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一番近くて遠いところ[BL]

【概要】
・普通の先輩後輩設定は書けないので異次元要素を入れたもの


俺は何もかも後悔せずにはいられなかった。けど聞きたいという要求も捨てきれないジレンマを抱えて歩いた。人間の気持ちは厄介で一度気になったものは恨めしく隙間を縫ってもそこに鎮座してくる。ただ一つ、そのことを口にすれば、関係が壊れるかもしれないことはわかっている。だから保留し続けるのだ。まるで前からずっとあったから知っているような状態で、わざわざ聞く必要もないともっともらしい理由を探す。



「こんな高いところに来たのは初めてです」
右側にいる魔瀬が目を輝かせて呟いた。
「地下の店は行ったことある?」
「ありますけど上ったことはなかったので」
「俺も」
そう言うと、魔瀬は嬉しそうな顔を見せた。俺は目の前の煌びやかな光を見て自分の家はどこだろうとたわいないことを考える。魔瀬が急に「スカイツリー一緒に行きたいです」と言い出した。付き合って一年経って初めてのことだった。
「……実は前から興味あって」
誘いの言葉を微笑ましく受け取っていた頃とは何かが違う。魔瀬と俺の間の愛情は変わらないのに何かが歪になっている。
「ありがとうございます。先輩と来れて幸せです」
俺はとりあえず笑い返した。慎重に腰を引き寄せるといつもの匂いとはにかんだ表情で不意に勢いがついた。
「魔瀬……あのさ」
“どうしていつもお前の姿が鏡に映ってないんだ?”
今なら聞ける……その瞬間魔瀬の目の奥に圧倒的な明るい色彩。覆いかぶさるような光に思わず目を逸らす。
「やっぱいいや」
不思議がる彼の腰を抱いたまま奥のソファに誘導する。周りの客が黒いシルエットとなって鮮やかな光の粒が柔らかく目に映る。
「魔瀬って珍しい名前だな」と出会った頃にした会話を思い出した。「そうなんですよね」と何気なく返事をした相手にもっと踏み込んで聞いていたら、どうなっていただろう。どこ出身? 家族は何人? 俺はあの時から魔瀬が気にいっていた。もともと饒舌ではないが、当時は可愛い後輩を大事にする大人な先輩という肩書きを付けて安心していた。
「先輩」と呼ぶ声がする。聞き慣れた愛おしい声でまた名前を呼ばれる。
「飲み物買ってきましょうか?」
「いや、俺が行くよ。ソーダでいいか?」
「お願いします」と言った魔瀬からお金を受け取り、ジューススタンドまで向かった。
二人並ぶと、自分の飲んでいるココアの味と魔瀬が飲んでいるソーダの味が混ざって異様な香りを作り出す。でもそれは騒ぎながら前を通った若者のカクテルでかき消された。そして一気に静まり返った。
「意外と人あんまりいないですね」
「平日の夜だからかも」
「ラッキーでしたね」
「ああ」
魔瀬の手ってこんなに冷たかったか?
さりげなく握った手が冷えていて俺は押し黙った。すると肩へ体ごと預けられた。魔瀬って実は甘えん坊で二人の時は学校では見せてくれないような表情をしてくれる。「今度、お前の家に行きたいな」とさりげなく聞いてみた。
「え?」
「まだ行ったことねえし」
「ああ、そうでしたね」
相手を盗み見ると、やっぱり少し困ったような顔をしていた。“やっぱりそうなのか”と思うと同時に心は落ち着かなかった。もっと聞くと、疑惑が確信めいたものになってしまうかもしれない。でも口は滑っていた。
「家族は何人だっけ?」
「え……普通に両親と双子の妹と」
「初めて聞いた」
「すいません、話す機会がなくて。家はいつでもいいですよ」
その言葉で少し安心する。いつでもいいってことは別にやましいことはないってことで……
「家族は家にいないかもしれないですけど」
「そっか……」
それ以上は踏み込むのをやめた。不安定な気持ちが伝わったのか「先輩」と魔瀬が体勢を立て直した。
「他に俺に聞きたいことありますか? なんかずっと引っかかっていることとか……」
いつもの魔瀬の声が自分に重くのしかかる。無意識に相手の揺るぎない瞳孔を見た。冷たさがない、暖かく包み込んでくれるような魔瀬の瞳。でもそこに覚悟に似たものを感じて「ないよ」と素早く答える。
「強いて言うなら……今夜は帰らないで置くかってことだな」
そう言うと目が大きく見開かれて、頬が赤みを帯びていく。それに満足する。魔瀬はずっと前から俺の魔瀬だ。何も変なことはない。
唇をそっと寄せると、いつもの日常だった。



