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J・コルビオ監督の『カストラート』を観、A・コルビオ『カストラート』を読んでから、ヘンデルの「Lascia ch'io pianga(私を泣かせてください)」が頭から離れず、日々色んな方の歌ったのやピアノで弾いたのを聴いている毎日です。

カストラート。少年のような声のまま男性の肺活量を持った、声のためだけに去勢された歌手。16世紀頃に生まれ、19世紀頃に禁止になった人体改造。

女性のソプラノでも、少年の声でもないカストラート(映画は男声と女声を合成したものですが…)特有の歌声に虜になってしまい、ファリネッリの「Lascia〜」を物語の流れの中でもう一度聴きたくてたまりません…中古でもあまり見ないし、見かけたらめちゃ高いし……サントラはそもそも高いし……。

故にカストラートの存在そのものに興味が湧き、それから派生して西洋音楽史にまで手を出し古楽を聴きまくっています。
クラシックって昔の音楽全体を指すのかと思っていたのですが全然違うらしいですね、バロック、古典派、ロマン派…色々あるらしいです。よく耳にするクラシックはBGM程度でしか聴いていなかったのですがちゃんと題名と照らし合わせてその作曲家の特徴を捉えて聴くと面白いことに気づきました。

時代毎に、王に捧げるための楽曲だったり市民が楽しむために作られた楽曲だったりがあっていろいろな環境や情勢、思想から一曲一曲が醸成されているんだなあ、と。

本を読んでクラシックが誕生するよりももっとずっと昔、グレゴリオ聖歌の存在を知り、聴いてみたのですが修道士の声が何重にもなって教会の壁や天井にあたって広がり、なんとも言えない厳しい、それこそ神への捧げもののような歌でした。

神への捧げものから、王が自らの権威を示すため、それから市民による市民のための音楽、そして現在の音楽へ。
次はどこに向けて誰のための音楽ができるんでしょう。

このような過去があったということを理解しつつも、もう聴くことがかなわない、カストラート─去勢歌手─の歌声を聴いてみたい思いが膨らんで仕方ない。史上最後のカストラート、アレッサンドロ・モレスキの歌声がYouTube上にあるので気になった方は是非。

観られない聴けないものを感じるために文学の力を借りることにします……。

以下はカストラートが登場する、私が知っている範囲の本。もっと他にあったら知りたいよみたい。
A・コルビオ『カストラート』
皆川博子『死の泉』
森下典子『前世への冒険』
高野史緒『カント・アンジェリコ』
パトリック・バルビエ『カストラートの歴史』(下2作は未読)

『カント・アンジェリコ』『カストラートの歴史』は本当にお店で見ない……読みたいなあ。



#日記
#カストラート




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