見出し画像

#20 『面白ゼミナール』と検索したら、やはり「さんま」と出てきた件

 アクセスしていただきありがとうございます。
 3月29日、元NHKアナウンサーの鈴木健二氏が、老衰のため入院先の福岡市内の病院で亡くなりました。95歳でした。
 1929年、東京都出身。東北大学文学部を卒業後、NHK入局。熊本放送局赴任を皮切りに、アナウンサーのキャリアをスタートさせました。
 鈴木氏を伝説のアナウンサーに昇華したエピソードといえば、1984年に司会を務めた紅白歌合戦にて、その年限りで歌手活動引退を表明していた演歌歌手、都はるみが大トリとして歌唱した後、「私に1分間時間をください」と、アンコールを促したシーン。これは、紅白歌合戦の名場面の1つにも挙げられています。

元NHKアナウンサーの鈴木健二氏(東京スポーツより)

 そんな鈴木氏が「主任教授」という肩書きで司会を務め人気を集めたのが、1983年~88年まで毎週日曜夜7時20分~59分に放送された『クイズ面白ゼミナール』(以下『ゼミナール』)です。大学のゼミという設定のもと、各界の著名人三人でチームを組み、四組で得点を競うというもので、最高視聴率42.2%を記録した伝説のクイズ番組です。
 NHKアーカイブスのHPには、放送されたすべての回の出演者リストが掲載されています。その一部を紹介すると、浅野ゆう子、伊東四朗、榊原郁恵、森光子、役所広司、渡辺謙、歌手の太田裕美、石川さゆり、由紀さおり、加山雄三、八代亜紀、森山良子、小林幸子、漫画家の水島新司、里中満智子、松本零士、石ノ森章太郎、文学界から西村京太郎、林真理子、北方謙三、さらに、現在は司会者のイメージが強いタモリ、ビートたけし、所ジョージも名を連ねています。
 このように、超一流のスターたちに混じってひときわ異彩を放っているのが、当時20代後半だった明石家さんまではないでしょうか。過去7回『ゼミナール』に出演しているさんまですが、ここから後にNHKとの因縁が噂される事態となっているからです。

 彼の発言によれば、ある放送回(1983年2月27日)で“鉛筆の芯”をテーマに東京大学教授が延々と語っていた際、退屈に感じたさんまが堂々とあくびをし、その様子がアップで全国に映し出されました。「生放送じゃないんだから、カットすればいいのに」とのことですが、その態度を巡り、さんまは視聴者の苦情とメディアからの批判を受けたのです。
 しかしその事件以降、さんまは『ゼミナール』に3回出演していますので、このあくびが騒動の直接の原因ではないようです。彼が『ゼミナール』最後の出演となったのは1985年4月7日。この日は同月1日スタートの連続テレビ小説『澪つくし』の主要キャストが集結しました。

『澪つくし』は、大正末期から昭和初期の千葉県銚子が舞台のジェームス三木脚本のオリジナルドラマです。地元の名産品である醤油の醸造元の老舗「入兆(いりちょう)」の娘・かをると、網元の跡継ぎ・惣吉の純愛物語。醤油醸造元はいわゆる“陸(おか)もの”、海で漁をすることが生業の漁師は“海もの”という、同じ町の相反する立場にある二人の恋愛模様を描いたこの作品は、『ロミオとジュリエット』そのものです。ヒロインのかをるを演じたのは、1984年にニューフェース募集の「第一回東宝シンデレラ」に選ばれた、当時19歳の沢口靖子です。
 その朝ドラに、さんまは醤油醸造元を渡り歩く職人・弥太郎を演じました。兵庫県の播磨(県南西部)出身、根は優しくて憎めないが、お調子者で気性が荒く、口を開ければハッタリをかまし、相手構わず悪態をつく。その上、隙さえあらば女中に夜這いをかける最低男。ホラばかり吹くことから、付いたあだ名は“ラッパの弥太郎”。これは「ハマり役だった」とさんまは後に振り返っています。
 そんな弥太郎は持ち前の運と勝負強さで、車の故障で困っていた入兆の当主・坂東久兵衛(津川雅彦)に手を貸したことで、一度は門前払いされた入兆で働くことになる、という設定でした。
 最高視聴率55.3%は『おしん』に次ぐ歴代記録を樹立し、まさに“国民的ドラマ”と呼ぶに相応しい大ヒット作ですが、さんまは当時をこうも語っています。

「結婚式のシーンで、俺、一日座ったままやねん。一応、台詞はあってんけど行かへんかったね、じゃまくさいから」
「脚本がジェームス三木さんやったの。ほいでもう、あまりにもギャラは安い、あまりにも拘束時間が長い。“トイレに行きまっせ”って言うだけのシーンでリハーサルに呼び出される。俺もう腹立って、アドリブで醤油樽に落ちたんですよ。もうなぁ、死にたかったの(笑)。死のうと思って。ラッパの弥太郎はスベって醤油樽に落ちて死んだことにしてもらおうと思って。ラッパの弥太郎って、ドラマの内容とあんまり関係なかったの。いなくてもなんの支障もなかったのよ」
「ジェームス三木さんに、“弥太郎を殺してくれ”言うて。あまりにも行くのがじゃまくさかったから、“ジェームスさん、すんません、来週で殺してくれまへんか~?”言うて。“どういうことなの?”って言うから、“いや、じゃまくさいんですわ~”って言うたら、喫茶店に呼び出されて、5時間。ジェームスさん、自分の人生まで語ってました。“この役は僕をイメージした役なんですよ”とか言うて」

