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働くために生きるのか、生きるために働くのか

「もしも何もしなくても必要なものがすべて手に入るというのであれば、働かなくてもいいでしょう。(中略)しかし、実際には、何もしなければ必要なものを手に入れることはできないので、働かないわけにはいきません。そうであれば、勤勉が徳であり、怠惰であることは悪徳であることになります。」(『アドラーに学ぶ よく生きるために働くということ』岸見一郎著、KKベストセラーズ 2016年より)
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健康な人であれば働くことが当然とされている中で、「人はよく生きることを願っているのであり、働くのもただ生存するためでなく、よく生きるためであるとうのが、『生きるために働く』ということの意味です。(中略)よく生きることを目的に生きてみたい。そのためにはどうすればいいのか。さらには、生きる喜びを感じることが出来るのかどうか。働くことが生きる喜びにどう関係しているのか。考えなければならない問題はたくさんあります。」という著者が、本書では現代の「生きることと働くこと」の抱えている問題について、アドラー心理学を基に考察している。
ここでは、その内容から抜粋、編集してお伝えします。
尚、本書では「働くことの意味を職場で働くという狭義ではなく、活動、さらには生きることと同義で考察」されています。
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・なぜ働くのか
人は、ただ生存するためだけに働くのではありません。アドラーは働くということについて、それ以上のことを考えていたことがわかります。人は何のために働くのか。
働くことで人は自分の持っている能力を他者のために使い、他者に貢献する。他者に貢献すれば貢献感を持つことができ、そのことで自分に価値があると思えるから、働くことは自分のためでもある。
見方を変えれば、仕事をしていても貢献感を持てず自分に価値があると思えなければ、働くことには意味がないことになる
・決断力を持とう
この仕事やこの職場では自分の力を発揮できないと思ったりした時に、仕事を辞めて新しい仕事を始めたり、職場を変えたりすることは以前より容易になっている。親からは仕事を変えるというと「飽きっぽい」などといわれるかもしれないが、「飽きっぽい」のではなく「決断力」があると見てもいい。今している仕事が自分にとってふさわしいものでないことを見極め、違う仕事をしようと決断ができることは、心ならずも仕事を続けるよりも遥かに望ましい。
・自分が仕事の内実を変える、職場を変える
たとえ自分が始めた仕事が自分の思い描いていたものとは違ったとしても、落胆することはない。もしも〇〇はこうあるべきだという自分の考えが正しいと思うのであれば、自分が現実を変えていく努力をすればいい。理想を現実に合わせるのではなく、どうすれば現実を変えていけるのかを考え、そのことを可能にするための方策を考えていくことが最初にすることです。
・仕事がすべてではない
仕事は人生のすべてではありません。仕事のために他のどんなことも犠牲にしていいわけではない。
・自分の人生を選ぶ
芹沢光治良せりざわこうじろうは、留学先のフランスで結核になり長く療養生活を送った。その間に神の求めに従って作家になる決心をした。帰国後、留学前に働いていた農商務省への復職は認められず、中央大学に勤めたが、小説家になる夢は捨てることはできなかった。『ブルジョア』という小説を書き、総合雑誌「改造」の懸賞小説に応募したところ、一等に当選しました。ところが、昭和初期の日本で小説家は社会的に認められていなかった。
やがて、朝日新聞に小説が連載されると、中央大学の学長は芹沢を呼び出して言う。「君、日本では文学や小説が、社会に害悪を流していることが常識だよ。ペンネームであれ、本名であれ、その張本人が当大学の教授であることは許されんのだ。この際、君には当大学をとるか、いずれか、はっきりしてもらいますよ」そういわれた芹沢はためらうことなく、文学の道を選んだ。その決断は必ずしも論理的、合理的なものでもなく、無謀だと評されることもあるかもしれないが、私たちは誰かの期待を満たすために生きているわけではないのだから、誰から何と言われようと自分で自分の人生を選びたいと思う。
・人を喜ばせるということ
アドラーは、他者を喜ばせるという助言の意味について、次のように説明している。
「多くの人はいう。『なぜ他者を喜ばせなければならないのか。他者は私を喜ばせようとはしないではないか』
私の努力のすべては、患者の共同体感覚を増すことに向けられる。私は病気の真の理由は協力しないことであることを知っている。そして、私は患者にもそのことをわかってほしい。仲間の人間に対等で協力的な立場で結びつくことができればすぐに治癒する」(『人生の意味の心理学(下)』)
