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春が終わる

はじめに

日本は四季があって素晴らしいとはよく言われるが、近年は地球温暖化の影響もあって、日本の気候も〝異常〟なんていかにもネガティブな意味合いの言葉で表現され始めている。今年の春だって、一体いつから始まって、いつ終わりなのか、正確に把握している人間はいるのだろうか。俺はなんとなく、5月に入ったらもう〝初夏〟なんて言葉を使ってもいいと思っているのだが。しかしまぁ、日本には四季に加えて〝梅雨〟という割と名前通りな季節がある。こいつは厄介者で、しっかりと数日間は雨が降り続ける。普通は梅雨が終わったところで夏が顔を出すはずなのだが、もう今年は既に夏のような陽気の日が増えている。春なんて、ほぼ無いに等しい。そう言ってしまうと、もうこのタイトルが終了してしまいそうなので、ひとまずはあったことにしておこう。俺なりに、春らしかったエピソードや、ゴールデンウィークの想い出などを残していこうと思う。

QUILL

■青の春

私は以前公開した、第二回『憧憬の道、造形の街』の本文終盤に〝次は青色に染まりたい〟と記述した。
これは物書きの変な性分というべきではないのかもしれないけれど、私は自分の書いたことに嘘がつけない。頭の中のタスクリストには、〝青色に染まらなければならない〟という文字がある。タスクは達成されるまでの期間が長ければ長いほど、粘着性が高まって鬱陶しくなるため、早くこなすようにしている。今回もそのタスクが鬱陶しくこびりついていたため、私はタスクをこなすための方法を模索した。そして辿り着いたのは、髪を青色に染めるという方法だった。いちばん容易で、いちばん善良な方法。自分の書いた文章のために、全身を青色に染めてしまう勇気は無かった。全身を青色に染めてしまったら、アバターのようになってしまう。そもそも、全身を青色に染めることなど出来るのだろうか。「刺青」だったら出来るだろうな。〝青を刺す〟って書いてるくらいだし。出来るんだよな? お洒落な当て字だなと思うけれど。

そんなことを考えていたら、原宿に着いた。
原宿には美容室が沢山あるから、今日訪ねる美容室も初めてだった。美容室では、全てが初めての体験だったから、楽しかった。ブリーチは思ったより、というか全然痛くなかった。私のカットを担当してくれた美容師は、競馬で負けたらしく、「競馬の傷は競馬で治すしかないと思いますよ」と言ったら『そうだね、恋愛と一緒でね』と返ってきたが、私は恋愛経験が浅いからあまりよく分からず、ただ苦笑いを浮かべるしかなかった。シャンプーをしてくれたお姉さんが、ちょっとエロくて可愛かった。ロッカーのデザイン性が高すぎて、鍵を開けるのに苦戦してしまい、少し恥ずかしくなった。

青色に染まるまで3時間ほどを要したようだが、そこまで長いとも思わなかった。ただ、私は今日が美容室の日にも関わらず寝坊をかましたので、起きてから一食も口にしていない。施術の全てが終わった夕方の5時頃、私は空腹が限界に達していた。竹下通りのアーチのすぐ横にある吉野家に入り、新作の『焦がしねぎ焼き鳥丼』を食べた。

竹下通りの入り口にある吉野家は、私の中のイメージでは派手な人が集まっている場所だったが、いざ入ってみると、一番派手なのは私だった。とてつもなく恥ずかしくなってしまった私は、青い春の住人かもしれなかった。数週間が経つと、青いと思っていた髪色は徐々に抜けてきて、『もう緑じゃん』と周囲から言われるようになった。だけど、私はむしろこの髪色が気に入っている。新緑の道をスキップしながら、毎日生きられたらいいなと思う。葉桜や若葉が笑う。

