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地球にやってきた目的~タントラマンへの道(第47話)

蘇った幼少期の感覚(記憶)

海に潜れば潜るほど、仕事をするのが嫌になっていく自分がいました。

残業はそれほど多くないプロジェクトに配属されていたので、退社後にジムに通って水泳をする等の余裕はあったのですが、朝の通勤地獄は相変わらずでした。
週末がどれほど待ち遠しかったことか!

待ちに待った金曜日は定時で速攻退社、夕食は帰宅途中に外食で済ませ、帰宅後はダイビング機材を持って浜松町まで行き、深夜発の東海汽船に乗って伊豆大島をはじめとする伊豆諸島に出かけ、土日をダイビング三昧で過ごした後、日曜日の夜に帰宅するというような生活をほぼ毎週のように続けていました。

ダイビングを通じて大自然の美しさや神秘に包まれているときの幸福感と通勤地獄&やりがいを感じれられない仕事に対する嫌悪感とのギャップが日ごとに増していきました。

通勤地獄を避けるために、5時に起床してラッシュアワーを避けて通勤し、始業前に資格試験のための勉強をして資格を取ったりもしましたが、仕事に興味を持てなくなっていた状況は変わりませんでした。

しかも、楽しいはずのダイビングでしたが、自然の素晴らしさに魅了される一方で自然が破壊されている、汚されているという現実も目の当たりにすることで、ある疑問がわいてきました。

美しい自然を愛で、癒されることにこれほどまでに憧れ、望んでいるのに、自分が実際にやっているのは、その自然を破壊することに加担するような仕事をして得た金で、わずかにに残った自然に接するためにわざわざ遠方まで出かけなくてはならないことにに大きな矛盾を感じるようになったのです。

人間が自然を破壊しなければ、自然との共存を目指す生き方をしていれば、
美しい自然は身の回りに普通にあるのだから、そのような矛盾は生じなかったハズなのでは?

そんなことを思っていると、小学4年の夏休みまで自然に囲まれて育ち、
山や川で遊んだり、蝉やカブトムシやクワガタやコオロギを捕まえて飼育したり、沼地を探検して不思議な植物を見つけたり、飽きることなく星空を見続けたりしていた記憶が蘇ってきました。

それらは全部、都会に引っ越してからは出来なくなってしまっていたために、時の経過とともに忘れてしまっていたのでした。

同時に、「公害」とそれが原因で起きた「公害病」を恐れていた気持ちも蘇ってきました。

ダイビングをするたびに、
「人類が自然を破壊する以前の海はどんなに美しかったのだろう? タイムマシンがあったら絶対に行って見てみたい!」
とか、
「宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルから持ち帰った『コスモクリーナー』のように自然環境を急速に蘇生させる機械が発明されないかなぁ!」
等と妄想したりもしました。

やはり、私の魂にとって美しい自然は憧れの対象であり、無くてはならない存在であり、大切に守っていきたいものだったのです。

当時まだ、
「28万8千年前に、(美しい地球を体験するために?)プレアデスからやってきた」
などと言うことをチャネリングで告げられるよりもずぅ~~っと前でしたので、そんなことはもちろん知る由も無かったのですが!(笑)

でも、今から振り返ってみると、
「もしかしたらそれは本当のことで、地球に憧れて宇宙のはるか彼方からやってきた魂の目的・記憶が、ダイビングを通じて蘇ってきた瞬間だったのかもしれない。」
とも思えるのです。



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