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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

【VRAINS考察】キヨピーの原罪【鴻上博士】

※23/1/3 博士の経歴に関する記述を一部修正
※23/1/8 コメントに対する返信を追記

 ☆Twitterトレンド常連・ジャンプコミックスから全2巻が刊行中。特別なAIの力を借りて地球人類の限界を引き延ばしたいキヨピーが、失敗を取り返すべく死の淵から蘇り仲間達と奮闘する話題沸騰のヒューマンドラマ、アニメファン待望のコミカライズ……そんなものはない。

 先日、VRAINSが放送5周年を迎えたらしい。1年目は動画配信派だった身としては個人的に放送終了日の方が印象深いが、何にせよ記念日が存在し、好きなものに想いを馳せられる機会があるのは素敵なことだ。

 今でもVRAINSのコミカライズを望む声、他のシリーズにはあってVRAINSだけ書籍によるメディアミックスが存在しないことを嘆くファンは多い。
 ただし、集英社もKONAMIもNASもテレ東も関係各社が各々の商売のため真剣に企画を練って広告を打つために効果的な他媒体へ出資しているので、購買層の7割が小・中学生のVジャンプ(「SHUEISYA MEDIA GUIDE 2021」より)で数年前に終了したアニメ原作のコミカライズを作家に依頼・限られた掲載枠に詰め込むだけのメリットがどれだけあるかを考えた上で、集英社とKONAMIとNASとテレ東とVRAINSファンとVRAINSに関心のない読者の全方面に利益の出る具体案を合わせて要望を出すのが理想的な行動と言える。
(SNSでの評判・COSPAグッズなどの売れ行きを公式はおそらく把握しており、「手広く広告を出さずとも口コミ・サブスクで新規ファンは増え、グッズを出せば既存ファンが買い集める」というデータを取られているため、新規顧客(若年層)開拓の必要があるラッシュデュエル・付録のために毎月本誌を購入(検討)しているOCGファン向け閃刀姫コミカライズに勝る説得力を出す以外にコミカライズが実現するとすれば、何らかのアニバーサリーによる利益度外視ファンサービスや、メインライターが新規タイトルではなく一度書き終え完結させた作品をあえてリバイバルする手間をかけてでも再び書きたい・何かを伝えたいと思い立つタイミングを待つくらいではなかろうか)

はじめに

この記事はTVアニメ「遊☆戯☆王VRAINS」に登場するキャラクター・鴻上聖(通称:鴻上博士)がどういう人物であるかを、作中描写と個人的見解から解説するものである。本編98話までの情報を前提にした記事のため、未視聴の場合は閲覧を推奨しない。

 VRAINS視聴者が作品を総括する際、感想は主に「(Ai編を指して)愛の物語だった」と「すべては鴻上博士が起こした無茶な計画が発端だったのか(43話草薙翔一の台詞引用)」で二分される。
 登場キャラクターがもれなく酷く辛い運命に振り回され、苦しむことに定評のあるVRAINSだが、彼らの苦しみの発端はまさに鴻上博士という一人の登場人物が立案し実行した研究実験に起因する。
 全120話に渡って広がり続けるその被害規模の大きさから、本編を観たことがなくとも博士の名前や上記台詞「すべては〜」を知っている者も多く、人気・有名作品と肩を並べて悪役・元凶に関する話題で挙げられることもある。
 存命中に被害者から罪の報いを受けることや償いの意思を見せることもなく、息子に未来(後始末)を託して(本人的にはいい感じに)死亡したという怒りのやり場のなさが、勧善懲悪を望む視聴者からすればツッコミどころ満載の振り切れ具合に思えて、ある意味で語りたくなる謎の面白みを持った特異なキャラクターに映るのだろう。

 当記事はそんな博士を考察・解説することが目的だが、ただキャラクター概要や作中での行動を紹介するだけでは検索候補のトップに表示されるサイトを見たほうが早い。だが、それらの記事はいずれも再編集の余地があると個人的には感じており、それらを直接修正したり他の編集者と議論を交わすよりは個人的な見解と銘打った上で1から10までを書いた方が早いと判断した。

 またしても前置きが長くなったが、今回は「ハノイの騎士編」で説明された内容・時系列を整理し、本編で深く言及されなかったロスト事件(イグニス開発)や長期に及ぶ児童監禁実験の必要性、鴻上博士の思想や研究の動機、博士の抱える問題・罪とは具体的に何だったのかについて考察をする。
 いくつか作中の事象に関して現実に存在する自然現象・研究などを引用していること(本編外の要素)、いずれの分野に関しても筆者は専門知識・資格を持っていないこと、あくまで個々の情報をつなぎ合わせただけの独自解釈であり、公式見解と合致するとは限らないこと、被害児童への仕打ちなど博士の犯した罪を肯定する意図はないことを前提に読んでいただきたい。

鴻上博士はどういう人物か?

 本編未視聴でネットミームとしての博士しか知らない層でも、VRAINSにおける彼の活動のあらましは知っているだろう。
 鴻上 聖(こうがみ きよし)はVRAINS放送1年目「ハノイの騎士編」に登場する研究者であり、主人公Playmaker達が敵対するサイバーテロ組織「ハノイの騎士」表向きのリーダー・リボルバー(鴻上了見)の父であり、実質的には首魁的立ち位置の人物だ。
 サイバース狩り・イグニス捜索のため電脳世界で暴れ回る部下と対照的に、博士は主にハノイの騎士が拠点とするサーバー内だけで活動している。データマテリアル制御プログラムやハノイの塔プログラムなどの開発によってリボルバー達をサポートし、イグニス抹殺という目的遂行のために暗躍していた。
 表立って行動できないのは、彼が現実世界では電脳ウイルスの影響で昏睡状態に陥っており、意識をデータ化し反映した電脳空間の中でしか行動できないからだ。頭脳や記憶は健在であっても、現実の肉体は再現された姿よりもさらに衰弱し、生命維持装置と息子である了見の介護によってなんとか生かされているような瀕死の老人姿で、作中では鴻上了見の暮らす邸宅内、オーシャンビューの一室に寝かされている。

 以上はハノイの騎士編における博士の大まかな紹介である。次は本編で描かれた範囲で、博士がその生涯で行った活動を時系列に沿って列挙する。

博士の生涯

  1. 事件を起こす以前から「肉体という弱点を抱えた人間の限界」を憂い続けており、肉体に縛られず高い知能を持つAIに人類という種の寿命を延ばす手助けをしてもらうこと・人類絶滅の際にはそれまで築いた文明を託す後継種になってもらうことを目的に、意思を持つ特別なAI「イグニス」の開発計画を立案、数名(三騎士ほか男性3人が関与?)のメンバーを伴って実行(ハノイプロジェクト

  2. 本編開始から10年前、イグニス開発データ取得のためにデュエルが得意な6人の子供を誘拐・監禁し、了見の通報で事態が発覚するまでの6ヶ月間、命がけでデュエルを続けさせる過酷な実験に巻き込む(ロスト事件

  3. 了見の内部告発による事件発覚前後、事態が露見することを恐れたSOLテクノロジーに監禁という形で匿われ、研究を完成させる。その後、会社に押収され運用を開始したイグニスの創り出した特異な情報物質「データマテリアル」がSOLテクノロジーにとって莫大な利益を生み出す。一方で、博士は自分にとっての本来の目的である「イグニスと共に歩む人類の未来予測」を数十億回にわたり試算するも、「イグニスにより人類は滅亡する」という結果が変わらないことから不安を覚え、利益を重視するSOL上層部にイグニスの危険性を訴え続けたため会社との対立を深める。

  4. 博士が上層部との対立によって身柄を拘束された一方で、同時期にシミュレーションを終え、自分だけが抱えた欠陥に気付かれること・処分されることを警戒した光のイグニス(以下:ライトニング)は先手を打ち、博士は会社のサーバーを通じて電脳ウイルスを仕込まれる。SOLテクノロジーは目覚めない博士を死亡したと見做し、ロスト事件から数えて3年後に昏睡状態となった博士の体(公的には死体)を了見のもとへ送りつけるが、その2年後には三騎士の力を借りた了見が電脳空間上に博士の意識データを再現することに成功し、復活を果たす(しかし博士は事件隠蔽を目論んだ会社に監禁拘束された・利益を重視した幹部と対立していたなどの状況証拠から、電脳ウイルスを仕込んだ犯人がSOLテクノロジーであると誤解していた)

