治験日記④

こんなに健康的な生活をしているのに中々夜に寝付けない。

私はこの入院生活を送るまで、朝方に寝て昼過ぎに起きたかと思えばだらだらとスマホをいじり、それに飽きた頃にやっとベッドから出たらもう15時。
かなり遅めの昼食を作って食べて16時。
怠惰な癖に日に一度は外の空気を浴びないと気が済まないアクティブな面も持ち合わせていて、なおかつ ”外に出る時は身体もキレイにしなくっちゃね” と思っているため必ず風呂に入り、なんやかんやして外出準備が整う頃には17時。
自転車に跨るが特に目的もなく、縄張りである5km圏内にある適当なカフェなり喫茶店に入りひとりで優雅にコーヒーを飲みながら平気で22時くらいまで本を読み、腹が減る頃には開いている店も少なく、手頃なチェーンで夕食を取り、酒も飲んでいないのに気持ちよくなり適当にサイクリング。帰る頃には日を跨ぎ、あとは朝方就寝するまでに何をしているかわからず、とても働き盛りとは思えない、まるで余生のような日々を過ごしている。

もちろん予定があればもう少しハリのある生活にはなるが、ベースにあるのは大体いま述べたような、自堕落で大変に優雅な生活である。
これはサラリーマンが取引先の靴を舐めたところで手に入らない貴重なものだ。
正直非常に満足しているが、私だってもっと早く起きることができれば、今より数%は俗にいう有意義な時間の使い方ができるのではと意気込むも、一度ひっくり返ってしまった生活習慣は再就職でもしない限り改めるのは困難だろう。

この入院生活を通して逆転した睡眠サイクルが正常値に戻ることに期待していたが、23時の消灯時間は早すぎて、シーツの上をゴソゴソと幼虫のようによじらせるばかりである。
どうせ眠れないならコーヒーが飲みたい。

命の水、麦茶

毎日外に出てはコーヒーを2杯も3杯も嗜んでいるものにとって入院生活で湯船に浸かれない以上にしんどいのは、コーヒーが飲めないことにある。
何しろスターバックスに通いすぎて、この1ヶ月で2回も当たりレシートが出たほどだ。
アンケートに答えるとトールサイズの飲み物がカスタムも含め無料になるレシートなので、スタバの回し者として知らない方にはぜひ検索して欲しい。

初日の日記で言及したが、おそらくカフェイン切れの症状で左目の奥が疼き、中二病のように片目を押さえては安息の地(主に漫画部屋)を求め院内をうろついていた。
加えて倦怠感まであるため背筋は丸まり猫背になり、見ようによっては治験薬が生んだゾンビさながらであった。
その症状は丸2日続き、寄せては返す腹痛とおなじ経過で大変苦しめられたのだ。

カフェインという名の血清を接種できない事でみるみるゾンビ化していくさなか、私が見たものは自害のための拳銃でも、恐怖に慄く仲間の姿でもなく、食堂に置かれている大きな麦茶サーバーだった。
目には目を歯には歯を。依存症には依存症を。
コーヒーの代わりに麦茶でしのごうと考えたのだ。
私の友人でかなり重度のセックス依存を抱えている男の子がいるが、彼が自助会に参加した際に、やはりまずは別の、もう少し健康的な依存対象を見つけるのが良いと助言を受けたそうだ。
そこで彼は「そうだどうせなら恋愛に依存しよう」と考えたかは定かでないが、それまで作る気のなかった彼氏を作るに至り、今は毎日幸せに、よそで乱交パーティをしている。

比べるのは失礼かも知れないけれど、セックス依存と比較すれば、カフェイン依存は人間関係も壊さないしまだヘルシーと言えそうだが、ヘルシーだろうがメルシーだろうが頭が痛いもんは痛いのだ。
私はいま大げさでも何でもなく麦茶に救いを求めている。
紙コップに注がれた温かな麦茶は、頭の痛みこそ消してはくれなかったが、心と身体を温め、コーヒーに拘らずに”一息いれる”ということの大事さを改めて実感させてくれた。

それから毎日飲んでいる。
いまこの瞬間も日記を書き進めながらちびちび大事に飲んでいる。
ありがとう麦茶。君がいなければもっと地獄の2日間になっていたことだろう。
退院をしてからもぜひ、コーヒーに次ぐ私の相棒として共に歩みたい。

頭の片隅で、鶴瓶が笑った気がする。

新しい被検体

入院生活も終盤に差し掛かろうという時、私がこの病院で日記を書いている学習部屋という部屋に、入院着を着た見覚えの無い若い男が入ってきた。
別の治験の被験者だろうが、それまでは全く見た記憶がないため、恐らく昨日か今日から始まった治験に参加しているのだろう。
ずっと5人だけの閉ざされた城であったために、明日には退院といえ少し嬉しい気持ちになる。
どうせ危険を冒してまでエッチな事するんだったらDさんより断然この子がいいなあと考えていると、危険なオーラを察知してか、ものの10分程度で退室してしまった。

