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映画自評:自分の感性で素直に「枯れ葉」と対峙してみた。

噂の「枯れ葉」を観てみた。
正直に言うと観る選択肢になかったのだが、2023年度末になると皆さんが行う今年のベスト10にこの映画が入っているケースが散見されたので、とにかく一度観てみようと思い直し観に行ったのだ。
日曜日のミニシアターだったが、それなりにお客さんが入っていた。皆さん、口コミ客なのだろうか…。
以下ネタバレあり。


この映画といい、「パーフェクト・デイズ」といい、人という一人の人間の幸せと世界で起こる不条理な戦争という大きな出来事との乖離を同時に淡々と描くことに意味があり、価値があるとボクは思う。
「パーフェクト・デイズ」では、下界の狂騒に触れない不自然さが逆に際立つ結果になっているとボクは解釈している。ともあれ。
プロデューサーの意向なのか…。

「枯れ葉」のフィンランド女性の静かな意思の強さと折れない心は、監督の女性を見る目とそれを表現しようとする意志の表れであろうか。何もフィンランド女性が全員が全員彼女たちのようではないと思うが、「枯れ葉」の女性たちは静かに強い。米国女性のような強さではない。(失礼!)
女性を誤解なく表現しようとする敬意を感じる。

また、疑問も色々とあり、
時代背景は間違いなく現代(ロシアの戦争からして)のはずだが、ラジオにしてもテレビを付けないことにしても、互いの連絡手段を筆記にしてロスする手法にしても(なぜスマホでやり取りしない?)、重度のアル中が自分自身の力でアルコールを抜くことができるのか、など、
微妙に設定の「ズレ」みたいなものを感じる。これはわざとそうしているのだろうか。

この映画の気になったポイントのもう一つは、相棒の存在。
女性にも決して見捨てず、連帯して戦う姿勢を持ちその後も友として関わり続ける人がいたり、女性から家族のように迎え入れる存在となる犬が居たり、男性にもアル中であるにも関わらず、アル中であることを非難することなく友として関わり続ける関係の存在の相棒が居る。
人には多くの友が必要ではなくとも信頼できるごく少数の友が必要だというメッセージを感じた。
薄い関係の多くの友より、濃い関係の少数の友がいいのね。

40代ともなると一人でいると、今までの人生を想い、これからの人生を考えざるを得ない。もちろん、50代でもそれ以上、それ以下でもそうだが。
その辺りの描写がこの映画では多く男女に共にあった。
共感を生むところではないだろうか。
多くは将来に不安な心持を抱え、考え込んでしまう。そんな時に差し込む一筋の光があれば誰しもその光に向かって希望をもってしまうもの。
フィンランド女性の素晴らしいところは繰り返す過ちを断絶する意志の強さだ。父親、兄と見てきた過ちの系譜をもう繰り返さないと決心した意志を貫き通す強い心は、アル中を変えてしまう。
結果的に事故による意識不明期間でアル中が抜けたと解釈したが、女性の強い心が男性の行動を変容したのだろう。

軽いユーモアもあり、最後に光明が差して終わるところなど良い点も沢山あるが、全体的に暗い。
もう少し明るかったら、ボクの評価も高かったのにね。
(相当上から目線で終わる。ゴメン。)



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