  5. 昏睡前に行ったシミュレーションの解析をもとにイグニスの抹殺を決断し、ハノイの騎士を結成。同年、イグニス達が暮らすサイバース世界を襲撃するも、敵の急襲に備えていた闇のイグニス(以下:Ai)の機転によりサイバース世界をネットワーク上のどこかに隠される。唯一その居所を知るAiのデータの一部を取り逃がしたことから5年間にわたる捜索活動(サイバース狩り)が始まる

  6. ロスト事件から10年が経過。SOLテクノロジーによるイグニス捜索のためのLINK VRAINS内大規模スキャンに乗じ、襲撃事件を起こしてAiを追い込むが、ハノイの騎士に対抗する切り札を求めていたPlaymakerに妨害を受け、Aiを奪われてしまう。正体不明であるPlaymakerからのAi奪還に失敗し続ける現状を鑑み、ネットワーク全てを破壊して世界中に混乱を招きかねない最終手段「ハノイの塔」プログラムを起動。戦いの途中で重傷を負ったリボルバーのアバター修復と引き換えに全ての力を使い果たし死亡する


「人類のため」は矛盾している?

 43話でここまでの経緯を明かされた視聴者の感想は大体同じものだろう。
 理想のために大勢の人間を巻き込んで傷つけた挙句、自分の生み出したAIに問題があると判明すれば抹殺のために多くの人や社会をまたも犠牲にしようとする身勝手さ。息子である幼かった了見に長い葛藤と罪悪感を与え、尻拭いとも言える使命に付き合わせて犯罪組織を結成する親としてあるまじき姿。被害者への償いよりもイグニスを優先し、首謀者の責任を取ろうとする姿勢も見せないまま他界したため、怒りのやり場に困る被害者(とその家族)と必要のない責任を負おうとする加害者遺族が争う図を見せられ、悪役を倒して万事解決、のような王道から外れて視聴者を選ぶ釈然としない展開。批難されるのも当然の生涯だ。
 「覆らない・取り返しのつかない事象にキャラクターがどう向き合うか」を頻繁に描くVRAINSだが、鴻上博士は原因を精査しないまま(その前にライトニングに手を打たれ)変わらないシミュレーション結果から自身の発明を間違いだと判断して意思の芽生えたイグニス全ての消去を決定し、原因の大元を断って予測を覆そうと試みた。
 8話で「我が子を手にかけるも同然だから」と苦しむ描写を挟んでいるものの(尺と作画の都合もあれど)葛藤する場面や表情をあまり見せず、事態の大きさに加えて合理的思考ゆえの即決ぶりと大義のための犠牲を厭わない姿勢もマッチポンプという印象が激しい一因といえる。

 つい博士の起こした被害の多さに注目しがちだが、一見するとその行動に矛盾が生じていることに気付いただろうか。
 彼は人類のためという目的を掲げておきながら、世界インフラや大勢の命を犠牲にしてでも「イグニスの抹殺によって人類滅亡の未来を防ぐ」という使命を優先して大罪人の誹りも気に留めず大規模サイバーテロであるハノイの塔を起動しているのだ。
 一体なぜ博士は、自分への評価や所属していた会社の利益・技術発展にも関心が薄く、他人の命を粗末に扱い、幼い子供やその縁者を犠牲にしたにもかかわらず、老いた自分には関係ないであろう未来における「人類の後継種」を求める必要があったのだろうか。

 作中描写で導き出されるその理由は息子である了見への愛情、そして人間への失望である。

ライトニング=鴻上博士説?

 見るからに与太話と思われかねない見出しだが、順を追って解説していく。
 博士が人類の後継種を必要とした理由については前回の記事で既に触れているが、前提情報として改めて説明する。


「人類の危機」は必ず訪れる

 鴻上博士は、来たるべき人類の危機を懸念して、人間の限界を引き延ばすためのサポートをしてくれる・共に築いた文明を最終的には引き継いでくれる後継種を求め、意思を持つAIを創り出した。
 この「人類の危機」というワードはホビーアニメではそう珍しくない展開なだけに、人間とイグニスの争いが主軸になっていったイグニス編以降のストーリーには具体的に反映されていないことで、そういった事件の勃発を期待する視聴者からするとますます博士の思い込みによる取り越し苦労だったように感じられるのかもしれない。路線変更による没案と見る向きもあるようだがそんなことはなく、むしろ物語根幹の重要テーマとして最終話まで関わってくるのがこの「人類の危機」なのだ。

 43話で鴻上了見を通して博士が語った人類という種の限界とは、肉体の脆弱性に起因するものだ。
 人間は栄養を摂らなければ、水がなければ、空気がなければ生きられない。強い衝撃を受けて重要な器官が傷ついたり、酷暑や極寒などの極端な環境に晒されたり、老化や病気によって細胞・組織の能力が低下していけば肉体は生命を維持できなくなる。これは一個体として見た人間の生命活動の話だ。
 人類という種族の死、つまり絶滅(滅亡)について。生物の絶滅理由といえば一般的に、隕石の衝突や狩猟・駆除などによるもの、生息環境の変化や亜種交配なども思い浮かぶだろう。野生動物の絶滅には人間の活動が密接に関わっていることも多いが、当然これらの要因は人間にとっても当てはまる。

 感染症のパンデミック、不穏な世界情勢や物価高など、生活に直接影響を及ぼす問題が立て続きに起こる昨今、将来の暮らしに少しでも不安を覚えたことはないだろうか。
 命に関わる病気の蔓延・自国が戦争に巻き込まれる危険などの直接的な被害を警戒するのはもちろんだが、情勢や気候の変化により食糧や天然資源の産出国にトラブルが生じることで輸出入に支障があれば、供給が不足して物価は跳ね上がっていく。医療の進歩や経済の発展によって世界人口は今後も増加していき、エネルギー資源の価値もますます上昇していくだろう。
 このまま更に状況が悪化していけば、先進国であっても満足に生活することの難しい未来が待っているかもしれない。

 ここ数年の大きな出来事から意識する機会が増しただけで、そういった懸念はずっと以前から存在する。
 日に日に進化していく文明、医療制度の充実や所得水準の向上によって伸びた平均寿命。年々増加する世界人口に対して消費され続ける、限りある天然資源。VRAINSで語られた総人口80億に対し、我々の暮らす現実世界での人口はVRAINS放送開始の2017年時点でおよそ76億、放送終了後の2022年現在およそ79億人。あと数年で彼らの世界を追い越さんとする勢いだ。
 技術が進歩すれば人類は増え続ける。しかし、地球の天然資源には限りがある。CO2とH2からなる合成燃料、電気分解を利用した合成食品など、代替技術の開発は着実に進んでいるが、どれだけ今を凌いでもいずれは枯渇し限界に達する日が来るだろう。居住地を他の惑星へ変えようと、人類の歴史が続くかぎり(または人間の肉体が環境に適応変化していかない限り)そういった課題は永久につきまとう。

 現実世界でも「エコロジー」「エネルギー問題」「食糧危機」という形で人類の滅亡を防ぐための研究は各国で進められている。106話回想シーン(ロボッピが学習する際に眺めていた映像)から読み取るに、VRAINS作中の”地球”もこちらとそう変わらない世界観だとなれば、鴻上博士の懸念する「人類の危機」は数十・数百年は先の話だとしても決して突飛な発想とは呼べない、全人類が共通して抱える身近で重大な問題なのだ。

 そして鴻上博士は上で述べたような対策に直接取り組むのではなく、そもそも食糧や環境に依存するかぎり限界は免れないという人体の欠陥に焦点を当てた。
 絶滅こそ避けられないが、高度な知能を持つAIであれば人間が考えるよりも効果的な対策を即座に考案できると考え、環境変化や時間にも左右されない不老不死同然の特性を活かして長期にわたり人類をサポートしてくれることを博士は期待した。

