なんでもネガティブに感じる日には
一度口にしてしまった言葉は、もはや「なかったこと」にはできない。
「先生、無理です。キャパオーバーです」
お稽古を早退するとき、先生にこう言い放ってしまった。
「わかったよ」
先生に「キャパオーバー」なんて言っても通じないはずなのに、それ以上の言葉が出てこなかった。
語彙力のなさ、そしてこんなことを口にしてしまった軽率さが恥ずかしくなった。
最近は業務が立て込んでいて、平日の残業はもちろん、休日だって出勤していた。
今の業務は連絡や調整が多く、コミュニケーションに苦手意識を持つ私には余計にストレスに感じていた。
おまけに仕事が忙しいとは分かっていても、秋に控えているマラソンの練習をしたり人に会ったりと、優先順位を考えないで何でもやろうとしてしまう性分なものだから、時に、いや頻繁にバグを起こし、精神を乱す私。
先生はそんな私によくこう諭す。
「辞めちゃだめ。少しでもいいから、稽古に来て練習すること」
先生のおっしゃることを実践するべく……というか、休もうとする私に半ば強制的に指定したこの日のお稽古日。
私は定時に退勤した。
仕事も中途半端の状態で、後ろめたい気分になり、余計にストレスがのしかかる。
何もかもが中途半端な状態で、よいお稽古ができるわけもなく。
複雑なお点前そのものさえ、鬱陶しく感じた。
他の生徒が和気あいあいとしている中、私はその和やかなムードにさえ同調できなかった。
「先生、すみません、最近忙しく、非常に疲れているので、今夜は早めに帰らせてください」
早く帰りたいのに、先生は生徒との世間話に花を咲かせているようだ。
統一教会がなになに、行方不明になった男の子がどうこう、……。
私はわざわざ世間話をしに来たのではない。お稽古をしに来たのだ。
それなのに、この人たちは何なの?
ようやく世間話が終わったと思ったら、今度はお茶会の日程調整。
「この秋は久しぶりにお茶会がいくつか開かれるから、来なさい」
先生は市や県のイベントなんかでよくお茶会を開く。
生徒の私たちがお茶席を持つ。
「今月は2週連続日曜日にお茶会があるわよ、出られるでしょ?」
経験がある方はご存じだと思うが、お茶会の場では何かにつけて時間に余白が生じ、待機する時間が自ずと増える。それに、着付けやヘアセット等、何かと時間がかかる。
いろいろやりたい貪欲な私にしては、お茶会の時間が拘束時間に感じ、それがストレスに転換されてしまう、そんな悪循環をよく起こす。
――あぁ、今日は本当に、もうだめだ。
もう、笑顔でいることもつらい。
お点前が終わった後、お茶室を断つ。
帰り際に襖を開け、先生にご挨拶をしようとしたら。
「あ、そうそう、青年部から来年の活動のお知らせ来てるよ」
青年部。
お金を払って入会はしたものの、忙しすぎてオンライン総会しか参加できていない。
最初に放ったあの一言が、先生に対しての精いっぱいの私の思いだった。
その後、先生から少し低めの声で「わかったよ」と言われた後、どうしようもない後悔に苛まれた。
あぁ、言ってしまった。
キャパオーバーなんて、言い訳に過ぎないんじゃないか。
私より多くのことをこなす先生の前で、言うものではない。
青年部の活動も気にはなっているのに……。
こんな悪循環を断つ方法は、ひとつしかない。
しっかり寝ることだ。
たっぷり寝て心も体も元気になったら、先生に謝ろう。
もう少ししっかり説明しよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?