きいろ
絵を描いていた
周りに子供達が寄ってきた
絵を見せてと言われた
たしか人の顔を描いていて、そのときは肌色を塗るのに黄色を使っていた
まだ人種差別を知るよりずっと前のことだったので黄色い肌が何を指すかもわかっていなくて自由に描いていた
だってはだいろではだをぬっても、はだいろになんかならないし どうせ絵なんて偽物なんだから、好きな色で塗ればいいじゃん
そのときは色を重ねるだとかそんなのもしらないからそう思ってた
寄ってきた子供達に「なんで黄色いの?」ってきかれた、聞かれるだろうとは思ってたけど
「だって、絵だし」
としかこたえなかったから
へんなの
としか言われなかった
むかつきもしないし、こどもだからわかんないよな、はだいろのことみて絵なんかかかないもんね。空は青、太陽は赤、みんなそうやって描くんだもんね、全然違う色で、多分ぶんぼうぐやさんにある高い絵の道具じゃないと出せないもん
小さいのもあってそう思ってた
数年後少し大きくなって、顔の書き方を変えた
鏡を持って、自分の顔をじっと見て、初めて眼球をしっかりみた なんどもまばたきしながらスケッチした スケッチを参考にしながら、そのあとは絵を描いた
なにかいてるのっていわれてのぞきこまれた
何も言わないで勝手に覗き込まれてるのを無視して描いてた
マリちゃんの絵、怖い
こわい?どこが?
かがみ、見ないの?
目ってね。キラキラのところと黒いところだけじゃないんだよ。まんがとちがうんだよ。いっぱいの線が、ぼやぼやした黒いわくのなかにあって、ガラス玉みたいなのじゃなくてもっと白玉みたいにどろっとしてて、まぶたのうえからおすとブニブニなんだよ。
開いてる目は、ジッパーを開けてるみたいな、とりあえずまんまるじゃないんだよ。
ほんとにしらないの?
変って言われたことより、みないでものを言ってる人の方がへんだなってそのときはおもってた
人に物を伝えるのには、あいてにわかりやすく、くだいて、シンプルに、わかりやすく、一本の線と、黒塗りと、たまにしろくぬったりして、そうやってわかりやすくしないといけないのかな
そのときはそうおもった
いまもかわんないことをあらためておもいだした
絵ってなんで描くんだっけ?
無性に気持ちが湧いてきて、その気持ちに形や影をもたせて、おもってることとなるべくちゅうじつに紙の上に組み立てていって、
で?
変な絵
変な絵
変な絵
変な絵
変な絵
変な絵
変な絵
変な絵
わかんない絵
わかんない絵
わかんない絵
自分にはよくわからないけど、いいね!と突き放すような言葉だから「アートだね」って言ってくる友達にはその言い方はおかしいよって言ってきた かわいいなあ。
好きな絵を描く人が言った
絵が描けない時があった、絵なんか描いても、ゴミを増やしてるだけで、何がアートなんだって
美術を教えてる先生なのに、そう言った
自分は教わってないけど、好きだったから、そのときすごく悲しかった
でもまた、ぐちゃぐちゃの線からはじめて、色を塗って、少しずつ楽しくなってきたところ、と言ってた
全然ぐちゃぐちゃなんかじゃないのに
見方や描き方がわかってるから
どんなに崩して描いても 線の重なりが特別な細工のように きれいなのに
きれいな絵
ひかれる絵
心をぎゅっと握ってくる
それでまた 豆電つけて
いつまでたっても 描いている
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