■霞む下北沢

下北沢は、いつも雨が降っている。
少なくとも、俺が訪れる日にはいつも。
大学生になって、通学定期券の区間に下北沢を見つけてから、初めて訪れた日。この日は、土砂降りだった。
土砂降りの中、暖簾をくぐったのはラーメン屋で、
『中華そば こてつ』という店であった。厨房までが一直線に造られたその店は、こぢんまりとはしているが、狭いとも感じなかった。少し高いところにある棚にはラジオデッキが置いてあり、そこから流れてくるラジオは、古き良きラーメン屋の雰囲気に一役買っていた。
俺は友人と共に食券を買うことにする。
友人は塩ラーメンを頼み、俺は〝特製〟塩ラーメンを頼んだ。〝特製〟が付くだけで180円も違った。
俺は塩ラーメンがいかに難しいかを知っている。
ただ塩っぱければ美味しいというものでもないからだ。しかし、程なくして運ばれてきたそのラーメンは、見た目から美しく、淡麗な味を想起させた。
俺は一口目を啜った瞬間に、「ああ……」と感嘆してしまった。今まで食べてきた塩ラーメンの中で一番美味いと言っても過言ではなかった。全ての味が相互補完し合っているような、一寸の隙もない完璧な味わいが完成されている。ラーメンというものは、大体は具材のどれかが「うーん、ちょっと微妙……」となるものだが、こてつの塩ラーメンは全てが一流の味だった。

特製塩ラーメン

「ありがとう、ご馳走様」
そう言って俺は席を立った。
雨は止むばかりか、むしろ強まっていた。

その次に下北沢で浴びた雨は、 ゴールデンウィーク明け初日だ。昨晩から降り続いている雨が、アスファルトを濡らしていた。
俺は、講義があると思い大学に行ったのにも関わらず、それらは全て上級生の学外研修があるために休講だったと知った。
悔しさを噛みしめながら、下北を歩いた。
時間は、午前11時頃である。ずっと前から気になっていた喫茶店があり、ホームページを見たら11時開店とあったので、雨の中、弾むようにそこへ向かった。

お店の看板には蔦が絡まっていることが写真から読み取れたので、「ここだ!」とワクワクしながら奥まった場所へ踏み入っていくと、店の前には3人の先客がいた。人気店だから、開店早々店の外に列を作らなければならないほど盛況なのかなとも思ったが、様子がおかしい。

電気が点いていないのだ。そして、ガラス張りの入口には、店の中が覗き込めないように、重たくカーテンが下ろされている。先客のうち一人が、俺に近づいてきて、口を開く。

『今日やってないんですかね?』

——こちらが聞きたい。

だが、適当に「そうですね」と言って、苦笑いで返した。数分後には取引先の社員のような者が来て、インターホンを押したが、それにも応答はなかった。開かずの喫茶店を諦め、先客のおばさん達は足早に去っていく。俺はその間、なぜ喫茶店が開かないのか考えていた。
けれども、結論は出そうになかったので、俺もその場を去った。去り際に、ドアの手すりに掛けられた雑巾にヒントがあるのではと思ったが、それは何の変哲もないただの雑巾だった。

俺に似てる

俺は小雨降る下北沢を歩く。
やることがなかったので、大きく口を開けた古着屋に入ったら、店員から迷惑そうな顔で『まだ営業してないんで出てってください』と言われた。いや知らんがな。営業してねぇんだったら、シャッターなり下ろしとけよと思った。舌打ちが出た。
下北沢の喫茶店の大半は営業が12時からであるため、俺は居心地が悪くなって、道を2つに分ける場所にある祠の前に数十分立ち、街ゆく人の観察をしていた。

時間がそろそろ12時になろうとしていたから、そこから離れて俺は歩き出した。
そして、仄暗い路地裏に入り、『ジャズ喫茶 マサコ』という店を見つけた。営業しているのかも不安になるくらいの暗い階段を上がった2階に、それはあった。

