天を切り裂く
高く、高く。
彼女は翔ぶ。
長くて黒い髪をなびかせながら。
翅の灼けるのもかまわないまま。
ひたすら空高く。
太陽をその手でつかみそうになるほどに。
そして斬る。
彼女は斬る。
力のかぎり、思いのままに。
真っ青な空が、まるで薄い紙のように、はらはらと切り裂かれていく。
黒い三日月の大鎌で、いともたやすく、打ち破っていく。
彼女は気づいていた。
ここは天国などではない。
天上に潜む地獄なのだ。
鮮やかな空が割れ始める。
ギシギシと音が鳴り、無数のひびが入る。
澄みきった青色のなかに、鈍色の血が混じりはじめる。
やがて、空のかけらが地上へ落ち始めた。
青いインクのような色をしたかけらたちが、雪のように大地を埋めつくしていく。
その光景は美しかったが、あまり気分のいいものではなかった。
真っ青な空と思われていたのは、モルフォ蝶の大群。
腐敗した楽園の果実を、あわれ撃たれた天使の死がいを糧に。
おびただしい数のモルフォ蝶が、まがいものの空を作っていたのだ。
いよいよだ。ここを抜ければたどり着く。
とうの昔に翅は焦げ、全身は傷だらけだった。
だが、彼女は翔ぶのをやめはしなかった。
大蜘蛛の楼閣にたどり着くまでは。
囚われの姫君を助け出すまでは。
どんな軍勢が襲ってこようとも、いかなる計略が仕組まれていようとも。
その手にした大鎌で、斬り抜けなくてはならないのだ。
それが彼女『黒蟷螂』に課せられた使命だった。
しだいにうっすらと建物の影が見えてきた。
身を切るような冷たい風にのって運ばれてくるのは、赤い芥子の花びら。
あの影がほんとうに大蜘蛛の楼閣なのか、はたまた芥子の見せる幻なのかは分からない。
だが、黒蟷螂には迷っているひまなどなかった。
敵の懐に入れるのなら、たとえワナだろうと喜んで落ちてやろう。
どんな手を使ってでも、必ず姫君をお前たちの手から救い出してみせる。
【続く】