魔瀬が急にいなくなって二ヶ月も経っていた。
“魔瀬広樹は人間じゃない”
俺たち上級生の教室にまでその噂が広がって騒ぎが起きた。
「お前知ってたか?」と聞かれ知らないと答える。重たい足を引きずりながら席にたどり着く。知らなかった。俺だっておかしいって気づいたのはつい最近のことだし。“人間じゃない”なんてまだそこまで結論を出せていないから。
魔瀬からの通知はあるだろうかとスマホを取り出す。
「魔瀬、もう学校辞めたって」
握る手が小刻みに震えた。友人たちの声も聞こえないくらいの耳鳴りがした。俺は急いで屋上まで走った。
本当に、魔瀬が人間じゃないとしたら? と仮説を立てて今までのことも精査する。あいつは普通の後輩で、あの鏡のことさえなければ普通の日常で。人間じゃないとしたら、今はどこにいるのだろうか。違う世界の行ったのか? そんなおかしなことがあるか。
知らぬ間に奥歯をきつく噛んでいた。
後悔している自分がいる。何もかも知らなければよかったと…………

今もしここで魔瀬と会えたら何を話すだろうか。目を閉じて想像する。
“ずっとだまっててごめんなさい。”
いいよ。
“びっくりしましたよね”
びっくりしたけど、話せないよなと思う。
“先輩を裏切ってしまって、本当にすいません。途中気づかれたかもって思ってたんですけど、その時言うべきでした”
俺も気づいたけど聞けなかったんだ。
“俺は人間じゃないんです。じゃあ何って言われると、すぐには話せません”
…………。
今まで俺に向けてくれた笑顔も分け合った熱も何だったのか……と思う気持ちは止められない。教えてくれればよかったのに……でも教えられたところで俺は信じることができただろうか。「魔瀬は魔瀬だ、俺の愛する人」とその場で物分かりのよいフリをしつつ、どこかで「ほかの生物なわけあるか」と妄信していたと思う。相手の言葉をそのまま受け取って「ああ、そうか、人間じゃないんだな」と受け入れられる自信はない。じゃあこのまま放置しよう?
第二の自分が心に問いかける。会ったら前とはどこか違う関係になっているのなら、楽しい優しい思い出だけ抱きしめていく方がいいだろ。魔瀬だってそう考えたから黙っていなくなったんだし。

“…………そうですよね。今までありがとうございました。すみませんでした。では”
そう言う魔瀬が浮かぶ。
いやありえねーだろ。
俺は目を見開いた。
これは俺のエゴなのだろうか。魔瀬と今後前と同じように付き合っていけるとは到底思えないのに、それよりも会いたい、話したいとは思う。
受け入れるかはともかく相手の言葉はもっと聞きたいし、それを知っていたいとは思う。
「先輩」と呼ぶ声が耳で大きく響いた。馴染んでしまった声も響きも体全体が記憶している。
「好きです」「また会いたいです」と言ってほしい。
理解に苦しむものでもいい、それでも魔瀬と一緒にいること。俺が今望んでいることだ。歪な愛情は、体の奥を呼び覚ます。
画面に表示された名前にびくびくしながら、耳に当てた。魔瀬の呼吸音を感じて用意していた言葉を告げた。
「俺、今お前に会うって決めた」
今までで一番確信めいた感情だった。


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