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どくとるマンボウ航海記・北杜夫

どくとるマンボウ航海記 増補新版・北杜夫・中公文庫(2023年2月25日 初版発行)を読んだ。


ドイツ国に行こうと思った神経科の医者である著者(マンボウ先生)は、留学生試験を受けたが、文部省当局に書類選考で落とされた。が、医局の先輩でニューヨークの病院に一年間勤めていて帰ってきたばかりのMが、「船医になったらどうだ。そうして逃げちまうんだ」といった。それはいい、と思った。水産庁の漁業調査船が船医を探しているというので、乗ることにした。船は照洋丸という瀟洒な船で、居室は二人部屋、三等航海士と同室であった。11月15日、出航。強い下剤を大量に飲む間違いをしてしまったりもありながら船上の日々は過ぎ、11月28日朝にシンガポールの港に入った。28日、29日と著者はシンガポールをぶらつき回る。翌日は午前中、博物館を見物し、正午出港した。600トンほどの船はマラッカ海峡を通過し、インド洋を進み、アデン湾、そして紅海を航海。12月17日の夕刻、スエズに着いた。薬品のタカリに見舞われたり、愛国者に見張られたり、素足の子供に大外刈りをかけてあげたり。スエズ運河を通過して、ポートサイド。そして地中海へ。そのまま、ジブラルタル海峡を抜け、大西洋に入った。そして年が明け、1959年の初日の出は、ヴィリアシスネロス(=ビリャ・シスネロス)の沖合で迎えた。そして翌日早々、大西洋での操業の日々が始まる、マグロ、カジキ、サメ、マンボウ、ウイスキーを長持ちさせる飲み方、……。その後、リスボンに着く、貸馬に乗るとなぜか馬丁の若者がずっとついてきたり。それからさらに、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、……。


この本は、海外への渡航がまだまだ希少だった時代に書かれた、船旅エッセイである。その珍しさからか、当時大ベストセラーを記録した。そんな船旅五ヶ月半の記録の中で、読んでいて、つっこみたくなったところ他を、猫の後れ毛程度は(なにこの造語は)書いていこうと思う。


ふてぶてしい海のギャングのサメに砂糖水を飲ませると死んでしまう、とかいう記述があった、これマジか? 著者は航海中、試そうとするも機会を得れなかったが、それが魚の生体にどういう科学的な作用をするのか、興味が湧いた。ナメクジに塩みたいなものか?……

自転車を愛する国オランダのところでは、自転車の荷台に自動車をゆわえつけてこいでいく、なんていう奇抜な冗談の記述があった、ははは、わが国にもそんなテレビコマーシャル昔あったっけなー。接着剤かなんかでしたっけ、なんだっけ……。

ベルギーから出港するときのこと。霧に見舞われ、船が動かせなくなったという。レーダーには自船のまわりに群がる他船の像がうつし出されている。レーダーにうつっていようが、それでも動かしちゃだめなんだな〜、安全のための判断なんだな〜、船って大変なんだな〜、って思ったよ。一日足らずで着くはずだったル・アーヴルまで結局三日かかってしまった。やっと船が動き出したとき、著者は心の中で、それガンバレ、それブツカレ、などとほざいている。北杜夫、ふざけてんなぁ(笑)。

阪神タイガースはなんで田宮を手離した、と著者は憤怒するが、僕にはよくわからない。それがどうしたんだ?

今回この本は読むのにけっこう時間がかかってしまった。読書が遅い人は読書が速い人と比べて損なのだろう、と日頃うらやましく思っている僕である。だが、それも案外捨てたもんじゃないぞと、こういう長旅記録の本を読んだりするときは逆に思ったりもする。というのは、旅の間に流れた実際の時間を過ごすのと同じような濃密なゆったりとした時間を一緒に過ごしているような感覚になんとなくなれるじゃん!(といってももちろんさすがに、旅の時間の何分の一の速度では読み終えることとなるのだが。たとえば、この本では、館山からシンガポールまでの行程で12日間かかっているが、19ページから41ページまでの、たった22ページ程度だ)。読書が遅いほうが速いほうより実際の旅の時間に近づけるわけだから、そういう意味で、優位なのである。なにがなんでもぜったい勝ちなのである。読書の速き者たちよ、まいったかこら!

……となぜか最後は遅読者からの対決宣言に。なんだこれ(笑)


★ どくとるマンボウ航海記・北杜夫・中央公論社・1960年3月刊行単行本。中公文庫・1973年12月。どくとるマンボウ航海記 増補新版 中公文庫・2023年2月25日発行。

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