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お月謝の値上げ問題

「〇〇さん、ちょっと来て」

先生が少し不在にしている間、社中さんが小声で私を呼ぶ。

「先生からは何も言われてないのだけれど、そろそろお月謝代をあげようって、社中のみんなで話しているの。これからは、その料金で統一しよう」

「ええっ、いつからですか」と私。

「えっとね、実はみんなとは今年に入ってからこの話をしていて、みんな一月から自主的に上げているんだ。でも〇〇さんは、今月からでも大丈夫だと思う」

いや、大丈夫もなにも。
みんなこうだからあなたも従って、の論理はいたるところに存在する。変なところで理屈っぽい私はつい、みんながそうなのだから私も、と言う考えはおかしい、とつい口に出してしまった。
しばらく沈黙が流れた。

多分誰もが、お稽古の値上げはきついと心の中では思っているだろう。
みんなだってこれまでギリギリの生活で切り詰めて、お稽古に通っているのだから。私だってそう。


社中さんは苦笑いしながら、「そのこころ」を話してくれた。


私の稽古場は古株の人と新参者に二分され、私は古株に属している。これまで新参グループの月謝は古株よりも高かったが、昨今の茶の湯周りの物価高騰と茶室の維持の大変さ、また先生が事業を辞めたことなどから、新参グループは自ら月謝代を上げた。

その話を聞いた古株グループは、新参グループよりもいっそう複雑な点前を学ばせてもらっているからには自分たちも上げないわけにいかないと判断し、今年に入って値上げを相談しあったらしい。

そんな中、私は休みがちで値上げの話を聞く機会を失っていて、どうやら私ひとりだけ、この数ヶ月は従来の料金でお月謝を払い続けていた。

そんな中、私がお茶のお稽古に対する月謝を安くとどめ、稽古そっちのけで遠征を優先していたように先生には見えたらしい(半ば事実ではある)。

私には何も言わなかったけれど、茶の湯が何より優先に疑いの余地のない先生はそのことをよく思っていなかったこともあり、どうして私だけお月謝代が違うのかしらと社中さんにぼやいたらしい。

先生が気をよくしていないことを察した社中さんが、わざわざ私に月謝のことを伝えてくれた。
あぁ、彼女だってお金の話をするの、きっと気が重かったことだろう。

「そうですか、それなら皆さんに合わせます」と、つぶやく私。

先生の不機嫌と下っ端者社中の不機嫌の板挟みなんて、勇気ある社中さんにはたまったものではないだろう。

お茶の世界には、「なぜ」という問いをかけること自体憚られることがある。

お稽古中、なぜノートをとってはいけないのか。いまだに納得できる答えが見つからない。
単に、社中がみんなお稽古のことを記録し、そのことで点前作法を理解してしまったら、先生の役割がなくなってしまうからではないか、とヘソの曲がった私は思う。

このような明確な答えのない問いかけに対し、私より利口で理屈でものを考える異文化の人にはどう説明できるだろうか。私が仮にいつか、海外の人たちや若い世代の人たちを生徒に迎え、お茶を教えるような機会に恵まれるとしたら、今回の先生の立場に立った時、果たしてこの意図を汲んでくれる生徒なんて、いるだろうか。

とはいえこういうのもやはり、人間力、特に共感力がものを言うのだろうか。特にお金の問題は、お茶の世界に限ったことではないだろう。
そうだとしたら私、未熟な人間の思考回路の持ち主でしかないのだろうか…


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