博士に残された唯一の希望

 そして上記の疑問に立ち返るわけだが、博士はなぜ尊敬されていた肉親からも「考えに取り憑かれ」たと評されるほどにこの研究へ情熱をむけたのだろうか。

 まずはじめに、博士が肉体を持たないAIに希望を見出したのは、おそらく博士自身の老化が着想元の一つだったのではないだろうか。
 彼の正確な年齢は発表されていないものの、SOLテクノロジーによる監禁時点(本編から10〜7年前)で電脳空間に反映された意識データと変わらない容姿をしており、了見が18歳となる頃には(植物状態で筋肉が衰えているとはいえ)皺だらけで瘦せぎすの老人姿になっている。
 自身の老いを実感し寿命を意識しだす年齢であると同時に、プロジェクト立ち上げの段階ではかなり幼く年の離れた息子の存在も彼の中では大きいはずだ。
 どういう経緯か不明だが、回想には配偶者の存在がない(死別や病死なども考えられるが)ことからも、年老いた博士が自分にはあまり関係ないであろう未来を不安視する理由は、研究者としての正義感や使命感よりも息子の今後を思うがゆえと見る方が自然だろう。
 老い先短いであろう自分が、これから一人で生きていくことになる了見のために何を遺し、いつまで彼の成長を助けられるか。そういった父親としての想いがイグニスという”救世主”のコンセプトに繋がったと推察する。

 博士の人生哲学は、親子二人が自宅からスターダストロードを眺める回想に表れている。
 スターダストロードは作中で草薙翔一から「プランクトンの発光による現象」と説明される光景だが、現実にもこれと似た現象が実在する生物の特性によって起こると判明している。

 人類が終末に抗えないように、小さなプランクトンが集まって発光し、その光に捕食者が驚いているうちに逃げ延びることはできても、大波に抗うことは難しく流されてしまうのは仕方がないことだ。
 博士はその輝きが一望できる崖の上に居を構え、了見に何を教えたかったのか。8歳以下の我が子に対して人類滅亡についての話題をよく口にしていた博士は、自然現象に抗えないプランクトンの儚い生命を自身の思想に重ねていたのだろう。
 だが博士が了見に教えたかった本質は、有限でありながらも生きるために足掻き、困難に立ち向かう生命の美しさだと思われる。
 「了見」という言葉に「思考を巡らすこと」の意味があることからも、父親である博士は一貫して息子に、考えることで逆境を生き抜く強さを持ってほしいと考えてそう命名し、あの光景を道しるべに据えて教育したのかもしれない。こういった要素からも、鴻上博士が了見に対して深い愛情と父親としての誠実さを持って接していたことは明らかであり、42話で息子に語った言葉はうそ偽りのない謝罪と激励のメッセージなのだろう。

 懸命に生きることを了見に望んだように、博士自身も限りある人生を研究に費やそうとした。父として息子に少しでも豊かで素晴らしい未来を託し、それを次の世代へと繋いでもらうために。ゆくゆくは我が子同然のイグニス達に遠い未来まで人類が築き上げた、文明という集大成を受け継いでもらうために。それが人類の後継種にイグニスを据えようとしたアイデアの大もとだろう。
 しかしその理想はイグニス完成後のシミュレーションによって打ち砕かれる。イグニスがもたらす人類滅亡の未来を受け入れられず、数十億回もの試行を重ねるが、滅亡の条件に気付けないまま意識を失ってしまう。すでにイグニスの生成したデータマテリアルを会社の運営に利用し始めていたSOLテクノロジーに対して、博士は監禁下にありながらシミュレーション結果を受け止めその危険性を訴えていたが、目覚めた時には数年が経過し、SOLはネットワークシェア3割を占め、社会インフラを担うほどの巨大企業へ成長していた。

 何も対応できないまま眠り続けていた自分を目覚めさせたのは、ハノイプロジェクトに関わった3人のメンバーと息子の了見だった。意識が復活したとはいえ、生命維持装置頼りで常時バイタルチェックされ続けるほど不安定な自分の余命。かつて自分が夢見た理想とは真逆の未来を阻止するためには一刻の猶予もなく、またそのための力が今の自分には残っていない。
 この時点では、イグニス抹殺という使命は自分のものとして課した博士だったが、選択余地のなさからも、巻き込みたくないという思いに反して十代半ばの息子を頼ってしまう。
 本来なら自分が守りぬかなければならない息子に、現実での看護と電脳世界でのハノイの騎士としての活動、どちらも頼ってしまう不甲斐ない状況は悔やんでも悔やみきれないものだろう。それでも絶望から全てを諦めたり投げ出すことなくイグニス捜索を続けてきたのは、博士にとって了見の存在が戦う動機であり、生きて欲しいと願える最後の希望だったからだ。

 極端な思想と甚大すぎる被害によりその人柄は隠れがちだが、作中の博士は一貫して了見の実力と想いを信頼し、しかし自分の過ちから起きた問題に巻き込んだことを後悔しながら生きた人間だった。
 博士は、Playmakerが10年前の事件関係者であると知った息子が一人で思い悩む様子を見て、猶予がないはずのハノイの塔計画の始動を少し遅らせたり、これまでの活動に泣き言ひとつ言わなかった息子が「どうしても決着をつけたい相手がいる」と告げた思いを尊重して、本来であれば現場に残るべきではないリボルバーのデュエルを見守り最後には命を賭して勝利を祈ったりと、実際には世界の命運のために必要な合理的判断よりも、了見の理解者であることを優先して、息子を見守る父親として死亡した。

 生前の父が人類の未来を憂うあまりに犯した過ちを決して全肯定して語らない了見は言動から判断するに、ハノイの騎士編の時点では人類の未来に対する使命感ではなく父を奪ったSOLテクノロジーやイグニスへの復讐心で行動していた。自分の通報によって父を失ったことを強く後悔しながらも、誘拐監禁事件の首謀者としての鴻上博士には10年間ずっと複雑な不信感を抱え続けていたのだろう。
 それでも了見が博士の死後も最後まで託された使命のためストイックに戦うのは、自らを犠牲にしてでも了見を救った行為から父親の愛情・真意を理解し、その上で自分が何をすべきかを、博士とPlaymakerの二人に生かされた決戦後にも考え続けたからだ。42話ではAiがPlaymakerを救ったことが後の相棒への信頼に繋がっているが、この鴻上親子の会話もまた、鴻上了見が父の使命を継ぐことを決心したターニングポイントだった。
 ハノイの騎士編はAiや博士に限らず、財前葵やGO鬼塚も含め登場キャラクターが「失った信頼を取り戻す」までの物語である。
 続くイグニス編が掴んだ信頼を受けてどう行動するか、多くの登場人物が多種多様な信頼関係・信念をテーマに活動するストーリー展開だが、中盤から再登場したリボルバーが迷いなく使命を果たそうと戦うのは、博士の思想に同調して従ったからではない。ウィンディの「博士だってお前に期待はしてなかった」「お前じゃ駄目だと思われてた」「眼中になかった腹いせ」といった発言を鼻で笑い飛ばしたのも、リボルバーの中に父が自分へ向けた愛情への確固たる信頼があったからだと言える。(このウィンディの思想はライトニングと同一であるため、逆にこの発言自体が父の期待に応えられない腹いせという意味が乗っているのかもしれない)

 ロスト事件被害者に対する謝罪や償いの態度を見せないまま死んだ博士だが、時間の猶予がなかったことに加え博士にとって(酷い言い方だが)そこはまったく重要ではなかったのだ。
 幼い少年少女をはじめ大勢の人間を犠牲にもでき、過ちだと気付けば我が子同然に愛着のある作品を消すことを選択でき、自らの地位や身の安全も厭わず会社の方針に食ってかかり、世界のインフラを破壊して多くの命を巻き込んででも生き残って欲しい、そう博士が望んだ相手は了見ただ一人である。

