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トレイ・エドワード・シュルツ『WAVES/ウェイブス』

トレイ・エドワード・シュルツ監督『WAVES/ウェイブス』を観る。いきなり映画と全然関係ない話で恐縮だが、最近『男子劣化社会』という本を読んだ。地雷臭を感じさせるタイトルに反して中身はごく穏当で、ゲームやポルノが「男子」の心にどう作用し偽りのプライドを肥大させているかを分析した書物だった。巷では「温泉むすめ」に代表されるように「女性の性」がどのように安売りされているかが論議され、女性の生きづらさばかりが注目される印象を感じる。だが、『男子劣化社会』を読むとこの社会において男として生きていくこともまた至難の業なのだな、と思いもするのだった。

『WAVES/ウェイブス』 を観ていて、私はそんな「男はつらいよ」的な男性のマッチョイズムを引き受けて生きる人間の不幸を思ったのだった。この映画ではふたつの物語が記される。ある兄妹の話なのだけれど、前半ではレスリングの花形選手だったタイラーが肩の故障をきっかけに破滅していく姿が生々しく描かれる。後半ではその妹エミリーが兄の破滅を乗り越えてどう生き延び、そして明るい未来に向かって歩みだしていくかが綴られる。私が「男はつらいよ」と感じたのはあくまでタイラーのパートに寄りかかっての話になるので、その意味ではこの映画をフェアにエミリーの部分まで含めて考察したわけではない。そのあたり片手落ちかな、と思う。

だが、この映画のキモとなるのがそのタイラーのパートであると受け取ったのもまた正直なところである(という受け取り方しかできないのが私の限界なのかな、と皮肉抜きで思う)。この映画は古典的な完成度はそう高くない。なにが起こっており、それがなぜそうなるのかが台詞などで効果的に「説明」されないのだ。なぜタイラーは肩の故障を踏まえてもレスリングを続けるのか、これは多角的に描き得たものでありうまく語ればこのストーリーに膨らみが増したはずだ。辛酸を嘗めた父親が息子をスパルタ式に鍛えているその事情も、バリー・ジェンキンス『ムーンライト』的な父性愛として昇華できたのではないか?

そのあたりのことが明確に描かれないのはこの映画の欠点かなと思うのだが、しかしそれでいて強迫的に描かれるのがタイラーが「勝者」であり続けなければならないというプレッシャーだ。前述した父親からの厳しいスパルタ式の教育。そしてレスリング部のコーチからのしごき。そしてそれらを呑み込んでタイラー自身も自分自身を勝者にのし上がらせんと日々己を鍛える。このあたりのプレッシャーはそのまま、彼が聴く音楽のヒーローたちが謳うナルシシズム/自己愛たっぷりの音楽が表現する境地(「俺って素敵!」的な)を生きんとする姿勢と繋がると思ってしまう。

だから、そうした「俺って素敵!」的な姿勢、次々と待ち構える困難を乗り越えて右肩上がりの人生を生きるタイラーの生き方は一度躓くと非常に脆い。肩の違和感をごまかして試合に臨み続けるタイラーはやがてこっ酷い敗戦を味わい、花形選手から脱落して酒に溺れ結果的に恋人を殺めてしまう悲劇を生きることになる。こうした転落の過程も、リアリティを保証する描写があるわけではないが奇妙に生々しく感じられて面白かった。この監督はこうした悲劇と相性がいいのではないか? とも思う。叙情的な映画を撮る、それこそバリー・ジェンキンス的な成長を遂げるのではないか?

映画のタイトルは「波」の複数形である。ひとりの人生において、その人物が長く生きるとしたらたった一度の挫折でなにもかも台無しになってしまうということは考えにくい。何度も起伏が生じるのであり、それ故に「波」を描くわけだ。そして、この映画はタイラーとエミリーそれぞれの人生が「波」を描くダイナミックな様相を映した映画であるとも考えられる。その意味ではこの映画はメロウな音楽をふんだんに用いたダイナミックな一作であり、やや長すぎる上映時間とはいえ(135分!)力を込めて真面目に描かれた作品なのだろうと思う。有望株、と睨んでしまった。

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