俺は最初、ジャズが控えめに流れているお洒落な店を想像していたが、ジャズは思った以上にうるさかった。そして、店主のアンティーク趣味が随所に感じられはするものの、俺が落ち着いた椅子は、座った途端に陥没したのかと思うほど、クッションに反発がなかった。
ああ、俺は入る店間違えてしまったのかもしれない……。
すぐにそう思った。腹が減っていたので、チーズトーストサンドだけを頼もうとしたが、ワンドリンク制だから飲み物を頼めと言われ、渋々『自家製レモンスカッシュ』を頼んだ。少しして運ばれてきたチーズトーストサンドは、粒マスタードがこれでもかと言うほど中に塗ったくられていた。

マスタードの刑

俺は別に粒マスタードアレルギーは持ち合わせていなかったので、黙って食べることにしたが、肝心のチーズはそこまで感じられず、完全に『粒マスタードサンドトースト』と化していた。これは、粒マスタード嫌いからしたらクレームもん、全額返金もんだなと思いながら、足早に店を出て、雨煙る街中へと戻った。

下北沢の道幅は恐ろしいほど狭いのだが、何故か運送会社のトラックが沢山通るため、通行人がわざわざ自分のものでもない路駐の自転車をどかしていた。
変な街だな、と失笑した俺は下北沢に居場所を見つけられないままで、ただ惨めな自分を笑うくらいしかできなかった。そして、雨の中で笑う俺は、徐々に嗚咽を漏らすようになる。泣いていたのだ。サブカルの荒波に揉まれて、ただ溺れそうになってるだけの愚の骨頂は、俺と言っても過言ではなかった。街ゆく人が笑う。俺はしがみつくように、助けを乞うている。
「下北沢に、俺の居場所はありますか……。俺はちゃんと他人より個性的でいれてますか……?」
下北沢の冷たい雨に、言葉は溶けていく。

■さよなら、トイレの神様

〝トイレの神様〟の伝説を、あなたは知っているだろうか? いや、知らないだろう。それもそのはず、これは俺が幼い頃に生み出した未知の存在の話であり、作者の俺ですら忘れそうになっていたのだから。だけれども、これは長い歳月を経て、作品としてではなく、手紙として完結した。俺はこの存在を、とある報せによって思い出し、噛み締めるように『最終話』を書き下ろさせていただいた。ゴールデンウィークの最中に俺が体験したことを、自分の気持ちに正直に書いていこうと思う。


【トイレの神様】とは

俺が曾祖母、つまりひいおばあちゃんのお家のトイレに掲示させていただいていた創作物。〝トイレの神様〟という未知の存在について触れた物語のようなものから、仕掛け絵本のようなギミックのあるものまで、その内容は多岐にわたった。曾祖母の家を毎回訪ねる度に、シリーズは更新されていき、全盛期にはトイレの壁一面が埋め尽くされていた。


そんな〝トイレの神様〟シリーズが完結を迎えることになったと聞いたのは、ゴールデンウィーク突入前の4月30日未明のことだった。実際にそう聞いたわけではない。曾祖母が天国に旅立ったと聞いたのだ。次の日から大学の講義を休み、伊豆に向かうことになった。

長い旅になると親から聞かされた。
人生という永い旅に比べたら、それほどでもないのかもしれないけど。ボストンバッグに沢山の衣服や、化粧品などを詰める。
「それは暑い」
「それは柄が悪い」
「それはダサい」などと言われながら、準備をし終えたのが深夜2時過ぎ。俺はくたびれてしまって、ベッドに倒れ込んだ。

明朝9時過ぎに家を出発した。
東京駅で予約していたチケットが発券できないトラブルに見舞われ、少しだけ殺伐とした空気になった。新幹線に乗車してからは、久々に家族で雑談をした。雑談が落ち着いてきた頃、束の間の微睡が訪れた。

眠りから覚めると、伊豆に着いていた。
伊豆の駅で迎えてくれた祖父母は久々の再会に嬉しそうではあったが、その顔には疲れが少し滲んでいた。

その日はバタバタと祖父母がお葬式の準備をするのを手伝ったが、お通夜や告別式は明日明後日で開かれるようだったので、食事をとりながら近況報告をしたりと、ゆっくりとした時間が流れた。