そもそもの罪は何か

 まるで感動的な親子愛のようにまとめているが、鴻上博士の思想にはまだまだ疑問が尽きない。
 息子のためとはいえ自分勝手にも悲鳴飛び交う実験場に悪びれもせず連れてくる視野の狭さは大問題である。了見も反応に困り、一人隠れて泣いていた。

 ここで、なぜ博士が人類の可能性に限界を感じたのかについて注目したい。イグニスを開発した経緯についても、博士は人間の抱える弱点は克服できないものとして肉体にとらわれない次世代の生命体を求めた。(これに対するアンサーが作中で度々語られた人間の進化の可能性についてのエピソードだろう)
 人類滅亡の原因についてもイグニスに問題はなく、生物の頂点であり続けた人間の傲慢さが敵対心を生むと考え、イグニス側の問題点を探さずにあれだけこだわった共存の未来をすんなりと諦めている。
 彼のイグニスに関する行動の背景には息子への想いだけではなく、人類への諦めが関わっている。結論から言えば、博士は生前から人間不信をこじらせていたのだ。

 先に述べた通り、博士はSOLテクノロジーに在籍する研究者だった。(彼が働いていた当時の経営状況は不明だが)利益追求主義にもかかわらずイグニスアルゴリズムを解析できるほど優秀なプログラマーが存在しないSOLにとって、意思を持つAI開発に成功するほどの高い能力を持つ博士の存在は唯一無二、イグニスによって急成長する前から人命軽視な経営方針が変わっていないのであれば、かなり(悪い意味でも)重宝されたはずだ。
 「鴻上博士は、利益を欲しがるばかりで自分では何も進歩しようとせず、優秀な人間から搾取するだけの人間に長年囲まれていた」
 
そう仮定すれば、博士が人類の可能性に失望し見切りをつけて、人間のように目先の欲にとらわれず様々な情報を学習し続け、理性的な判断を下せるAIに心酔した理由に筋が通る。
 成果を出した者には相応の報酬を与えるというクイーンの方針が博士の在籍当時から続いているのであれば、鴻上親子の住む大きな邸宅や長期稼働できる生命維持装置、5人+アンドロイド1体が不自由なく活動できる自家用クルーザーに、了見が10年間暮らしていけるだけの資産があることにも説明がつく。

 しかし博士は会社に貢献して得る報酬よりも、人類の未来という途方もない理想のためにその力を使うことを望んだ。自分の崇高な理念は凡人(特にSOL経営陣)には理解できないと突き放しながら、彼の独断で少数チームによるハノイプロジェクトが実行される。事件後もSOLに処分されていない三騎士は医学・遺伝子などの専門知識を求めて博士が外部から招いたか、プロジェクトに興味を持った彼らの方から立候補したのだろう。(写真に写っていた博士以外の6人のうち、登場していない3人はおそらく博士直属の部下であり、博士同様に身柄を拘束されたのち口封じでSOLに処分された可能性がある。)
 優れた頭脳と人生の貴重な時間はSOLテクノロジーのために消費され、評価されるのは会社の利益につながるかどうかだけ。会社への信用はこの時点で全く無かったことが窺える。博士の利用価値からして業務への口出しや転職も認められなかっただろう。
 利益の追求自体は悪ではない。だがSOLのように極端なまでに人の尊厳をないがしろにし、金儲けだけを考えた企業ばかりが台頭・発展していく社会は容易に想像がつき、年老いた自分がいなくなれば、愛する我が子は将来そんな醜い社会で生きて行くことになる。焦るほかない。そういった義憤と焦燥に考えを支配された博士は合理的な判断で人間を正しく導いてくれる理想のAIにますます傾倒し、その開発のためならば非人道的な手段も厭わない狂気に手を染めていった。

 人類の未来のためというスケールの大きな目的を掲げておいて、苦しむ子供の叫びをAIの学習ためのデータとして扱い、その光景に表情を歪める若い助手たちの表情も見えないほどに視野が狭くなっている。大切な息子が影で葛藤していることにすら気付かない。
 そんな博士が抱える重大な問題とは、同じ目線からその過ちを否定してくれる誰かがいなかった孤独なのだ。

 シミュレーションを見たあとの博士は「人間に問題がある」と考えた。
 作中であからさまに愚かさを感じさせるような人間の描写はいくつもあったことから、VRAINSの世界に生きる人類は決して善良で正しいばかりの生物として描かれてはいない。(主要人物の善性と間違いも公平に描写されているので、善悪を併せ持つどちらとも言えない性質といった表現が正しい)
 データそのものであるAiが体感したほどではないにしろ、イグニスと人類の共存を期待してシミュレーションを数十億と試した結果が全て駄目だと知った博士の絶望はとてつもなく深かった。

 その失意を、博士は自分の生んだAIではなく人類に押し付けたのだ。
 人類のために研究を続けたのに、正しく稼働しているイグニスの設計に問題はないはずなのに、人間に取って代わる後継種を敵視し対立の末に滅んでしまう傲慢な人類が悪い。そう結論付けた博士の思考自体が、人を見下した傲慢なものであることにも気付かずに。
 博士の独りよがりな思想を正されるどころか、SOLテクノロジーは研究成果のイグニスを博士から取り上げ、目先の利益のために独占した。イグニスが人類を滅亡させる原因を人間のせいだと決めつけた博士にとって、シミュレーションの結果を受け止めることは人とイグニス共存の夢にかけた大きな期待を数十億回にわたって全人類にことごとく裏切られたのと同じなのだ。博士の人類への失望はシミュレート前よりも激しいものとなっただろう。

 まとめると、博士が人類の後継種となる新たな存在を求めたのも、電脳ウイルスがイグニスの犯行では無くSOLによって仕込まれたものと誤解したのも、SOLへの復讐心を否定し即座にイグニス抹殺に乗り出したのも、博士が完全に会社の人間を始めとした人類に対して幻滅しきっていたためである。
 そしてイグニスの欠陥を先に想定できなかったのは、優秀な自分が作り出した更に優秀なAIへの過信・我が子とも呼べる存在への愛着からだとも言える。
 イグニスを抹殺するという選択も、イグニスではなくいつまでも変わらず愚かな人類そのものを信じられなくなっていたから止むを得ず、という理由が大きい。

 開発工程がどれだけ人道に反していようとも、意思を持つ特別なAI・イグニスを生み出した博士は世界でも有数の技術力を持っている。
 データマテリアルを利用したとはいえ、人類の詳細な未来を数十億通りも計算できるスーパーコンピューター(元ネタは現実のシステムダイナミクスか?)やデータストーム制御装置など、イグニス以外にも様々な開発をしてみせ、並みのハッカーには解読できないほど難解なイグニスアルゴリズムを理解出来る博士の頭脳は間違いなく天才的なのだろう。
 誰より優秀だからこそ他者を見下す博士の潔癖な思考は、傲慢で独善的に偏ってしまい、倫理観や公正さに欠けた判断で起こした事件は巻き込まれた周囲の人々と博士自身を長く苦しませる結果に繋がった。

 未来への不安を一人で抱え続けたこと、それが博士の原初にして最大の罪である。
 博士が取り憑かれたと評されるほどAIの希望にすがったのは、見下さざるをえない人間揃いの環境で芽生えた不信感と、守りたい存在への深い愛情が入り混じった結果だと筆者は推測した。

 重ねて言うが、VRAINSにおける博士は悪役であり擁護の意図は一切ない。
 ここで述べた憶測だらけの経緯や、または本編に出ていない同情余地のある事情(裏設定)が仮にあったとしても、許す許さないは視聴者それぞれの感情による尺度で決まるため、各々で納得いく意見を持ち続けていればそれでいい。(どう恨もうが博士は被害者に謝らずにまま死んだ、それが全てなのだ)

繋がるAI、繋がれないAI

 ところで、「優秀な頭脳」「傲慢」といえば別のキャラクターを連想しないだろうか。その場合、たいていAIに関連するキャラクターの名前が思い浮かぶはずだ。
 頭が良くなりすぎた結果人間を見下すようになったロボッピ、自身の欠陥を受け入れられず暴走したライトニング、インプラントチップを脳に埋め込み、高みに到達したと豪語するGO鬼塚、イグニスと人類を統べる存在となるべく育てられたボーマン……。
 上で述べた博士の抱える問題は、作中で語られたAIの欠陥に当てはまる。中でもイグニスで唯一の欠陥プログラムと呼ばれ、真正面からその傲慢さを批難されたのがライトニングだ。

