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聖母の右腕         第1話

あらすじ
30年前のイタリアフィレンツェ留学時代、実際起こった出来事です。その時代は「ユーゴスラビア紛争」が収まらず、人々は戦いのない地続きの隣国イタリアに難民となって沢山押し寄せてきました。そのユーゴからの難民である人々の事をイタリアではジンガリと呼び、我々日本ではそれを流浪の民であるジブシーと翻訳していました。俺は留学生活資金の大半を盗みによって失うが、貧乏ながらも色々な国からの留学生仲間に囲まれイタリア生活を楽しんでいる。しかし今度はジンガリ(ジプシー)に不思議な手口でお金を盗まれてしまった。果たしてどんな手口で盗まれたのか、自身の考察。ノンフィクションミステリー

裸のジンガリの少女

その夏フィレンツェの街は観光客で賑わっていた。ウフィツィ美術館でボッティチェッリのビーナス誕生やレオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知などを鑑賞して中世絵画の魅力に嵌まる者、アッカデミアのミケランジェロのダビデ像に思わず息をのむ者、ドゥオーモのクーポラを見上げて圧巻の迫力と崇高な建築美術に感動する者、またバールではエスプレッソを飲みながらカメリエレと呼ばれる給仕と談笑する者やイタリアンジェラートを片手にそぞろ歩きを楽しむ者たちが溢れ、人々はこの街の魅力に浮かれ楽しんでいた。

俺は語学学校に行くためにサンタ・マリア・ノヴェッラ駅から街の中心に位置するドゥオーモへ続く通りにいたのだが、途中人だかりがあってなかなか先に進めずにいた。なんとか人混みを掻き分けて入っていくと、ようやく人集りの中心に出た。そこには12歳か13歳ぐらいだろうか胸がまだ成長途中の娘が裸で中年男性に向かって大きな声で喚いている。肌は少しだけ浅黒く、可哀想に肋骨が見えるほど痩せていた。突然ブチ切れたように奇声を発したと思ったら、たくさん集まった野次馬の中で恥ずかしげもなく下着までも脱ぎ捨てて真っ裸になった。その場にいた群衆は、おおっと皆で一斉に声を上げながら一歩後退り、その喚き叫んでいる娘に服でも羽織わせる為に近寄ってやれば良いのか、それともこんな群衆の中では自分なんぞが近寄らない方が賢明な事なのか、皆が皆それぞれに躊躇っている。しばらくするとその娘は裸のまま相手の中年男性の元に歩み寄り、自分で脱ぎ捨てた服を手渡した。
まるで、調べろと言っているようだ。すると、その紳士はその服を手から放り出して顔を真っ赤にしながら何やら怒っていた。
やがて人混みを掻き分けるように警官がやって来た。すると娘は中年男性が放り投げた自分の服を掴むと裸のまま何処かへ逃げていった。石畳の上を裸足で人々の壁をするり通り抜けると、その娘はあっという間にその場から姿を消したのである。

その娘はいわゆるジンガロもしくはジンガリと呼ばれていたユーゴからの難民で、外国から観光で来ていた中年紳士の財布を盗ったのであろう。そして自分じゃないと喚いて、何処にも財布など持っていないと服を脱ぎ捨ててのアピールだった。最後には下着までも脱ぎ捨てて皆の注目を集めた。
もちろん、皆の注目を集めているということは、財布は既に仲間の手に渡っていた。
注目を自分に集めている間に財布を持った仲間はその場から上手く立ち去ったのであろう。
自分に注目を集める為に、ちょうど恥じらいが出てくる年齢であろう少女が裸になり自分の下着までも大衆の面前で脱ぎ捨てるとは、俺は驚きの光景を間近で見た。しかしその策略にまんまと嵌まり、その時のタイミングでこの場を立ち去った人間など誰も覚えてなどいなかった。
そして警官が来てしまうと人だかりは直ぐにほどけていった。

俺はポンテベッキョと呼ばれる橋のそばにある語学学校に着くと、タカシを探してさっき街中で起こった事を話した。
「おい タカシ凄かったぞ 石畳の通りで女の子が真っ裸で怒りながら喚き散らしてるんだからな。たぶん、私は盗ってない そう思うなら調べてみろとでも言っていたんだと思う 途中でパンツまで脱いだ時は正直度肝抜かれたよ。周りの人々がワイワイガヤガヤしてたのに、その時ばかりは歓声が上がったと思ったら急に鎮まり返って、その女の子の怒った声だけが響いていたもんな」