次の日は、朝早くから喪服に袖を通し、葬儀場へ向かった。演劇部に入ったばかりの俺は、渡された台本の中に「葬儀会社の男」という役があったことを思い出し、本物をしっかりと目に焼き付けようと思った。葬儀会社の男は、細やかな気配りがすごかった。そして、周りを見渡し、機敏に動いていた。

そんな特徴を押さえて演技をしようかなと思っていたら、母親と妹がひと目でわかるほど居心地が悪そうにしていた。するとそこに、さっきまで俺が観察していた葬儀会社の男が現れ、『ずっと立ってると疲れてしまうでしょうから、どうぞ座ってください』と椅子を薦めてくれた。

席につき、運ばれてきた渋めのお茶を飲んでいると、『トイレの神様はもう書かなくていいのか?』と父親が言った。そうだ。俺は最終話を書いていなかった。
俺は机上にあった便箋に、ペンを走らせた。

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俺はこう名付けた最終話を書き上げた。
あえて内容に触れることはしないが、
完成するまでは15分ほどだった。

お通夜が始まり、僧侶が葬儀場へ入場してきた。
俺は数珠をしっかり握り、礼拝をする。
僧侶は二人いて、両者は親子関係にあるらしかった。
だけれども、念仏の息は恐ろしいほど合っておらず、俺は「こいつらやる気あんのか」と眉をひそめてしまった。

だけども人間というのは不思議な生き物で、お葬式では故人をしっかりと悼み弔いたいと思うのに、眠気に襲われてしまい、瞼が閉じてしまおうとする。お焼香の順番が回ってくる2個前くらいに覚醒し、俺は背筋を伸ばした。

お焼香では、曾祖母を悼む気持ちよりも、礼儀作法が気にかかってしまう自分が情けなかった。お辞儀の角度なんかを過度に気にしてしまうのは、飲食店でホールスタッフをしたことがあるからかもしれなかった。

お通夜が終わり、何かが欠けてしまった気分で食べたコンビニ飯は、少し味が薄く感じた。頭の片隅では、自分が過去に書いた小説を思い出していた。
『風船と気球の交わらない夢』という小説である。
リンクはページの下に貼っておくとしよう。

『風船と気球の交わらない夢』という小説は、人の死や、毒親や、記者の炎上など、現代的でありながらも重いテーマを描いたものである。この小説に特筆すべき点は、主人公が父親の訃報を電話で知らされる所から物語が始まる点だ。〝登場人物の死〟から物語が始まるのだ。そして、葬儀の描写などが異常なほど緻密で鮮明なところも、この小説の特徴ではあったりする。

しかしまぁ、これを今現在の心理状態で読んでみると、その忠実さには少し嫌悪感を覚えたほどだった。けれども〝葬式〟は人間に寿命という概念がある限りは避けられないライフイベントであって、「嫌だ嫌だ」といって遠ざけようとするのも、それはそれでおかしな話だ。だから、俺はこういう〝死生観〟の解像度を上げられるような重い小説を読むのも時として必要だとは思うのだ。

葬儀場を後にすると、外は完全な夜になっていた。
風が吹く度に、伊豆の山々が仄かな匂いを放った。
季節外れの蚊が腕に止まったので、必要以上に強く叩いたら、怒っているのかと聞かれた。
怒っているとか、不機嫌であるとか、それ以前に今日味わっているこの感情には名前があるのか、そしてそれをどう処理すれば良いのか分からないのだ。
月と星が綺麗な夜だった。

一晩明けて、朝になった。
告別式が今日は午前中からあるので、俺は苦手な早起きをしなければならなかった。祖父の車で、再び葬儀場に向かう。富士山が見えた。

葬儀場の棺で、曾祖母は眠ったままだった。
俺はガラス越しに「おはよう」と声をかける。
目が覚めるはずもないのに、おかしいことをしてるよなと思った。数時間後に、式は始まった。司会の曾祖母が生きた数十年を知ったような口ぶりの言葉から、式は開かれた。親子の僧侶が入場してきた。今日はしっかりと息を合わせてお経を唱えられるだろうか。