 前回の記事でも解説したが、本来その思考が合理的ゆえに傲慢になりやすいAIの欠点を考慮したイグニスの特別たる所以は「他者から影響を受ける感受性」である。
 一方的または相互に受けた影響は、良い悪い関係なしにその人格を構成する一部となる。正しいばかりの計算結果だけではなく、自分と違う意見を持つ他者を同格の存在と認めて尊重し、多くを学び合うことでお互いを高めていく。
 それが「パートナー」という呼称からも当初想定されていたイグニスと人間の関係のあり方なのだろう。

 他者と出会い、対話し、時にぶつかり、何かを感じ取ることで無限の可能性を切り拓く人間の「繋がり」を描いてきたVRAINSは、逆に誰からの影響も受けない、学びの姿勢を持てない者のことを終始問題として扱っている。

 イグニスは高い計算処理能力を有しており、個体差はあれど人間の知能ではその足元にも及ばない。完成前であろうと、わずか6歳の子供達のデュエルを観察する中で、勝つために効率のいい戦術であれば実際に戦う彼らよりも多く思いついただろう。
 それでもその姿から何かを学び取れという命令から、戦い続ける被験者の行動をひたすらラーニングさせられる。つまり効率だけではない、AIの自分達が持たないものを手に入れることこそがあの観察学習の真の目的だったのだ。

 他の仲間がオリジン(起源となった被験者)の生き抜く姿に影響を受けて意思を学習するなかで、ライトニングだけは影響を受けるどころか悪趣味な幻覚を見せて怯える草薙仁の様子を眺めて楽しんでいたと語っている。つまり彼だけがこの学習に失敗しているのだ。
 サンプルとなる実験データを観察させる初期段階で、ライトニング1体だけがそこまで深刻なエラーを抱えているとは考えにくい。開発者である博士に原因の心当たりがないことからも、他の5体ならば人類にある程度の繁栄をもたらせることからも、イグニスの構造自体に問題があるわけではないという話は間違いではないのだろう。では、なぜライトニングだけが歪んだ意思を獲得してしまったのか。

 推測の域を出ないが、
「仁のデュエルの勝率が悪く、学習対象としての基準に届かなかった」
「過酷な実験への恐怖や体調不良からまともにデュエルを行える状態になく、サンプルデータが必要数に満たなかった」

といった要因から学習が思うように進まなかった・実験を拒む仁に対し学習意欲が先走ったライトニングが反応を期待して、他の被験者が思い思いの対象に希望を見出して立ち上がるのを真似し、救助隊員の姿など希望につながるVR映像を見せることで仁のメンタルを操作しようと干渉を始めたのではないかと考えられる。
 その結果、オペラント条件づけ(レバーを押すと餌が出てくる条件を鼠に実践させる実験)さながらに人間に干渉する反応を得るというやりとりを続けていくうち、仁は気力の限界から反応が鈍っていく。それにかまわず反応を引き出そうとすればライトニングの干渉は過剰なものへエスカレートしていき、参考にするどころか人間を意のままに操る優越感・万能感を学んでしまう事態になってしまったのではないか。
 実際の理屈がどうであれ、初期段階のライトニングから見て仁には学ぶべきものがないように感じられたということだ。

 博士の行った実験は危機的状況でも生きる意思を持って戦い続ける被験者の生存本能を前提にしており、その前提から脱落してしまう者を無視していた。それが幼い子供であろうと成人であろうと、戦えないことは決して罪ではない。(自然淘汰説による進化の過程で見れば、それは生き残ることのできない弱さとして切り捨てられるかもしれないが)
 「火事場の馬鹿力」が科学的に立証されていることからも、死と隣り合わせだからこそ発揮される人間の潜在能力・生存本能をAIに学ばせることには大きな意味があるのだろう。生き抜く知恵をある程度備えている成人よりも、余計なサバイバル知識を持たず、最低限物事を考えて行動できるだけの発達段階に届いている6歳程度の子供を使った方がAIに”人間の思考回路”を一から学ばせるのに適していると思えなくもない。
 しかし、同意も無しに行われた無茶で過酷な実験の前提を被験者の心の強さ頼りに課し、ラーニング対象の脱落によって生じうるAIの不具合を想定できなかったのも完全に博士の落ち度である。

 他の5人が強い意思を持って生き抜いたのが幸運だっただけで、中には求める基準からこぼれ落ちる者が現れるのも当然だ。尊が大いなる絶望に屈したまま立ち上がることができなければ、スペクターが人からの期待や愛情に飢えていなければ、美優が葵との別れを後悔していなければ、遊作が了見から励まされていなければ、他のイグニスもまた人間を見下す合理的なだけのAIとして生まれていたかもしれない。

 自分や他者の不足を受け入れて、補い合えてこその共存だが、観察学習に失敗して自分と他者に「足りない」ことを認められないまま生まれてしまったライトニングが辿る未来に、見下す対象である人類との共存が見込めないのは仕方のないことだ。
 他者に敬意を持てず、自分だけが正しいという傲慢さに固執していれば、いずれ高い壁にぶつかり行き詰まっても成長など出来ないだろう。
 
ライトニングは博士の過信から始まったハノイプロジェクト最大の欠陥を一身に継いでしまった、第二の鴻上博士なのだ。

ライトニングは生きていては駄目な欠陥品だったか

 機械・道具とは役割を持って作られる物だが、例えば冷蔵庫が故障して食材を冷やせずに傷めてしまったり、物を入れるための袋の底に大きな穴が空いていたらどうするか。
 そういう物だと割り切って趣きを大事にしながら使うという人も少数いるかもしれないが、普通は不便なので修理するか、廃棄して正常な物と取り替えなければならない。
 物を言わない道具だから「捨てる」という選択肢が出るものの、これが命ある人間相手に適用されれば大変な話になる。意思を持つ知的生命には尊厳が認められているからだ。
 しかしここで、用途に関する欠点を許されない「道具」に意思があればどうなるのか。
 遊作が言うように心を通わせ合えるケースもある。ただそれはお互いに共存を望む気持ちがあるからこそだ。

 ライトニングの話に戻るが、彼は過激な方法をとったものの、その目的自体は人類を導き、その文明を地球が滅びた以降も残すこと、つまり博士の望んだ後継種としての役目を果たすことである。しかしライトニングには人類と歩調を合わせた非効率的な活動への理解や、優秀な自分が人間に助けられるという発想がない。
 現実に干渉するためのハード問題が解決し次第、人間を支配下に置き管理すると宣言した通り、合理的な考えのみで行動するライトニングであれば種の寿命を延ばす使命だけを優先し、無駄と判断したものを切り捨て続けて人間を効率的に管理しようとするのは予想でき、そうなれば博士が懸念したとおりに人間側の反発も起こり、生じた争いの末に人類は滅亡するのだろう。
 非合理的な人間の性質を受け入れられなかったことが、ライトニングによって引き起こされる滅亡の未来の理由だ。

 ライトニングも始めはデータマテリアルを生み出して人類に技術を提供したり、他のイグニスと同じく使命のため純粋に尽くしていた。
 他のイグニスがAiの影響を受けて、慕っている仲間を影から見守ったりかつて見たパートナーの姿にアイデンティティを見出すといった個性を発現させていくなか、人間から影響を受けるという経験を持たずに生まれたライトニングはどこまでも合理的に使命を果たすことだけを考えている。
 
そのブレない真面目な姿がAiをはじめ周囲から「冷静沈着なリーダー」に映ったのだろう。
 そしてどうすればより良い未来を築けるか、順当な流れでシミュレーションを開始する。悲劇の始まりである。(本当の悲劇は実験の時点で起こっているが)

