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シノドスの歩みはそれぞれ(米国)

23年10月、ローマで、シノドス(世界代表司教会議)の総会が開かれます。信者全員がともに歩むためにどうしていけばいいか、ということをそこで考えようとしています。
それに向けて、2021年10月の開幕ミサ以降現在、世界各国・各教区で聴聞会が開かれています。ざっくり言って、「これからどんな教会になっていきたいか」という声を、信者一人ひとりから集めて、それを現場→教区(日本は16教区に分かれている)→国→大陸→バチカンと集約していって、「いま、ここで」わたしたちは教会としてどう生き、何を伝えるべきかをブラッシュアップしていこうとしています。どうすれば、教会はもっと「世のため、人のため」になれるんでしょうね。
数学のΣみたいな考え方ですかね。方針はトップや上層部が決めてくれればいい、という「上からの」のアプローチに代わって、今回、現場のニーズから全体の在り方を考えようという「下からの」アプローチとなります。キリスト教神学の中で、いつも綱引きのある二つの考え方でもあるのですが、近年世界中で性虐待問題が発覚し、そこで上層部による隠蔽問題が課題となる中で、一つの打開策が模索されていることもこうした動きを加速している面があるようです。

(「シノドス〜現場での聞き取りフェーズ、米各教区で、ばらつきの対応」ラクロワ2021年12月14日付)

上の記事は、そうした中、米国の中で180ほどある教区によって、その対応にけっこうばらつきがある、と報告されています。冒頭、コロラド州コロラドスプリングスでは、10月に開幕ミサがあったあと12月時点で、「まだ何も起きてない」と地元教区新聞の記事に出ていたそうです。と、同時に、さまざまな聴聞会集会やオンライン聴聞会など、活発に準備を進めている教区も多々あるとのこと。
確かに、この聴聞会等を実施する作業は大変なものなので、時間がかかるのは当然で、世界中で実施に苦労している教区もあり、コロナはそうした状況をさらに悪化させていると思います。一方、テキサス州のタイラー教区では、シノドスについて何も広報されてなく、この記事の記者が担当者に複数回質問しても未回答とのこと。その教区のストリックランド司教はかつてラジオで「シノダリティなんて、わたしとしてはゴミ」と発言したことがあるそうで(真偽不明ですが)、記事は、フランシスコが提唱する「出向いていく司牧」に対して「ゆっくり歩いて」、言ってみればサボタージュを決め込んでいる司教、司祭たちがいる、という信徒活動家の発言も紹介しています(教皇フランシスコには、賛同者もいる反面、ダイハードの反対者も多いことが知られています)。
方や、すでに近年教区シノドスを実施した、サンディエゴ、ブリッジポート、コネチカットといった教区は追加の意見聴取を行い、またスプリングフィールド、イリノイ、デトロイトといった教区はすでに行った教区シノドスの意見聴取を23年シノドス用にまとめ直すとのこと。一生懸命やっている教区と、やや無視してるのかと思われるほどゆっくりな教区と、動きはさまざまのようです。

最後に、参加した人たちの声が載っています。「シノダリティの基礎は、関係性。関係性なしだったら、ただ単に質問票を埋めるだけになる」。「3回目の集まりまでに、何をするかではなく、一緒にどのようにするかが大事なんだと分かってくる。その時点で、これは出発点なんだと分かる」。「シノドスはすべての人に機会を与えてくれる。僕はそれがとてもうれしいよ」。教皇も、シノドス事務局のスタッフも、今回のシノドスの教区フェーズは、現場の意見をまとめることより、一人ひとりの意見を聞き合うプロセス自体が大事、と繰り返し述べていますが、この人たちはそれを実感しているようです。


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