日記も後半になって、もはや日記というよりも別のテキストになっているが、ともあれこの日記はベッドではなく食堂に隣接した学習部屋で書いている。
ベッドに寝転びスマホで日記を書いても良いのだが、スマホは娯楽と割り切らないと、別の刹那的な娯楽に手を奪われてしまいはかどらない。
食堂にも隣接しているため、入院中の相棒、ホット麦茶もすぐに注ぎに行けて便利も良いしもう全部ここでやっちゃえ!という事で、14時以降食事と風呂以外はほとんどこの学習部屋で過ごすようになり3日ほど経つ。
途中で漫画を読んだりもするがそれも含めてすべて学習部屋で完結させている。

散々自分で間抜けだの自堕落だの自虐しているが、私だってやるときはやるのだ。
いつでも寝転べ、漫画が読めて映画も見れる、果ては危険を冒せば性交渉まで望めるこの病院で、日がな一日学習部屋にこもりPCを睨んでいる姿は、自主性がある分かなりの度合いで偉いといっていいだろう。
このように、どれだけくだらない作業でも学習部屋でPCさえ触っていればなんとなく頑張って見える、というスタバ的用法を叶えるところが、ここで作業をする一番の利点となっている。

トレビの泉

先ほど一瞬姿を見せた新しい被験者だが、接点は今後生まれないものの、別の点で嬉しい影響をこの病院にもたらすことになる。

昼食を終えてからいつものように入浴カードが配られ、たった15分の癒やしを求めて脱衣所へ向かった。
先日のデュエルで惨敗してからというもの立場を完全にわからされてしまい、もう入浴カードをなくすようなヘマはしていない。
難なくカードを回収BOXに入れ、脱衣して入浴。いつものルーティンワークだが、頭を洗い終わったあとにふと後ろが気になり振り向くと、湯船にお湯が張られていた。
本当に嬉しかった。
あまりに嬉しくてこの入院中一度も声をかけていなかったが、隣で洗髪中のBさんに声をかけてしまった。
「湯船にお湯たまってますよ!」
「新しい治験の方が来たみたいなんで、僕らのあとに入るその人ら用にでしょうね。」
「あーだからか。ずっと浸かりたかったんですよ。」
「でもkypjんしうghぢfれwかsばgyふじこlp」
「そうですよねー。」

なに?なんだって?洗髪中に話しかけた私が絶対的に悪いが、会話の最中で頭についた泡をシャワーで流し始め、肝心な部分が全く聞き取れなかったが、洗髪中にもかかわらずわざわざ対応してくれたBさんに敬意を表し、とりあえず、そうですよねーと返すしかなかった。
文脈から言って、私が風呂に浸かりたかったと言ったことに対し、否定をするような内容ではなかったか。
「副作用が発現しやすくなりますよ」とかだったらかなり嫌である。歯抜けはごめんだ。
もう一度話かけようか迷っている間に、Bさんはさっさとドブンと勢いよく湯船に浸かった。
杞憂かよー浸かっていいんじゃん!と、はやる気持ちを抑えながらヒゲを剃るその後ろで、浴槽に浸かったBさんはなんとも気持ちよさそうな声で
「はあ〜トレビア~ン」
と言った。
聞き間違いでなければ、「トレビア~ン」と言ったのだ。

私は日常生活でも仕事中でもどんな時でも、自分の気持ちを「トレビア~ン」と表現したことはないし、また思ったこともない。
どんなに気持ちよくても「トレビア~ン」が咄嗟に口から吐いて出る人間はフランスにでもいかない限りそうそう居ないのではないかと思われる。
一昔前なら「ビバノンノン」くらい言う人はいそうだが「トレビア~ン」はハイカラ過ぎるだろう。
しかし考えてみれば非常に便利な言葉である。
お風呂が気持ちよくて「トレビア~ン」、ご飯が美味しくて「トレビア~ン」、何はともあれ「トレビア~ン」は魔法の言葉として使えそうだ。

一刻も早く身体を洗って湯船に浸かり、Bさんに真相を聞きたかった。
しかし私が身体を洗い終わる前に、Bさんは風呂場を出てしまった。
流石に風呂場をあとにするBさんに「さっきトレビア~ンて言いましたか?」と詰問する勇気が私にはなかったので、空耳であったとしても訂正の余地はもうない。
私にとってBさんはお人好しから変なフランス人に昇格だ。

身体を洗い終わって、1週間ぶりにお湯に浸かる。
なんで我々の治験は駄目で、新しく来た被験者はOKなんだろうと不平を感じていたが、もうなんでもよかった。
これは確かに「トレビア~ン」とでも言いたくなるような気持ちよさである。

ちなみにだが、トレビの泉はフランスにはない。




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