他者が自分を喜ばせるかは問題とはならない。それとは関係なく、自分が他者を喜ばせるのです。自分がしたことで喜んでもらえたら、それだけで貢献感を持てるが、喜ばせたことを相手から認められないといけないと思ったら、喜ばせようという気持ちは承認欲求になってしまう。他者から承認されることで自分に価値があると思えるというのではなく、他者が喜ぶという貢献によって自分に価値があると思いたいのだ。
・家事による貢献感
家事も仕事の一つです。しかも、非常に高度な専門性を要求される仕事だ。
家族のために自分が貢献していると感じられれば、たとえ家族から感謝されなくてもいいはずだか、なぜ自分だけが家事をしなければならないのかと、そのことを不満に思ったり、うず高く積まれた食器を前にして、自分が家族のために犠牲になっていると思って涙を流したりする。
しかし、家事は決して犠牲的な行為ではなく、家族に貢献する行為である。貢献できる自分に価値があると思えるのであれば、たとえ家族が手伝ってくれなくても、むしろ率先して家事をしようと思えるようになる。「貢献感を持てれば自分に価値があると感じられ、勇気を持てる。そんなことを私だけがしてもいいのだ。本当に私だけがしてもいいの?」と楽しそうに鼻歌交じりで家事をすればいい。たとえ家族に何もいってもらえなくても、貢献感があればいい。
自分がしたことを必ず誰かに認めてもらわないと気がすまないという意味で承認欲求が強い人は、自分がしたことを他者が知っていて、そのことに感謝されないと許せない。
・経済的優位は人間関係の上下には関係しない
専業主婦は夫から養ってもらっているのだから、どうして対等というようなことをいえるのかという人がいて驚いたことがある。私の場合は、子供の保育園の送り迎えをするなど家事に関わり、経済的に優位であったことはなかったのですが、だからといって自分の価値が劣っていると思ったことはありません。
・あなたの価値は「生産性」にあるのではない
「私に価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益である時だけである」(Adler speaks)
ここで一つ疑問が起きる。自分に価値があると思えるのは、「行動」が共同体に有益な時だけなのかということだ。もしそうであれば、人が老いたり、若くても怪我や病気で働けなくなった時には、もはや他者に有益な行動ができないことになってしまう。そんな時、自分に価値がなくなったと思う人は多いでしょうが、はたしてそうなのかということを考えなくてはならない。
・自分の価値は仕事以外でも見出せる
もしも仕事がすべてだと思い込み、自分の価値を働くことにだけ見てきた人が働けなくなった時、深刻な痛手を受けることになる。仕事ができなくなる前から、仕事ができることにだけ自分の価値を見出すような生き方をしていないことが重要になってくる。
・効率、成功よりも大切なこと
人は何かをする時には目標、目的を掲げるが、その目標達成のために有用なことしかしないというのは問題だ。人間にはあらかじめ決められた目的はありません。一見、無駄なこともできることが、人間と機械とを区別する点だといえる。人間には自由意思があるからです。
効率的に生きるということは、人間の生き方ではないと思う。旅では目的地に着くまでの間、途中の景色を楽しんでいいのです。そのことで肝心の目的地に到着することが遅れても、そもそも到着できなくても、時には合理的でない判断をすることが必要なこともある。
何かの目的や目標を達成することだけに焦点を当ててしまうと、大切なものを見逃してしまう。結果を出すことよりも、それに至るプロセスにこそ意味があると考えることもできる。実際、多くのことは達成できないが、実現できなかったことはすべて無意味かと言えば、そうではない。
・成功は人生の目標ではない
働くことは生きることの一つの営みです。過剰な負担がかかったり、自分らしく生きることを困難にしたりするのであれば、働くことについて再考する必要があるでしょう。
仕事で成功することは人生の目標ではありません。仕事でお金を稼がなかったらその日の食事もできないではないかという人もあろうが、お金を稼ぐこと、また国の経済が上向くことが豊かさかと言えばそうとはいえない。本当の豊かさは、経済ともお金とも関係がありません。
・生産性で自分の価値を計らない
これから働こうとしている人、目下、働くことが生活の中心になっている人に、あなたの価値は生産性にあるのではないといってみても、すぐには理解してもらえないかもしれない。
もちろん、働ける人は働けばいいですし、働くべきです。それでも人間の価値は「何ができるか」ではなく、「生きていることそれ自体」にあるといつも知っておくことが大切です。

・上司の承認欲求に応えるには及ばない
上司にきつく叱られたからといって落ち込むのも、上司の態度に怒りを感じるのも、どちらも上司の思う壺にはまることになる。上司は落ち込む部下を見て優越感を持つでしょうし、自分に刃向かってくる部下がいれば、争いを熾烈なものとし、それに勝つことで自分に力があることを部下に認めさせようとするわけだ。部下としてはこのような上司に何ができるか。上司は普通に接したら部下に認められないと思っているのだから、普通に接すればいい。アドラーは、すべての対人関係は対等の横の関係であるべきだと考えている。
