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不登校は甘えなのか

息子は不登校である。

理由は学校のシステムが息子の特性にどうしても合わないから。

・高頻度の席替え(環境の変化)に疲れる
・重い荷物を背負って歩いて登下校がつらい
・行事による時間割の変更に対応できない
・先生の声を張った指示が聞き取れない
・黒板の字をノートに写すことにとても時間がかかる(他の子と比べて5倍以上だと言われた)
・ざわざわした環境での会話が聞き取れない
・感覚過敏のため糊を指につけることが苦痛

他にも細かなことはたくさんあるけれど、こういった日々の積み重ねにより過剰適応となり、学校では自分のしたいことより他の子のことを優先してしまうようになった。

その結果、家へ帰ると学校で我慢してきた分が大爆発して癇癪となり毎日地獄のようだった。二次障害となってしまったのだと、いまとなればわかるが当時は訳がわからなかった。

息子には知的はない。特性に合った取り組みをすれば他の子と変わらず勉強できるはず。合理的配慮を求め学校側と面談もしたが、ほぼ暖簾に腕押し状態。担任1人に対し児童30人。圧倒的に手が足りないのだろう。こちらが学校で学ぶことを諦めるしかなかった。

いまでも息子は学校は疲れるから行きたくないという。

そうはいっても社会へ出れば疲れるからしたくないでは済まされないことはたくさんある。と思うこともあるが、大人になればその会社が合わなければ職を変えて居場所を移すことができるが、子どものうちはそれすら出来ない不自由な環境なのだと気づいた。

これは極論だが、学校へ行きさえすれば、席につくよう促され先生が授業を始め、勝手に新しい情報が流れてくる。先生に言われた通りのことをやれば、そこそこ知識もつくだろう。ほぼ受動的に学ぶことができる。

だが不登校だとどうだろう。授業を受けるにも、自ら情報をとりに行かなければならない。わからないことがあれば自ら調べて答えを導かねばならない。常に能動的に学んでいく必要がある。

息子が不登校の道を選んだ時、私は息子が嫌なことから逃げているだけなんだろう。いまさえ良ければいいと思っているかもしれないことに不安があった。

だから話した。学校へ行かないのは一見楽な選択をしたように感じるかもしれないけれど、実際は厳しい道のりなんだと。私は教えるプロでもなんでもない。息子と一緒に学んでいくことはできるが、息子は自ら学ぶ力を姿勢を身につけなければいけないよ。と。

一言で不登校といっても、人によって理由はさまざま。それぞれ自分に合った方法で日々を過ごしていると思う。誰もその人たちの過ごし方や生き様にとやかくいう権利はない。

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