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教皇の息子だった教皇

以下、なかなか面白いコラムと思います。

(La Crois, 2021年9月18日)

アメリカでの司祭不足の話題から始まって、6つの教会を4人の司祭で見る、という司牧戦略問題について、「これでは信者と神父との関係性が築けない」という一人の神父の証言が入ります。いずこも同じ秋の夕暮れ、であります。
では、「結婚神父を認めては?」と筆者が水を向けても、「それは別」と拒絶するこの神父の「司祭主義者(clericalist)」らしい頑固さに、軽く疑問を呈します。「リベラルや、進歩的な司祭でも、司祭主義者の傾向を示すことはよくある」と言います。
司祭不足に対しては、女性司祭も含め、働き手を増やすことが考えられるわけですが、最後は歴史的考察で。
キリスト教の最初の千年期の間、妻帯司祭は普通だったし、妻帯司教もいた、さらに、多くの教皇は司祭の息子であり、司教の息子(皮肉を込めてSOB、と呼んでいる。Sons of Bishopsの略だけど、“バカ野郎”という悪いことばの略称と同じ)でもあった、とのこと。5世紀の、聖インノチェンツィオ一世は聖アナスタジオ一世の息子、6世紀の、聖シルヴェリオは聖ホルミスダスの息子、だそうです。

SOBの方が、より“伝統的”

まとめがふるってるんですが、イエスの死と復活から、上の聖シルヴェリオの殉教まで、500年以上経っています。それって、トリエント公会議でトリエントミサを中心としたスタイルが決まっていた時代(第二バチカン公会議でそれが変更されるまで)の期間より100年以上も長い。だから、この、より長い期間のやり方(司祭候補者の拡大と司祭の役割変更)にしたがう方が、より「伝統的」なんだと主張しています。
これ、説得力あり、と思いますか。それでも、反対しますか。

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