タカシは何でも知っていて、「いいか そいつらは、ユーゴから逃げてきた難民だ。本当に可哀想だけれども、特にお前みたいな奴は用心しろよ。何たってイタリア初日に財産の大半を盗まれたドジな日本人なんだからよ。」と真面目な顔して俺に言った。

俺はタカシに本当の事を言われて反論出来ないでいた。あの時の悔しさはいつまでも俺の中に残っている。あのお金さえまだ手元にあれば、リストランテに行ってフィレンツェ名物の巨大なTボーンステーキも、観光客がよく食べているあのとろけるように甘くて冷たいジェラートも、賑やかなピッツエリアで鮮やかなバジルの乗ったトマトソースピッツァも口いっぱいに頬張る事もできるのに。
それが事もあろうに、イタリアに着いた初日に盗まれるとは。あれは俺がそれはもう賃金が安い安いバイトで何年も苦労して貯めた金だぞ。もちろんもっと割りのいいバイトに変えたかったんだが、そのバイト先にいた女の娘と仲良くなっちゃって まぁ、何というか、つまり俺はその娘の事が好きになっていた。たぶん、この娘も俺の事好きなんだろうなという感じをかもしだしていたもんだから。そして日本出発する直前にありったけの勇気を振り絞ってその娘に告白したものの見事にフラれるわで本当最悪だった。だから日本なんてなんも未練はなかった。日本なんておさらばだった。あとから知ったのだが、実はその娘の彼氏が後からバイトに入ってきたあのぼーとして仕事も出来やしないボンクラ後輩だったとは気付きもしなかった。そんな俺の迂闊さというか洞察力のなさに自分で嫌気がさした。一体何故俺という奴は気がつかないのだ。もっと物事を注意深く見る眼が欲しかった。

俺の通っている語学学校の名前はポンテベッキョ学校といって、フィレンツェの観光名所ポンテベッキョという名の橋のすぐそばにあった。その橋というのは、昔その場で屠殺した肉など売られていて腐ってしまった死骸を橋の上からアルノ川に落としていたので辺り一面に汚臭を撒き散らしていた。それではよくないと街の権力者達が肉屋を排除して橋の上に宝石店を置くようになった。それからは橋いっぱいにジュエリー店が立ち並ぶ有名観光名所になったという逸話が残っている。
イタリア人の先生がイタリア語で授業する。最初はまったく分からず授業について行けなかったが、それでも毎日の積み重ねだろうか少しずつではあるが理解しかけていた。それは真面目に勉強したからとかではなかった。何も分からないからただただ必死にならざるおえない環境だっただけだ。タカシの他に日本人もいたのだが、そいつらはもっと上のレベルの授業に出ていて、あまり顔を合わす事は無かった。俺のクラスにいて他に仲の良かったのはブルガリア人のマルコ、そのフィアンセでもあったアイスランド人ラッガ、韓国人のチービンとスノウのカップル、ポパイのような顔で無口だったニュージーランド人のガースなどがいた。

斜塔で有名なピーサの街へチービンとスノウと3人で行った事がある。スノウが作ってくれた炒飯を弁当にして持って行き、斜塔の前の芝生の上で3人で弁当を広げて食べた事は今でも忘れられない思い出だ。中華料理である炒飯をイタリアのピーサの斜塔の前の芝生で日本人と韓国人が一緒に食べる。こんな所で炒飯を食べた日本人は歴史上俺しか居ないのでは無いかと想像すると、余計に楽しい思い出となった。
マルコとラッガとは、ナポレオンが流された美しい島、エルバ島へ行きテントを持って3日かけて自転車で一周したし、南半球のニュージーランド出身のガースは、なんと北半球のノルウェー出身の女の子と結婚してノルーウェイに行ってしまった。お別れの時は駅まで駆けつけたけれど、まだ英語もイタリア語も全然話せなかった俺はそれはそれはもどかしく身振り手振りだけだったけど、最後はハグして全身で気持ちを伝えお別れができた。
芸大出たての自分には、ここフィレンツェは本当に素晴らしい環境だった。そして語学学校の仲間達も色々な国から美術を学びに来る者、他、音楽、建築、料理、デザイン、彫金と様々なジャンルの勉強を目指してやってきていた。語学学校では自分の目指すジャンルにこだわらず他のジャンルを目指す友人が出来る、まさに環境シャッフルタイムだった。海外留学とは、語学を学ぶ以上に素晴らしい経験が待っている。