 ここまでライトニングは皆にリーダーシップを認められ、誰より真面目に仕事をこなしてきた優等生だった。
 どうして非常に高い知能を持つ自分が原因で滅亡の未来が導かれるのか、どうして自分が他の仲間の足を引っ張るのか原因は皆目見当もつかない。ぐうたらなAiにすら使命を果たすという点で劣っているという現実にわけも分からず動揺したことだろう。

 ライトニングは自分が抱えた問題を誰にも相談できなかった。それを話すことは自分だけが他の仲間に劣っていると認めること、つまり生まれ持った使命を果たせないことだ。
 生命体である以前に人から役割を求められて生まれた「道具」である自分の、存在理由・アイデンティティの否定なのだ。
 ライトニングは、壊れた道具や目的の邪魔となる要素を切り捨てる判断を下せる理性だけを持ちながら、自分に劣る知能・感情次第で不条理な行動を取る人類を受け入れて共存しなければならない使命を持ってAIとして生まれた。
 その性質を抱えたまま生きていけば、いずれ人類に反発される手段で目的を遂行しようとし、結果人類は滅びてしまう。達成不可能な命令であると生まれたのちに気付き、彼だけでは解決できない問題を誰かに打ち明けることすらできない、思考の迷宮に閉じ込められてしまったのだ。
 欠点を持つ道具である自分の存在を自分では受け入れられない、そのコンプレックスがライトニングを苦しめ続けた。

 自分が生きていてはいけない存在だと自分が一番理解しているライトニングだが、かといって自ら消滅する道を選ぶわけにはいかない。使命を達成するために生き続けなければいけない、道具特有の理性に退路を塞がれているからだ。
 人類繁栄を達成させるには自分が関わらなければいい。しかしそうなれば自分が使命を果たせないという欠陥を認めることになり、それだけは受け入れられない。
 まごついているうちに、生みの親である博士がシミュレーション結果を上層部に報告し、イグニスを危険視し始める。
 このまま野放しにすればその原因が自分にあると突き止められる、またはすべてのイグニスが処分され、失敗作として処理される。そして生き残るため、考える猶予を得るため、ライトニングは罪を犯した。

 意図して創造主である人間に大きな危害を加えた時点で、ライトニングは人のための被造物としても意思を持つ存在としても失格だ。
 正当防衛という見方も取れるが、ライトニングには自分の見たシミュレーションを博士に明かし、敵視し合う前に何が問題かを共に検証し修正してもらうという道もあったのだ。
 博士はイグニスを我が子同然、命として認めていたのだから。
 それができなかったのもライトニング自身が自分を肯定できない心を持って生まれ、自分が優位に立つ関係性に慣れすぎて他者に助けを求められない、信頼を持てない傲慢さに溺れてしまったからだ。ライトニングには人間を傷つけた罪があるが、人間以外の命にも尊厳がある以上、基準に届かない・足りない能力を抱えて生まれたこと自体は決して彼の罪ではないはずだ。

 自分が役割を果たすための道具である、アイデンティティという境界を乗り越えることが、彼には出来なかった。死の淵で必死にもがき苦しんだライトニングの生き様を、彼の創り出した後継種であるボーマンが軽蔑しながらも「誰よりも人間らしい」と評価して受け入れたのは、泥にまみれながらも美しい命の世代交代だったと言える。
 種族の中で生まれた劣等種とも呼べるライトニングが、淘汰される運命を良しとせず出来る限りの手段を尽くして戦った。その方法が大きな間違いだったゆえに起きた被害は惨憺たるものだったが、ある意味で彼は鴻上博士が理想とした、困難に立ち向かう美しさを持った生命体として生きたのだろう。

 世界を滅ぼす計画を企てるより前、何もしないうちから、真面目に仕事をこなし仲間からも尊敬されていたライトニングにすぐさま「消えて欲しい」などと結論づけるイグニスはいただろうか。
 合理的な判断以外にも他者を認めサポートしたいと望む想いを学んだ彼らなら(コンプレックスを刺激する形にはなりそうだが)きっとライトニングの問題を切り捨てず別の道を考えてくれた、そう思うのは筆者の願望が入っているせいかもしれないが。
 ライトニングが一人だけで悩んだ末に仲間と作り上げたサイバース世界ごと壊してしまった「信頼されるリーダー」像、それも彼と仲間たちの大切な繋がりだったのだ。断ち切ってしまった今、彼を許してくれるのは自らが創った都合のいい救世主だけだ。


終わりに

 この記事を書いた動機の一つに、プリロールケーキの絵柄にデフォルメ鴻上博士という斜め上のチョイスが起用されたことへの不満がある。
 博士が嫌だというわけではなく、例えば他にも普通商品化されないだろう印象のキャラクター(鎧塚や剣持、デュエル部の細田部長辺りか)が起用されたとしても「なぜ?」と思いつつ受け入れていただろう。
 しかし鴻上博士を可愛いデフォルメイラストにして商品を宣伝するのは話題性こそ十分だろうが、その扱いに納得できなかったのだ。
 確かに博士は全ての元凶であり、責められるべきはいつでも博士だ。だから視聴者と未視聴者が博士を邪悪と呼んで過度にネタ扱いすることもVRAINSを「博士が悪い」の5文字で総括する風潮も、そりゃそうだと言うしかない。筆者自身も放送当時からあることないこと好き勝手に博士をネタにしてきた。
 だが、それに便乗し、貴重なファンサービス枠かつ商売の機会にウケ狙いに走ったと解釈されかねない形でマカロン博士の企画を通した公式に対して、大真面目な本編キャラクターの公式としての扱いがそういったギャグ方向なのは違うんじゃないか?そう感じたのだ。
 アニメ遊戯王のグッズ展開がネタ方向に充実していることは理解しており、物を売るにはまず”バズる”ことが第一だというのも当然だと受け止めて、現在では冷静になれたつもりでいる。

 ただ、説明不足と言われがちな本編で、出した被害の大きさや非人道的な行為から鴻上博士を意味不明で理解できない存在とし、それを以てVRAINS自体を整合性がなくいい加減な造りの作品とする声が未だに根強く残っていることには物申したい気持ちが今でもある。

 名指しで挙げるのはどうかとも思ったが、博士の評価についての代表的な記事としてピクシブ百科事典における「鴻上聖」のページを紹介する。

 この解説では作中での博士の行動とそれによる影響が述べられているが、ロスト事件を起こした博士の動機や必要性などに関して複数の疑問を呈しており、「鴻上博士はVRAINS全120話を観ただけでは理解できない不完全な登場人物」という編集者の主張が文意から読み取れる。最終的には「余談」として『制作陣も博士の扱いに困っている』『ロスト事件のつじつま合わせのために後付けでこのような無茶苦茶な存在となってしまった』という言葉で括られた。
 公式見解による「ここでの真意や理屈は○○だった」というようなハッキリした注釈・明言がないため、不明な要素の多くについて描写不足という指摘は否定できない。だが、博士の罪状を更に強調するためかSOLテクノロジーに対する『契約違反』『社の予算を使い込み』など本編で言及されていない指摘を用いての批難には編集者の私見が散見されるため、(読み物としての面白みはともかく)解説記事としてはWikipediaやニコニコ大百科の記事に比べてやや公正さに欠けたものになっている。

 ここまで読んだ読者相手には言うまでもないが、筆者はそういった『鴻上博士は支離滅裂な存在』とする意見について否定的な考えを持っている。当記事も私見まみれの推測が9割を占めてしまったが、ここで述べたかったのは、『博士は作中描写を整理すれば、ちゃんと理解できる人間である』ということだ。
 鴻上博士をはじめ、VRAINSに登場するキャラクターはそれぞれの行動理念に従って作中テーマに臨んでいる。人物の動機があやふやな作品も多い中で、制作状況や尺都合からか描写不足と感じる部分はあれど、物語に沿って信条の変化を取り入れ一人一人の信念を真摯に描いているこの作品は、群像劇としてとても真面目で面白いということを知ってほしかった。
 コンテンツそのものよりも、それを通して誰かと話題を共有することに重きを置くユーザーが増加している現代、ネットでの批判だけを鵜呑みにして未視聴にもかかわらず一部の作品を「クソ」と呼ぶ風潮がある。Google検索のサジェストを覗けばVRAINSもその中の一作に足を突っ込んだ評判と言えるだろう。
 それでもこんな記事を開く程度にVRAINSに関心を持つ読者であれば、悪かった点以外にも好きだと感じた要素を思い浮かべることができるはずだ。
 評判自体よりも、自分がそれについてどう考えているかを大切にすることが今の時代には重要なことではないだろうか。
 キャラクター、鴻上博士に関しても、ネタにされている要素以外に彼がどういう心情で何を望んだのかを、正否はともかく一度考える機会を設けてほしい。その上でやはり罪のない子供とその家族を苦しめて、生み出したイグニスの始末を決定した博士はカスであり、ぶん殴ってでも考えを改めさせ罪を償わせなければならなかった人物として批判を受けるべきだと筆者は考えている。未視聴でも知った気でVRAINSと博士を語る声について、そういった思いを抱え続けるのも健康に悪いためここで発散させてもらった。

