして後半はずっと、性被害/加害問題を自分ごととして考えていた。

私は、これまでに何度か男性からの性的搾取を感じたことがあった。主人公のように暴力を振るわれた経験はないが、一歩間違えると危ない目に遭ったり、消えないトラウマを抱えたりしていた可能性は十分にある。過去を振り返り、もっと危機感を持つべきだったと怖くなった。同時に、このような性についての自分の文章も、誰かを傷つけてしまわないか気をつけて書かなければならないと思った。

ベッドシーンでは局部が徹底して隠されていた。R15+なのにがっかりした、というようなレビューもあったが、私はこれで良かったと思う。もし乳首が映されたとしたら、どうしても性的に興奮する人が出てきてしまう。結果的に、観客が性的搾取をする側になる気がするからだ。それでは映画のテーマからしても本末転倒である。

恋愛要素について、はじめは冷めた感情で見ていたけれど、一筋の希望になりうるのではないか、と考え直した。男性を全否定する主人公と、ミソジニスト(女性嫌悪・蔑視する人)の加害者男性という対立構造だけでは、男女間の分断意識がより強まってしまう。そうではなくて、恋愛関係にある男女が勇気を与え合ったり想い合ったりできる、と示されたことは救いだったのかもしれない。

もう一度観たいとは正直思わない。しかし、最近観たなかではもっとも心をかき乱された映画だった。

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