ところでせっかくのイタリア留学だ。
フィレンツェばかりに留まってはいられない。お金が無いなりに色々な都市にも出かけた。ヴェネツィアでは、ゴンドラ乗りのお兄さんと話をしていたら急に事務所に連れて行かれた。「親方 この日本人イタリア語喋れますよ ゴンドリエーレとして使えませんかね」と突然ゴンドラ乗りにされそうになった。
日本はまだバブル弾ける前の事で景気が良かった。それはたくさんの日本人観光客がイタリアにきていた。しかし言葉が中々通じないのでゴンドラ乗り達も困っていたのだ。ゴンドラを止めてあれこれ建物を指さして観光説明してみても全く通じないし、舟の上では動かないでと何度言っても、直ぐにカメラを持って立ち上がって移動する困った日本人がやたらに多いらしい。まったくもって申し訳ない。日本を代表して謝っておいた。しかし、まぁ、くそ音痴の俺がゴンドラ乗りになっていたらと思うと観光客ごとゴンドラはひっくり返ってた筈だ。

また、ローマ市内にあるカトリックの総本山バチカン市国のシスティーナ礼拝堂にあの有名なミケランジェロの天井画を観に行くために入ろうと並んでいた時のことだ。周りは日本人観光客だらけだったのだが入り口で何故か俺だけ係員に呼び止められた。怪しく思えたのであろうか?荷物検査である。リュックを開けるとそこに出てきた物は、アパルタメントから持ってきたトイレットペーパーが1ロールだけ。このリュックには他に一切荷物は無い。係員もポカーンである。思わず恥ずかしくなり、「いや風邪を引いているんだ。」と言い訳をすると、またしても係員が驚いた。
「え 君は日本人か?イタリア語が喋れるのか?」と 「いや、まぁ少し はい日本人です。学生です。フィレンツェに住んでいます。ミケランジェロ好きです」と片言のイタリア語で言うと「システィーナ礼拝堂にトイレットペーパーだけ持ち込む奴は初めてだ」と笑われた。恥ずかしさは残っていたが俺も思わず一緒になって笑った。これだけ日本人の観光客を相手にしながらイタリア語を喋る日本人は珍しかったのだろう。直ぐそばにいた他の係員がそれを聞いて近寄って来て「これだけ人が並んでいるがシスティーナ礼拝堂はトイレじゃないよ」と冗談ぽくからかってきた。もうそれを聞いて3人で大笑いだ。列に並んでいる観光客は何事だろうかとこちらを見てる。

お金がないのでトイレットペーパーをティシュの代わりに使っていたのだ。外出先でトイレに入ってもトイレットペーパーが有る所はほとんど無かったし、アパルタメントから持ち出した1ロールは中々重宝したのだ。財布はジーンズのポケットに入れてあるし、リュックの中身は悲しいかな本当にそれしか入っていなかった。リュックに1ロールのトイレットペーパーを入れて見上げてみるミケランジェロの描いた天井画「天地創造」は素晴らしかった。
いくら厳格なカトリックの総本山でも入口の警備員達とはこうしてカジュアルな会話が楽しめたので親しみが残った。イタリア(バチカン)の素晴らしい所である。もしも嫌な気分でシスティーナ礼拝堂に入っていたとしたら、せっかくのミケランジェロの作品も俺の心打つことがなかっただろう。



学生がまだクレジットカードやデビットカードを簡単に持つ事が出来なかった時代だった。大事な留学資金は現金を手荷物で運ぶしか方法が無かった。外国の銀行口座を日本で作る事なんて出来ないし、ましてや仮想通貨など概念もなかった時代である。現金をそれも大金を持って運ぶと言うのは、それは盗まれるという大きなリスクも同時に抱えていたのだ。

イタリア到着直後パスポートと大金を失う


そう、俺は盗まれてしまったのだ。よりによってイタリアに着いたその日に。
イタリアの玄関口であるローマフィウミチーノ空港(別名レオナルド・ダ・ヴィンチ空港)に降り立った俺は、中身が詰まったスーツケースと肩に食い込むほどの重たいショルダーバックを持って留学先であるフィレンツェに向かっていた。何とか空港からローマテルミニ駅まで移動できたのだが、そこからどの電車に乗ればフィレンツェに辿り着けるのか分からずにいた。
先ほどからよく出くわす西洋人老夫婦が見える。あちらの方もチラチラとこちらの方を見てくる。そして突然笑顔を向けられたのだ。外国人に笑顔を向けられる事すら俺にとっては初めての経験だった。