昨夜よりも長い時間を掛けて、告別式は行われた。
親子僧侶は、昨日より息が合っていた。
告別式は平穏無事に終わり、出棺前に花を手向ける時間になった。俺は昨日完成させた〝トイレの神様〟を棺の中に飾った。花もたくさん手向けた。

『それでは、名残惜しい気持ちも尽きないとは思いますが、出棺の時間になりました』

葬儀会社の男がアナウンスし、俺らは手を合わせた。
出棺の時、俺は長男だから遺影を持つように言われた。遺影を持ちながら、どこを見ればいいのか分からなかった。

火葬場に向かう道中、俺は曾祖母の生涯を振り返っていた。享年94歳の大往生。曾祖父は曾祖母より数十年前に亡くなっているので、俺は詳しく知らない。だが、一家の大黒柱がいなくなってからも数十年間、曾祖母は家を守り続けたということだ。なんと素晴らしい。曾祖母は晩年、食が細くなり介護老人ホームに入居していたらしい。しかし、それでも94歳まで生きたのは本当に凄いと思う。俺は50まで生きれる自信すらないから。

火葬場に到着すると、死後の旅が安らかであるように、最後の礼拝と焼香があった。俺は心から手を合わせ、祈りを捧げた。

火葬が終わるまで、弁当を食べて待った。
祖父がからかうように、『彼は曾祖母の家のトイレにあった〝トイレの神様〟の作者です』と俺を指差し、紹介したので、俺は若干の気まずさを覚えながら、「どうも、ご無沙汰しております。私が、トイレ界隈では有名な〝トイレの神様〟の作者です」とおどけながら言った。ほとんどウケなかったが、数人は笑い、そのうち一人は『大ファンです!』と叫んでくれた。俺はこれで良かったのだな、とホッと胸を撫で下ろし、席に着いた。

いとこと談笑したり、時折親戚と文学の話をしていると、火葬が終わったので来るように呼び掛けられた。

骨上げをした後、それらは全て綺麗に骨壷に収まった。
俺はそれを、長男だからと渡される。
全身から冷や汗が噴出し、喪服を湿らせる。
俺は参列者が見えなくなるまで、その骨壷を持ち続けた。これが曾祖母の命の重みなのだ、と思いながら。
全ての行程が終わって、骨壷を手放した時、俺の手は情けないほど震えていた。痙攣を起こしているようにも見えて、それくらい緊張状態にあったのだなと思った。

数日後、曾祖母の家を何年かぶりに訪ねた。
〝レトロ〟なんてチープな言葉で片付けるのが失礼なくらい、趣ある一軒家だった。観音開きの戸を開けて、ひんやりとした室内に入る。畳の部屋には大きなピアノがある。だから、曾祖母は〝ピアノのおばあちゃん〟なんて呼ばれたりもしていた。

庭にはたくさんの植物があって、見ていると癒しが得られそうだった。ずっと襖がきっちり閉じられていた部屋も今は開け放たれていて、一抹の寂しさを感じた。

『お線香あげようか』

母親に言われ、仏壇の前に座る。
ここは確か、曾祖父の仏壇だったはずだ。
よく見ると、二人がそこに並んでいた。
俺は純粋に良かったねと思った。
曾祖母はやっと、愛する曾祖父の元へ行けたのだ。
天国でお幸せにね。
俺は手を合わせ、目を瞑りながら呟く。
「さよなら、トイレの神様」

最後に、曾祖母宅のトイレを見ていこうと思った。
俺より歳下のいとこも見たがっていたので、一緒にそこまで行った。祖父母から、貼ってあったものの大半を取ってしまったと聞いていたが、一枚だけそれは残っていた。あみだくじのような、めくるタイプのものだった。いとこがそれに触れると、ボロボロに劣化したセロテープと共に頼りなく落ちた。俺は少しだけ切なさに締め付けられる。

