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映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

ドキュメンタリー映画「三島由紀夫が三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を見た所感です。

※作品の内容に関する記述があります。


作品内容についてはトレーラーに譲ります。

この映画のコンテンツの一つは、勿論討論それ自体です。
三島が決死の覚悟で趣く東大には、三島を「近代ゴリラ」「飼育料100円」などと揶揄する張り紙が貼られ、討論の場である900番教室は最初異常な緊張感に満ちています。しかし、敵であり20ほど年下である学生に対して、真摯かつユーモアに満ちた振る舞いで討論を重ねる三島に対し、全共闘側は理解を示し始めます。二者の間には奇妙な連帯意識が生まれ、最後には三島は共に戦ってほしいとまで言われます。この流れ自体一つのエンターテイメントとも言えるでしょう。
また、楯の会メンバーが語る三島由紀夫の人物像も面白いです。メンバーを繁華街に連れて行ってやり、学生が絶対縁のないような寿司を振る舞ってやるといった、論客としてではない「人間・三島由紀夫」が見えてきます。

しかし、現代作られたドキュメンタリー映画としての最大の注目点は、何より現在の元東大全共闘メンバーへのインタビューでしょう。討論の一年後に三島が割腹自殺し、その後東大全共闘ほぼ消滅。そして40年の時の中で日本が歩んだ道を経験した彼らが、今何を語るのか。あの短い、しかし濃厚な接点を、彼らはどう振り返っているのか。大掛かりな伏線の回収的な面白みがあります。

全共闘出演者の中でも重要な人物が、「全共闘C」こと芥正彦です。
実は、全共闘と三島の討論自体は元々ネットで有名な動画で、私は過去観たことがありました(今Youtube等を探しても見つかりませんでした。映画公開を受けて削除されたのかもしれません)。娘連れで参加し、飄々とした態度で三島に食って掛かる一方、ヤジに対して恫喝する芥氏はとても印象的であったため、記憶に残っていました。彼は寺山修司と演劇雑誌を発行し、アングラ演劇で活躍していた人物であり、同時に全共闘随一の論客、という人物であったようです。
先述のように、討論の中で三島と全共闘の間にはどこか共犯関係のような絆が生まれるのですが、解ってから見るとおそらくその萌芽は最初からあったように感じます。しかし三島に最も食って掛かり、「敗退者」と断じていた芥は、全共闘の「敵対」部分の象徴と言えます。プロデューサー刀根鉄太は、芥の出演が必須だと考えていたらしいです。

そして凄まじいことに、それは未だ健在でした。完全に当時のまま、むしろ飄々とした擬態が剥げ落ちたことで、むき出しの覇気を備えた老人になっています。芥氏は全共闘が敗退したことをどう総括するかという問いに対し、「君の国では敗退したのかもしれないが私の国では違う」と認めません。

その芥氏のインタビューの中に、私が最も重要だと思うシーンがありました。「三島と全共闘は、共通の敵と戦っていたのではないか。それは何か」と聞かれ、芥氏は「あいまいで猥褻な、この国」と答えます。抽象的観念論が多い芥氏ですが、この言葉は不自然なほどにはっきりと示されます。

40年の時を経て、この国の、そして世界の「空気」は大きく変容しました。当時の彼らの熱狂を、我々が感覚的に共有することは難しいのかもしれませんし、当時の熱狂を冷ややかに見る向きさえあるでしょう。ですが、この「あいまいで猥褻な、この国」という言葉を、「ありもしない敵」と思う日本人がいるでしょうか。
この作品が今の我々に訴えるものがあるとすれば、熟議の姿勢や当時の熱狂といった表面的なものだけではなく、三島と全共闘が共通の敵とした「あいまいで猥褻」さが、40年の時を経て、今どうなっているかという問であるように思います。

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