 また、さんまにまつわる、こんなロケエピソードが記載されています。

 放送開始前に行った1回目のロケ現場ではNG連発という事態も発生した。それは、弥太郎役の明石家さんまさんが出演すると知った地元の人たちが、一目さんまさんを見ようと押しかけたこと。広い銚子駅のホームは人人人でぎっしり。それが、さんまさんの一挙一動に歓声を上げるのでNG連続。何度も撮り直しをすることになってしまい苦労したようだ。

NHKアーカイブス『澪つくし』「ロケエピソード2:人気者登場にNG連発」より

 当時のさんまは『オレたちひょうきん族』、『笑っていいとも!』(どちらもフジテレビ)、この年にスタートした『さんまのまんま』(カンテレ)などの人気番組のレギュラーを数多く担っていた“超”売れっ子です。それまでドラマの出演が何作かあったとはいえ、さすがにフラストレーションが溜まっていたとしても無理はないのかもしれません。
 ただ、本人の名誉のために申し上げますと、ギャラが安かろうと時間がかかろうと、さんまは撮影現場で常に人を笑わせる芸人魂を忘れませんでした。惣吉役の川野太郎は「すでに人気ものだったのに、いつもふらりと1人で現れてはスタジオにラフな感じで座って、『太郎ちゃん、元気ぃ?』なんて気さくに声を掛けてくださって。さんまさんが沢口さんに『靖子ちゃん、ほんまきれいやなぁ』なんて声を掛けては、僕がさんまさんから沢口さんをガードする、という流れがお約束(笑)。周囲を笑いで盛り上げてくださる、そんな存在でした」。
『澪つくし』チーフプロデューサー・中村克史は「さんまさんって、納豆が嫌いなんですねぇ。食事のシーンで、納豆とみそ汁と漬けものが出てきたんですが、“エーッ、ほんまに食べるんですか?”って、さんまさん、絶句してるんですよ。
 でも、このシーンは、さんまさん演じるところの関西出身の“ラッパの弥太郎”が生まれて初めて納豆を食べ、あまりのまずさに吐き出してしまう話ですから、どうしても食べてもらわなければいけないんです。
 そこはプロですから、さんまさん、嫌な顔をせず、ちゃんと納豆を口にふくんで、そして吐き出してくれたんですが、そのときの顔が真に迫ってまずそうなんですよ。ほんとうに納豆が嫌いのようですね。
 共演者もついつい笑ってしまいまして、桜田淳子さんなんか、笑いがとまらないんですよ。そのたびにNGで、毎回うがいをしながら、“あんたら、わざとやってんのと違う?”。
 その言葉にまた、大笑いで、普通、NGが5~6回も続くとスタジオの雰囲気はだれてくるんですが、さんまさんの存在でほんとうに楽しいシーンになりました」と振り返っています。

 その後、さんまとNHKとの間にどのようなやり取りがあったのかは分かりませんが、2013年2月2日生放送の『TV60 NHK×日テレ60番勝負』(NHK総合)に乱入出演するまでのおよそ28年間、NHKでさんまを目にすることはほぼありませんでした。
 現在は2016年から放送がスタートした音楽特番『明石家紅白』のMCをはじめ、近年NHKへの露出も増えている彼にとって、40年近く前の出来事は、あまり蒸し返されたくないのかもしれません。
 なお、4月6日放送の『ヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)にて、さんまはリスナーからの、鈴木氏の訃報と『ゼミナール』の一件についてのメールを受け、「いやいや鈴木さんは何にも悪くないんですけどね」と前置きした上で、一連の流れを説明し、「本当にご冥福をお祈りします。いろいろお世話になりました」と故人を偲びました。

 話が大分逸れてしまいましたが、最後にクイズ番組としての『ゼミナール』の魅力について触れます。
 ①「理科実験」も人気になった、小学校の教科書を中心に出題する「教科書クイズ」。
 ②日本史の意外な事実に着目し、鈴木氏の博識ぶりがその喋りに滲み出ていた「歴史クイズ」
 ③週ごとに扱うテーマが変わり、さんまが鉛筆の芯の話であくびをした「ゼミナールクイズ」。
 この三つで番組を構成していました。
 そして、鈴木氏の番組冒頭の挨拶、
「知るは楽しみなりと申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます」
 ここ数年、「謎解き」に代表されるひらめき問題が重宝され、知識を問う問題がやや敬遠されている感のある令和の時代に、鈴木氏の上記の言葉は、時代を越えて大きな意味を持つメッセージと言えるのではないでしょうか。
 改めて、鈴木氏のご冥福をお祈り申し上げます。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました。
 (当初予定していた内容を変更してお送りしました)

 参考文献・記事
『明石家さんまヒストリー2 1982~1985 生きてるだけで丸もうけ』 エムカク 新潮社
『明石家さんま 鈴木健二氏追悼“NHK出演拒否”きっかけ番組司会も「鈴木さんは何にも悪くない」』 2024年4月7日 スポニチアネックス
『さんま“NHK出演拒否事件”語る 鈴木健二さんの番組きっかけ「新聞にナメてるのか!」って』 2024年4月6日 東スポWEB
 本記事の見出し画像引用元
『さんま NHKあくびで大炎上 出禁説を説明 面白ゼミナール事件「やっと和解」』 2024年4月7日 デイリースポーツ
 また、NHKアーカイブス、NHK首都圏ナビのHPを参考にしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?