ヨシ!ここは思い切って声を掛けてみよう。イタリアに到着して好奇心いっぱいになっていた俺は勇気を振り絞りカタコトの英語で話しかけてみた。「ハロー」
お爺さん達も「ハロー」と笑顔で応対してくれた。先ずは、私は日本人で学生である事を告げた。しかしそれからが続かない、俺の英語はそれで精一杯だった。ただこちらが日本人だと分かると、少し安心してくれたようだった。老夫妻はアメリカ人で御夫婦でのご旅行だと言う事だけが分かった。
こちらから英語での質問は辿々しくてなかなか出来なかったが、彼らの方から話を続けてくれた。
「婆さんとフローレンスに行くんじゃよ どう行ったらいいか 知らんかな?」そう言ってるようだ…
「うん?フローレンス? フローレンスってもしかしたら フィレンツェ?」
「そう そう フィレンツェじゃよ」
「お、俺も行き先は一緒です。自分もどうやって行ったら良いか 探していたんです。」
どうやら行き先が一緒だったらしい。少しほっとした。なんだどうりでよく行く先ざきで見かける訳だ。
御夫婦仲が良くて一緒にフィレンツェ旅行かぁ 羨ましい限りだ。対してこちらは1人だったので、とても不安だった。
「じゃあ一緒に行きませんか?」と思わず申し出てしまった。せっかくの御夫婦の旅だったのだが、俺ときたらそんな事は気にも留めなかった。行き先が同じだという偶然とずっと1人でいたので、何か安心したかったのだ。

「じゃあ、僕が行き方を尋ねてきますので、ここで待っていて下さい。プリーズ ルック マイ バッグ」
そう言ってその場で重たい肩がけのかばんを地面に降ろした。ずっと肩に食い込んで重たかったのだ。スーツケースとかばんをそこに置いて、ひとり歩きのイタリア語会話というタイトルの小さな本を取り出して、道行く人に尋ねてみた。
優しそうな女性を選び、本を開いて指差ししながら尋ねてみた。
「フィレンツェへの行き方を教えて下さい」
女性が何か説明をしていたが、ふと俺の背後で気配を感じた。
階段から降りてきた黒人が何かを付けてきたのだった。
女性が嫌な顔をしたので、俺も直ぐに気がつけたのだ。
「これは… なんだ 変な匂いにゼリー状の物」
「ポマード?ジェル?髪に塗るやつか?」俺の肩に変な物が付いていた。
俺は直ぐに振り向いて身構えた。
ケチャップ泥棒 もしくはアイスクリーム泥棒
の事は知っていた。何か付いてると言って拭くふりしながら財布を盗む手口だ!

「Don’t Touch Me 」俺は大声で叫んだ!
それから日本語で喚き散らした。
「触るな!来るな!」と大きな声で怒鳴り散らしてやった。しかし、この黒人は一切顔色を変えない。無表情だったのが本当に不気味だった。一言も発しない。
そして俺に触る事もなく、ただただ無表情で俺を見つめているだけだった。
黒人の感情は全く読めなかった。ただただ俺は身体に触られないようにずっと叫び続けていた。喧嘩には自信が無かったが、何故だかやられたらやり返してやるという闘争心だけは芽生えていた。たぶん自分で大声を出して興奮していたからだと思う。
やがて黒人は、俺の身体に一度も触る事なくゆっくりと離れて行った。
ポケットの中にある財布を確かめる。「よし、有る」俺は女性に「sorry 」と言って振り返りすぐそばに居たお爺さんお婆さんの所に戻る。

「え!」今まで興奮していて赤く染まっていた俺の顔だったが、その顔はみるみると青ざめていった。
「無い 無い!俺のカバンが」
お爺さん達は俺が直ぐそばで黒人に怒鳴るのを目の当たりにして、俺に気を取られすぐそこに置いた俺のバッグから目を離していたのだ。悪態をついて「プリーズ ルック マイ バッグと言っただろうが」と思ってはみたものの、老夫妻相手じゃそれは決して口に出せなかった。
たぶん、さっきの黒人とグルだった奴がそばに居たのだろう。
このショルダーバックの中にはパスポートそして日本円で100万ほどの大金が入っていた。俺のこれからの生活費の大半だ。
血の気を失ってフラつくと同時に自分がガタガタと震えているのが分かった。とても立っている状態ではなかった。
お爺さん達は、とても気の毒そうな顔をしていたが、無常にもただ一言Good Luckと言い残し、そこから立ち去って行ってしまった。面倒事に巻き込まれたく無かったのがありありと感じられた。喪失感の中俺は彼らの後ろ姿を見ながら佇む事しかできなかった。

そしてあのお金は、その後イタリアの警察署に行った所で決して戻ってくる訳も無かった。それから俺の憧れのイタリア生活は、貧乏生活と共に始まったのである。


#創作大賞2023 #ミステリー小説部門

(3話完)

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