・上司と対等な関係を築く
部下の立場にある人は上司の思惑がどうであれ、普通に接することで対等の横の関係を築けばいい。たとえ上司が感情的に迫ってきても、この上司はそうすることでしか深から承認されないと思い込んでいるのだと思えば、恐れる必要がないことがわかる。
部下がこのように考えて上司に普通に接するようにすれば、上司はこの部下の前では普通にしていてもいい、ありのままの自分でいても認められるということが徐々にわかるようになるかもしれない。
・「誰が」いっているかではなく「何を」いっているかに注目する
上司であれ、同僚であれ、部下であれ、もしもいっていることが間違っていれば誰であっても反論するだけのことですし、いっている内容に反論すればいいのであって、人格を攻撃するなどもってのほかです。自分を抑え、上司に合わせることは仕事とは何も関係ありません。
・幸せに生きるためのこれからの働き方
何のためにこの仕事をするのかを考えた時に、働かないと食べていけないとか、家族を養えないということだけでは仕事を続けるのは難しいでしょう。仕事は、アドラーのいう人生の課題のうちの一つでしかありません。ワーカホリックな生き方をする人は、アドラーの表現を使えば、「人生の調和」を欠いている。
・競争は精神的健康を損なう
人は三つのことをして生きている。「できること」「したいこと」「するべきこと」です。シンプルに考えれば、自分にできることは「できること」しかないので、「できること」をすればいいのです。
・競争から降りる
ライバルの存在自体は問題ではない。ライバルがいれば、励みになるからです。しかし、そのライバルと目する人と競争するとなると話は違ってくる。アドラーは、今ある状態と違う状態になりたいと思うことを「優越性の追求」と呼んでいるが、他者との競争は問題にならない。「優越性の追求」という言葉から「下から上」をイメージしてしてしまうが、実のところ、平らな平地を皆が前へと向かって進むというイメージの方が、アドラーの意図を正しく表している。自分よりも前を歩いている人もいれば、後ろを歩いている人もいる。そんな中をそれぞれが一歩一歩前に進んでいくのが優越性の追求です。歩いているところも速度も違うが、たとえ誰かに追い抜かれても、今いる場所から少しでも前に進むことができれば、優越性を追求していることになるのです。これは競争ではありません。対人関係を競争と捉えている限り、悩みが尽きることはない。競争という土俵から降りればどれほど楽なことか。しかし、一度も競争から降りたことがない人は怖くてたまらない。
・自分が第一義(何が一番大切なのか)を決める
仕事は他の人との競争ではないし、仕事において何が一番大事なことなのかがわかっていれば、他の人がどうするかということ、また、自分が決めてしたことが他の人からどう思われるかということ気にかけることはない。
・失敗したときにどうするか
誰もが最初は初心者ですから、一度も失敗をしないということはありえない。失敗は避けたいが、失敗した時には、正直にすぐに誠意を持って謝罪することが大切です。
・過剰に失敗を恐れない
過剰に失敗することを恐れると、自分で創意工夫して仕事に取り組まなくなる。叱られないことばかりに気を使っている人は、職場で大きな問題は起こさないかもしれないが、創造的な仕事をすることはできない。失敗は時に致命的なものになるので、できれば避けたいが、失敗からこそ学べることは確かにある。失敗の責任を取ることを覚悟して、失敗を恐れず、仕事に挑戦しよう。
・明日は今日の延長ではない
今日は昨日の延長ではなく、明日も今日の延長ではありません。旅に出るなど何か特別な出来事があれば、その日は特別な日に思えるかも知れないが、実際には、どんな日も特別な日です。

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  「どの組織にも所属しないで生きるということも今なら格別にめずらしいというわけではないかもしれません」(「おわりに」より)と著者が述べた数年後、私たちはコロナ禍によりそれまでの「日常」を手放すという経験をした。2019年に16.7%だったフリーランス(副業含む)の割合が、2021年には22.8%に増えている。(新・フリーランス実態調査 2021-2022年版|ランサーズ株式会社)(参考:内閣官房によると2020年のフリーランス人口は約462万人(内、本業214万人、副業248万人)とされている)
さらには、生成AIの急速な普及などの影響もあり、今後も働き方の多様化が進むと言われている中、自分の働き方、在り方の第一義は何かと言うことについて、考えたい。
(タイトル写真:The Stoogies- Ohio 1970 Live HD)



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