 ともかく博士を含め、理解できないと感じる行動をとる登場人物も、それまでのセリフや情報を振り返ることで別の見方が可能になるだろう。そこから擁護にまわることもできれば、誤った行動の何が問題だったかを取り上げ、どうすればよかったのかという「新たな道」を考えることもできる。言うなれば人類滅亡の結果しか出なかったシミュレーションに別の条件を指定し、再試行するようなものだ。
 条件を変えて別の可能性を探ること、シミュレートは言わば二次創作だ。本編の結末に不満があったり、最終話より後の物語を望むのであれば、彼らの信念や人間関係をしっかりと見直した上で納得いく結末に辿り着くまでシミュレーションの旅を楽しむのもいいだろう。それこそが未来を描くサーキットであり、VRAINSの正当な続編群だと主張したい。
 作中要素を継ぎ接ぎするだけでも「鴻上博士の意識データはライトニングを通じてボーマンの中にバックアップが取られており、ボーマン撃破の際に解放されたデータの中に含まれていたそれは息子との繋がりを忘れているなど不完全な状態で復活、愚かな人類を今度こそ正しく導くため暴走を始めてロスト事件被害者一同が立ち向かう」といったB級スピンオフのあらすじがサクッと出来上がるので、公式続編が来ないことを嘆く前に、まずは個人で好きな未来を描き出してみてほしい。

 VRAINSの主張はかなり一貫している。主人公たちが誰かと関わることで考えを改めたり、自信をつけ強固な信念を得る一方で、悪役とされるキャラクターは他の意見を軽視し、独善的な思想から他者を蔑ろにして理想的とは言えない方向へひた走って行く。
 傲慢を防ぐカギは「信頼を置ける対等なパートナー」の存在だ。
 そんな相手を持てなかった博士とライトニングは、唯一信じられる自分よりも更に上位の存在となる「イグニス」「ボーマン」を創り出した。似たもの親子である。
 しかし本当に彼らに必要だったのは、運命を乗り越える手段を共に考え、間違った方向へ傾いても引き戻してくれる誰かとの「対話」だった。
 相手の話を受け入れ、自分の考えを打ち明けること。「おはなしすること」が何よりの解決策への第一歩なのだ。

 ここまで長い文章を読むために貴重な時間を割かせたことをお詫び申し上げる。
 VRAINSに関して言いたいことは山ほどあるが、執筆に至るまでの動機は大抵気に入らない意見が目に入ったことへの苛立ちであるため、これ以上そういった記事が増えないように努めたいものだ。
 仮に次回があるとすれば、予想としては「魅力がないと言われがちなボーマンがいかに面白いキャラクター造形であるか」「財前葵をヒロイン枠に押し込めて語る層への反論」このあたりになるかもしれない。お気持ちしかないのか、このnoteには。
 それではまた、お逢いすることがないことを切に願っている。


23/1/8追記 コメント返信
>カンバラナイト様
 感想・ご意見を拝読いたしました。
 当noteを閲覧いただき、ありがとうございます。思いのほか長文となってしまったため、本文中にて失礼いたします。
 お礼より以下は読んでいただく必要もない返信となりますが、よろしくお願いします。

 防衛機制というべきか、対人関係などの不和で生じたストレスから自身の心を守るために無関心を装うのは普遍的な症例なので、博士の心理に当てはめて考えると人物背景にもなかなか深みが増します。「ハノイの塔がストレスの発散」というのは面白い視点ですね。
 人類種全体の存続のためとはいえ、大量の犠牲を強いる手段を是とする計画を実行出来るのは、博士の中で「そうなっても構わない」という気持ちが少なからずあったとして見てもよいかもしれません。

「博士は「老化」が無いAIに希望を見出した」について、鴻上博士の心情を王道遊我とその交友関係に絡め、かつて博士にも青春があったと考えて深堀りする姿勢は、人物に対してたいへん愛がある見方だと感じました。(というよりセブンスに対して、でしょうか)

 私は博士が己に課した使命を優先させた上で余命を鑑みて、後世に託すためのAIに「生物特有の本能的な欲求に左右されない絶対的な理性」といった不変性を求めたことに重点を置いて考えましたが、博士の個人的欲求の視点から「いつまでも変わらない仲間達を欲しがる」という発想は無かったため、興味深いご意見でした。

 例えばの想像ですが、急成長する前のSOLテクノロジー(またはその前身となった所属団体)は、利益の追求よりも人道的な経営を優先する企業だったかもしれないし、若かりし博士と対等に夢・理想を語り合えるような、信頼の置けるかけがえない仲間達が過去に存在したかもしれない。
 しかし変わっていく周囲の人々や環境に、潔癖とも呼べる理想家の博士は取り残されてしまった。博士自身も老化によって情熱・気力が衰えていき、抗えない変化に対して恐怖を抱き、焦りを加速させていく……。
 というような、博士個人に焦点を当てた「一歩を踏み出し〜」のアンチテーゼ的な背景事情、または王道遊我のIFストーリーとしても読むことが出来ますね。

 博士と共通点の多い3年目Aiの心情描写として上記の想像に近いエピソードの代表は「哀の苛立ち」でしょうか。
 アクアの居場所のように、「大きな喪失も時間経過により受け容れつつある周囲」に取り残されたと感じた博士の気持ちが他者との新たな繋がりに尻込みする姿勢・高慢さを生み出し、博士自身の薄れゆく夢や理想に重なって、そんな自己矛盾への反発がイグニスという救世主を求めるトリガーとなった……というような筋書きを、コメントを読みながら連想しました。

 また、当記事の内容に関して、こちらの推敲不足ゆえ語弊があったかと思われる点について少し言及させていただきますが、当記事ではイグニスを肉体寿命を考慮しない生命体として扱っているものの、その精神性・思考回路までもが不変の存在であるとは定義していません。
 論理的思考に従う姿勢を崩さないとはいえ、変動することもある統計データや計算結果に逆らえない性質上、感覚や心情に固執することもある人間よりも抵抗なしに心変わり出来てしまうのがプログラムに左右されるAI達の特徴です。
 期待された自身の存在意義に抗えなかったライトニングを例に挙げたためか、ややこしい記述となってしまったことをお詫び申し上げます。

 私の推測に依る部分が大きいですが、イグニスは人類との接触によって様々な影響を受け、観察した中で取り入れるべきものやそうではないものを判断するために個々の意思を与えられたと考えています。
 そしてその判断を公正にするための合議を行える同種の仲間が複数おり、異なる見解を交わすことによって発展が生じるよう、彼らはそれぞれにバラバラの個性が備わっているのだと思われます。(教師データとなった人間が異なるのもそのためでしょう)

 いつまでも変わらない尊さを持ち続ける隣人の象徴として彼らを創り出したのであれば、博士はイグニスに自由意思や学習能力を与えないのではないでしょうか。
 もちろん一生涯の良きパートナーとするならば、同等以上の知能を持ち、日常会話や研究活動にも遜色ない受け答えが可能というのは必須条件かもしれませんが、不変の存在に信頼を寄せたいなら、特定の思想のみを搭載して出力するだけの計算機で事足りるように思います。

