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2022/05/30深夜

平常運転出来る日と出来ない日が相変わらず交互に来る。それなりにやり過ごしてなんとかしている。

平常運転を出来る日は出来るだけ運動するようにしていて、お陰で体のあちこちが痛い。筋トレをしたり、ランニングに出たら、あっさりと筋肉痛になった。「いたいいたいいたい」と悶絶していると妻がくすくす笑っている。我が家は平和である。

音楽を作っている人間でいるつもりだけど、傷だらけのほふく前進では、なかなか進捗もなく、新しい制作にはなかなか向かえない。もっと言うと、アイディアはある。メロディーは浮かぶ。問題は、録音する気にならない。

作り始めると、完成がどこなのか分からなくなる。作り切ることが前より難しく感じるのはなんでだろうと思う。ひどくは、発表が急に怖くなったり、関心が無くなったりする。

うつになって、時間をなんとかしたくてサイトを立ち上げたり、ラジオを録ったり、健康オタクになったりした。奇妙にあちこち手を伸ばしてみたのはいいものの、半端になっているものも多い。そのおかげで学んだことも達成できたこともあったけど、不思議なのは、一番苦手なラジオが何故か2週間くらいの周期で続いていること。

先日、久しぶりに友達と飲みながら電話で話した。
「忙しくてラジオを聴けてない」と言って妙に悔しそうだった。本人にも言ったが、全くそれで問題ない。僕のラジオは聴いても聴かなくても、何の問題もない。

数十分間、自分がぼそぼそ喋ったことをネットに放り投げるというのは奇行以外の何物でもない。人が話しているのを聞くのは楽しいが、自分でやってみると「これは一体なんだ」といつまでも思う。

1ヶ月ほどラジオを更新出来なかった時、ふっと質問箱に「ラジオまた楽しみにしています」と届いていなかったら、そのまま辞めていたかもしれない。

結局そういう声や人のおかげで続いていることばかりだなと思う。
ラジオもそうだし、僕の人生は妻と結婚してなかったら今頃どうなっていたか本当に分からない。それを考えると、時々ぞっとする。

音楽を作りたい気持ちはずっとあるし、音楽の中に居たいと思っている。その気持ちは僕を焦らせて、空回りさせているだけのような気がする。
そう思うと、奇行と思いながらも続いているラジオへの距離感は、今の自分にはいいものなのかもしれない。

何かここにヒントがあるような気がする。今の僕には「たまに、ゆるく」でやる方が、結局一番遠いところまで行けるのかもしれない。

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