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セルフ純喫茶セット【エッセイ】

前回の更新から、だいぶ時間を空けてしまった。俺は悩んでいた。創作が足枷のように感じてしまい、自分自身が最も好きでいれる文章を書くという信念を見失いそうになって、小説連載を中止したのだった。それからも、連載が終わっていないことや、それ以外に実生活で迫ってくる様々な期限に心は粟立ち、終電で帰る我が家はいつも消灯されていた。電気は消えていてもすぐに付けられるが、自分の厭世観や孤独感を明るく照らすような光は見つからなかったし、現時点でも見つかっていない。夜明け前、何も欲しくないのにコンビニに足を伸ばして、不安であまりに眠れない場合は缶チューハイを、そうでない場合もカップ麺や無駄に高いアイスを買って家に帰った。東の空が明らみ始めた頃に、コンビニで調達してきたカップ麺を食べ終わり、酒を飲み干したら、重たい遮光カーテンをびっちりと引く。こんなことを繰り返していたら、ある日嫌な夢を見た。今じゃちゃんと思い出せないけれど、自分が軽蔑している人間に罵られる夢だった気がする。それから現実世界でそいつに会ってもよそよそしい態度を取ってしまうようになって、そんな自分が心底嫌になった。そもそも、俺が知人友人を軽蔑したりバカにしたりできるのは、自分が人間の最底辺であることを自覚しているからであって、例えば自分が人間として尊くあることに拘りを持っていたなら、毒を人に向けるようなことはしないだろう。小学生の頃、自分よりも弱い奴にトイレで水を浴びせていたあいつの方が、分かりやすく愚かな人間だった。同時期、公文の教室で東野圭吾の『白夜行』を読んでいたあいつの方が、よっぽど人間として優れていた。俺はそのどちらにも属さず、影で鉛を食って命を繋ぐだけの空気だった。

独房にでもぶち込まれたいと思った。未来に希望を抱いてしまう細胞を全て切除して、何も生産できない屍になりたいと思った。生産が出来ること、或いはそれを他人にも強制しようとする俺の無言の圧力が、罰として跳ね返ってきた。氷のように、硬くて冷たかった。

眠らなきゃいい。ある日、そう気がついた。眠りさえしなければ、人間ではない何かになれるかもしれない。家族に黙ってTinderをやっていることも、部屋に隠していた酒瓶に気付いても俺を咎めることなく整頓だけしてくれた母親の優しさも、全てが恥ずかしかった。そんな恥から逃れるためには、もはや人間であることから降りるしかないのだと思うようになった。そして、生まれたのが【脱人間作家】なる小説だった。俺はしばしば、あの小説の主人公に招かれるようになった。堕落の底から伸びてくる手が、俺を宇宙へ飛ばそうとするのだった。

なんだかもう、死ぬ以外に扉を開ける手段は無いのではないかと思う。この文章を知人ならまだしも、勝手に読んで同情して「救われた」なんて思いを抱く作者がいるとしたら吐き気がするし、小説を書くことの苦しさを錘のように身体に括りつけて海に沈めてやりたい。きっと息が出来なくなって、奴は死ぬ。

俺は自分が嫌悪する人間に、目一杯の笑顔とありったけの愛を提供するようになっていた。俺に愛されて幸せを感じるような人間は、愚かであることが明白なのだから壊されて然るべきだ。結果論として「壊してしまった」と肩を竦めてみせることだって俺はできるし、愛を疑えない時点でそいつは24HTVが完全なチャリティー番組であると信じて応援してる幼気なガキか、メンズ地下アイドルに沼るメンヘラ緩まんこと変わらない。

深夜に何を食おうが飲もうが、俺は生まれ落ちた瞬間から罪人で、暴力的な思考を文章に昇華することができていなければ、とっくに人を殺していてもおかしくない。殺人と比べてしまえば、酒をフライングで飲んでいることも、嫌悪する対象に惜しみない愛を注いで壊そうとしているのも、さして酷いことであると思えない。

いつだって幸せは夢幻なのだから、例えば楽しいと思った瞬間の自分は虚偽で、病んでいる間の自分が本物なのだと思うことにする。カメラロールに気がついたら残っていた、このセルフ純喫茶セットもこの思考法にかかれば、「なんの悪い冗談だ」と笑えるものだ。しゃぶらせたいか、黙らせたいか。ただそれだけ。燃やしたいか、沈めたいか。ただそれだけ。それだけのことが、上手くできない。ただ上司に叱ってほしいという思いが言えずに、わざとミスを犯してみることでしか、上司に注目してもらえない。ただ一緒に寝たいという想いが伝えられずに、紳士みたいな顔で手を振ることでしか、何度も何度もあの子の匂いを浮かべて抜くことができない。俺はつくづく不器用で、だから夜の世界に少しづつ足を踏み入れつつあるのだ。

BARのアルバイトを始めた。試用期間の今は時給もそれほど高くないが、ここを切り抜ければガッポガッポ稼ぐことができる。お前の安い心配はいらない。俺の綺麗な手がボロボロになって涙を流す日までは、きっと。俺は告げる。

自分が弱いと分かっているなら、揺りかごのような優しさも、陽向のような暖かさもいらない。そんなものに甘えているくらいならば、夜の北風の冷たさにいたぶられながら、怒りの力でどこまでも行きたい。自分を限界まで高めて本を出せるようになるその日まで、ぬるま湯のようなあなたに、この世の全てにさようなら。

【愁】

小説『不埒な果実は春を見ない』の連載が再開する見込みが立ちましたら、また発表させて頂きます。それまでに『憧憬の道、造形の街』の新作なども出す予定ですので、気長に待っていただけると作者としても幸いです。

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