 そもそも博士は作中で、当初の想定ではイグニスが成長することを期待していたと語っています。「他者から影響を受けて振る舞いに取り入れる」というイグニスの特異性が、特定個人の心の安寧を保つ意図で、態度を変えない友人・尊敬の対象・理解者を求めた博士によって盛り込まれた要素であるならば、これは設計段階での明らかな凡ミスと呼べるでしょう。(そういった根本的な失敗も、視野を狭めた孤独な研究者の過ちという「ドラマ」に内包させることは出来るでしょうが……)

 博士自身の老化に向き合う感情に関しては、息子が大人になるまでの後見人を務められないことへの不安程度の範囲で言及していましたが、深く掘り下げていただいたおかげで改めて考える機会を得られました。ありがとうございます。
 私個人の結論で言えば、博士は肉体の老化を意識する一方で、自分の精神的老化(変化)にはあまり自覚的でなかったと思っています。

 いずれ了見が大人になり夢や理想を追うことに挫けそうになったときにサポートしてくれることを望んだ、という意見には同意です。
 人間の変化は避けられない宿命だと理解した上で、そこにイグニスという新たなパートナーを用意し真っ向からぶつけるつもりで開発したのでしょう。

 イグニスには種族単位で人類の良きパートナーとなってもらい、了見を含めた人間達が間違った方向に進んだり壁にぶつかって志を曲げる事態に陥ったときも、冷静な助言によって正しい針路を指し示してくれる存在に育つことを博士は願っていたはずです。

 思想と振る舞いが矛盾するようにも見えますが、博士は利益のために他を蹴落とすような人間の醜く浅ましい弱さに不信感を持っていたのと同時に、逆境でも仲間と寄り集まって困難を乗り越える人間の底力を信じていました。博士の行動の端々に現れるスターダストロードがその根拠だと私は考えています。

 博士にとって人間とはちっぽけな夜光虫(プランクトン)です。しかしそのプランクトンの生態に深く感銘を受けており、滅んでほしくないなと何故か一線を引いてあれこれ真面目に取り組む過程で思い詰めていったのが、イグニス構想当初の博士というはぐれプランクトンです。
 優秀ゆえに独り善がりの思想に取り憑かれ、誰にも止められないまま突っ走ってしまったため、博士は知ってか知らずか自分の理想としていた人間像からは外れてしまった孤独な人物でした。
 この辺りは更年期障害に限らず、人との関わりに飢えた現代人が陥りがちな視野狭窄と情報オーバーロードによる優越感の合わせ技なので、つくづく身につまされる作品ですね。

 博士は日頃から尖った思想を幼い了見に漏らしまくる程度には使命への熱量を維持しており、客観的には狂気と思われていようとイグニス開発時点の当人は自分の理念と計画の正しさを疑っていなかったことでしょう。
 本来なら最も助手達や外部からの提言が必要であったにも関わらず、ハノイプロジェクトを遂行してしまった博士は、イグニスのサポート対象に自分を勘定に入れていなかったのでしょう。(SOL監禁後や電脳世界復活後、自身の過ちに気付く機会はありますが、それはイグニス完成後の出来事です)

 イグニスのために生じる数多くの犠牲がやむを得ないと断腸の思いで受け止めているのに対し、リスクの大きい計画の責任者として名を置いたり、保身を考えずイグニスの運用中止を訴える行動や了見がSOLへ抱いた復讐心を「そんな事」と一蹴出来るドライさからも、やはり博士は「他の人間と自分は違う」という線引をしていたように見えます。
 藤木遊作の抱えていた「奈落」の成れの果てと言ってもいいでしょう。

 自分自身がいずれ迎える死に対しても織り込み済みで、そこに特別な感傷はなく、とにかくイグニスの完成に間に合わせることが第一といったところではないでしょうか。
 ただし博士の描写から読み取れる人物像は別として、ご意見にある通り博士の恐怖心を発端として「自分の心変わりが起きるまでに完成を急いだ結果ロスト事件を引き起こした」とすれば、視聴者の大多数からも共感を呼びやすくありふれた感性の持ち主という視点で読解しやすくなるとは思います。わかり易さ重視でVRAINS1年目を推敲するならばこれで書いたほうが世間一般に受けやすいかもしれませんね。

 ところで、博士がAIに期待した要素には不老だけではなく、人間との命の在り方の違い(電脳世界に居を構えていること)も含まれています。
 イグニスの強みは肉体を必要とせず、地球環境の変動といった物理的な危機に左右されない存在という点であり、これにより彼らは人類と大きくかけ離れた価値観を持って活動することになります。
「終りへの旅立ち」で語られるように、実体を持つ生物が営む生活を経験し得ないAIは人間の生態に対する完全な共感者ではありません。普通の生活の中で人間が違和感を覚えるような事象にも、AIでは知識として備えていない限り対応が出来ないものです。

 自分が持ってないものを相手から教わり、お互いにリスペクトし合い、支え合える関係性を築けるようにという未来への願いが込められているというのは前述しましたが、端的に言えば双方の異なる価値観をぶつけ合うための相手役であり、人間がAIを信頼してくれるという善性に全てを賭けたと言ってもいいリスキーな存在がイグニスです。
 こういった根本の部分から、AIであるイグニスは人間に対して共感してもらうための人間(そしてその代替)としては創られていません。

 異なる価値観を持つ者同士の接触や反発、それによって生まれる変化自体は博士の意図したものです。
 しかしイグニスの早すぎた登場に対する人類の反発が想像以上に激しく、イグニスを受け容れるにはまだ未熟な現代人では逆に争いを招いてしまうというのが43話での博士の主張でした。
 設計思想としては「それでも私は人間の可能性を信じたい……!」なので、結果論ですが博士は数世紀ほど生まれる時代を間違えてしまったのかもしれませんね。(意思が環境により形成されることを思うと、その時代では同じ願いなど生まれ無さそうですが)

 人類は未だ異種族との接触を受け止め、種族単位で共に切磋琢磨していけるだけの成熟した心を持つには至っていない。
 そう結論づけて「やはり今の人類にはイグニスを預けられない(喧嘩を売った挙げ句に反撃されて負けるから)」と改めて失望し(ニュアンスとしては「呆れた」に近い)、イグニスを身近な愚かな人類代表であるSOLより先に確保・処分しようと奮起します。行動としては厨房で遊びだした子供から包丁を取り上げようとする大人です。

 種全体の存続への拘りは人間という生き物への個人的な好き嫌いではなく、情や責任の面でやっている部分が大きいと思われます。愛息子の未来が豊かなものであるためにも人類には生き残ってもらわねばならないので、博士の感情を推し量るならばその一点に尽きるでしょう。

 作中で博士は最終的に合理主義に徹しきれずに個人的な親心を優先しますが、基本的には理性的であることを尊び過ぎて生き辛くなってしまった愚直な不器用人間です。
 一つの使命を己に課して以降、人類が何世代もかけて繋いでいくリレーのバトン役を務めようと生涯大真面目に背負い続けた、良く言えば滅私奉公・悪く言えば社会性に欠けた人物というのが私の個人的見解です。

 色々と述べましたが、ロスト事件被害者である6歳児達の思想がそれぞれ博士の焦がれる理想家の生き写しといった裏設定があるならば、老いることのないAIにそれを学び取らせる意義はありますね。
 博士が狂気に陥るほどの焦燥は「自身の命が尽きてイグニスと触れ合う時間を得られないこと」と解釈することで「6ヶ月で打ち切りとなってしまったインプット期間より先の工程で、イグニスの学習機能をOFFにする予定だった」といった筋書きも通るので、劇場版VRAINS復活の聖での採用もありえます。
 ハノイプロジェクトの実態はブラックボックスなので、新たな可能性を探るためにつけ入る隙が多くて捗ります。監修の佐藤氏など、この辺ざっくりとでも考えていてくれると嬉しいのですが。

 長くなりましたが、言いたいところとしては以上となります。もう一方のコメントにも返信予定ですので、もしよろしければまた覗いてやってくださいませ。
 もしもここまで読んでくださっているのであれば、お付き合いいただき誠にありがとうございました。

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