『あ、壊しちゃってごめんね』
そんな何気ない言葉にも、俺はホロリとしてしまいそうになる。むしろここまで壊れずに、壁にくっついていたのが凄いのだ。ひいおばあちゃん、残しておいてくれてありがとう。

ゴールデンウィークも折り返しになったくらいで、伊豆から実家へ帰った。その日の夜、俺はイヤホンをつけて、昔好きだった曲のプレイリストを聴いた。窓からは、満月が見える。俺は自分の中で欠けてしまったものを見つめているのに、月は綺麗に夜空を照らしていた。瞳の水面に映った月は、俺が溢れそうになるものを堪えれるほどに揺らめいた。これは〝切なさ〟でも〝悲哀〟でもなく、〝懐かしさ〟だなと思った。思えば、夜空に浮かんだ月を眺めるのも、音楽をじっくり聴くのも久しぶりだった。あの頃に戻りたいと思って手を伸ばすと、〝過去〟と〝現在〟のギャップに酔って吐きそうになる。傷だらけの自分が可哀想だから、他人にも同じくらい傷をつける権利が自分にはあると思って、暴力的な言葉を多用するようになったことに恐怖を覚える。もういつ死んでもいいやとか開き直って、自堕落になっている自分を他人事みたいに笑ってしまう。昔はこんなんじゃなかったな。人生は喜劇だって、誰よりも信じていたのに。過去に戻りたいと思いながら、暮らしのためのクソみたいな生活を送っていたら、春が終わろうとしている。このままの自分で生きてしまったら、人生の春もすぐに終わってしまうだろう。

■春の飛鳥山を歩く

このタイトルを見たあなたは、相撲の勝負かと思っただろうか。そうだったら嬉しい。俺の狙い通りだからだ。しかし残念。これは相撲の話ではない。ゴールデンウィークで唯一遊べた日の、ただの日記である。

高校生活が終わったと同時に俺は、バンド活動を引退した。高校ではバンドを組み、音楽をやっていたのだ。けれども、バンドメンバーとは今も親交があり、この日は彼らと久しぶりに遊んだのだった。

バンドメンバーのうち一人は専門学校に通っていて、その学校の最寄り駅が王子らしい。俺は「ディープな王子を案内してくれ」と集合場所を勝手に王子駅に設定したのだが、いざ顔を合わせたら、『俺、王子のこと何も知らないよ』と言われた。なんでやねん。

聞くところによると、彼は専門学校が終わると家に直帰するため、王子を詳しく知らないらしいのだ。
『あ、一軒だけあるわ』と言って彼が絞り出したのは、何故か古着屋だった。でも、悪くない、というか割と良い店だったから俺はたまに通おうか迷っているところだ。

この日は風が強く、俺が「王子の風は荒くて嫌だな」とイジったら、『王子のこと馬鹿にするな』と釘を刺されるわけでもなく、『ビルしかないからね』と期待外れの答えが返ってきた。俺はATMでお金を下ろさなければ遊べなかったから、「ATM探すわ」と言ってマップアプリを開き、検索をした。この時、彼が俺らの中で群を抜いて金持ちなことをイジり、「あ、○○出てきた」と俺が彼を指さすと、もう一人のバンドメンバーにめちゃくちゃウケた。

お金を下ろした後、王子で時間潰せる場所なんて飛鳥山公園くらいしかないのではという話になり、飛鳥山公園に俺らは入った。

飛鳥山公園には親子連れが多く、俺らは現役を引退したバスの車両に退避したが、その中にも親子連れが大勢いたので、なんとなく居心地の悪さを感じた俺らは、誰からともなく『どこか行きますか〜』という雰囲気になった。

バスの車窓から

王子駅前のバッティングセンターへ俺らは足を向けた。
1000円で3ゲームだったので、スリーピースバンドの俺らは、一人1ゲームづつ遊んだ。
ベースをやっていたメンバーが一番上手で、100キロのボールを打ち返していた。

