映画の感想 - 山女

山田杏奈ちゃん主演というだけで観に行った、「山女」。

販促の類いは YouTube の予告編と、Twitter のお知らせくらいのもの。だったら、徹底して事前情報を遮断した方が良いと、予告編すら観ずに映画館に向かった。

物語の舞台は、冷害が二年続いた 18 世紀の東北地方。江戸時代は、天明の大飢饉の頃である。

山田杏奈が演じる主人公は、曽祖父が起こした火事のせいで田畑を取り上げられ、汚れ仕事を押し付けられた家に生まれた娘。理由は語られないが母親はおらず、父親と、盲目の弟との三人で貧しく暮らしている。

本作の特徴は、当時の「村社会」の現実がありありと描かれていること。地上波の時代劇ではもちろん映画でもほとんど語られることのない、間引きに私刑、人身御供などの残虐な行為である。

村社会では、善も正義も優しさも誠実さも思いやりもへったくれもない。ついでに法治も道徳も、おそらくは犯罪という概念すらない。

自分は宗教も考古学も日本史も専攻していないし文献もろくに読んでいないが、封建時代の日本がどうだったかは小説や映像作品の範囲では知っている。

知れば知るほど庶民の大半とくに農村は過酷の極みで、生きるためにあえて思考を止めていたと考える。いかに思考を働かせても、探す答えが見つからず苦しい現実から逃れられないことを再認識するだけだとしたら、考えることそのものを止めることは致し方ない。

この作品の主人公は、それでも思考を止めず活路を見出そうとする。だが周りの村民は思考ではなく、しきたり慣習立場恐怖空気責任逃れ、そんな理由でしか動かない。そして自らの保身のみを優先し、他者を攻撃して排他する。したがって主人公の一家は、真っ先にその対象になる。さらに主人公は、「女」という理由でいっそうの迫害を受ける。

残酷さこそ減退したが、現代もこの国の根っこは同じに見える。形だけが近代化し、精神的に村社会から抜けきれていない。

地位や階級に平伏し出る杭を打ち、よそ者や異端を攻撃して排他する。事実、ネットでの二大叩き対象はいまだに女性と外国、および外国人だ。すなわち日本人の「男」の多くは、「女」と「よそ者」が大嫌いで排他したいと考えている。

現代社会の実情はどうか。モンスターペアレントと呼ばれる大きな怪物が小さな怪物を生み出し、ゆえに小学校で学級崩壊が起こり教師は片っ端から壊され、生徒の自殺者が出てもいじめはなかったことにされ蔓延り続ける、暗く悲しい絶望的な閉鎖空間。

令和になっても小中学生が好んで使い続ける「ハブる」という言葉。村社会の現代版そのものではないか。

映画は時として、文学作品以上に文学的かつ文化作品であることを求められるが、本作はそれを見事に果たしている。本作を好んで観る層は稀有であろう。エンタテインメント性はほぼなく、観てスカッとする要素もなければ感動もないのだから。

だが、それはほかの作品にまかせておけば良い。暗く重く苦しく辛く色も少なく、絶望的で笑顔になれなくとも、本作はほかの作品では得られないことを教えてくれる。

それは、この時代にこの国で思考を動かさないことが、いかに愚かであるかということ。

登場人物はその台詞で以て物語を解説せず、その解釈の多くを鑑賞者に委ねる手法。何も考えなければひたすらに残酷で意味不明な物語だが、思考を動かすとその喜びを存分に感じられる作り。

それゆえの満足感。

この絶望的な社会にあって、本作のように気骨のある作品が残っていることは真に救いである。

[山女]
https://www.yamaonna-movie.com/?fbclid=IwAR101KN8WAX2EDbxZfDylF6DvqtOfpK6oqW5Z28ncmX7EuPc6-taCGbE-l0

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