その後、隣接しているゲームセンターで遊んだ。
『電車でGO!』という子供騙しだと俺がバカにしていたシミュレーションゲームで遊ぶことになった。
だけど、値段は本格的に200円を取ってきやがった。
俺は「いい度胸してんな」と思いながら、運転席に腰かけた。かつて俺らがよく世話になった京浜東北線を選んで、運転することにした。

やってみると、意外とというか普通にめちゃくちゃ難しかった。『あともう少し!』という評価をされ、俺は単純に悔しくなった。

それから俺らは、京浜東北線で王子の一駅隣である『東十条』で降りて、俺が行きたい場所に向かった。
それは、『喫茶 深海』という場所だ。
『東京カフェ散歩』という雑誌で読み、行きたくなったのだった。

ここが面白いのは、『十條湯』という銭湯の中に所在している点だ。俺は銭湯の方も気になっているが、この日は全員が入浴セットや着替えを持っていなかったため、喫茶だけを利用させていただいた。

看板

喫茶深海は隅々まで昭和レトロな空間が広がっていて、俺は子供みたいに大興奮していた。オーダーを取ってくれたのは、とてつもなく可愛いお姉さんで、俺らはそのお姉さんに始終照れながら注文をした。
俺は、『深海ゼリー』を注文した。

深海ゼリー

カウンター越しにお姉さんから直接受け取った『深海ゼリー』を口に運ぶ。割としっかりした食感で、味も爽やかで美味しかった。ちょっと贅沢なティータイムを終えた俺らは、深海を後にする。

暗くなった道で、「あのお姉さんめっちゃ可愛くなかった?」と少しだけ騒いだ。「飛鳥山公園と深海とどっちが楽しかった?」と俺が質問すると、バンドメンバーは『深海に決まってるやん!』と笑った。深海のメニューがちょっと高かったのではないかという話になったが、俺が「あの値段のうちいくらかがお姉さんの美容代に使われてると思ったら全然高くない」と言うと、一人が『きめぇ〜』と言いながらも、『ま、あのお姉さん見れただけで元は取れたか』とニヤニヤしながら言った。
俺はそれを見て吹き出してしまう。誰が言うとんねん。

俺が深海のお姉さんを口説くセリフ思いついたと言って、「貴女となら深海も深淵も怖くないから、共に泳いでください」と演劇部らしく声を張った。そうしたら、いつの間にか『キショい口説き文句選手権』が始まってしまい、色んなものが出た。

「俺は貴女に溺れたい」
「ほら見て! 君となら竜宮城もすぐそこだよ!」
「君との恋は深い海だよ」

そんなことをずっと言って盛り上がっていたら、ずっと黙ったままだったメンバーひとりが、『お前らとバンド組んだのここに来て後悔してるわ』と言って、全員で爆笑した。彼女のいない童貞バンドの楽しさは、こういうしょうもない会話だ。

くだらないことで笑う俺たちは、踏切にぶつかった。遮断機はけたたましい音で、周辺を赤く照らしていた。ここの周辺住民は迷惑だろうなと考えながら、やることもなく俺たちは立ち尽くすばかりだ。遮断機はなかなか鳴り止まない。鳴り止む気配すら見せない上に、電車は一向に通過しない。バイクライダーが腹立たしげにクラクションを鳴らした。俺らは、踏切の音のBPMを予想する遊びを始めた。結果的に正解に一番近かったのは俺だった。120と予想して、正解は130くらいだった。踏切は10分くらいしてから上がった。王子が専門学校から最寄りのメンバーが、『隣の駅から電車が出る時間とすれ違いで駅に到着する電車を待っているんだよ』と言った通り、8分近く待って電車が2本、反対方向にすれ違うように消え、遮断機は上がった。俺らが今、楽器を持っていたら踏切のBPMに合わせて音楽を鳴らすのにねと話した。

踏切の横の誰も住んでいない家

まだまだ遊び足りない俺らは、その足でカラオケボックスに入る。頑張って生きてたら、こういう楽しい日もあるんだな。もうそろそろ夏が来る。

【完】

↓『風船と気球の交わらない夢』


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