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息をしないで水面を渡った[BL]

【概要】
BLとモブ女
高校の学園祭でやりたいことがほとんど出来なかったな、という怨念もこめて555



私は息を止めた。視線の先に琉平の姿が見えたからだった。大きなキャンバスを片手に真っ直ぐこちらへ向かって来るのがわかって、思わずその場から離れる。彼は私に気がついて軽く頭を下げ、それから何も言わずに建物の左へ消えた。

心臓の音が速くて破れそうなほど大きい。琉平の姿や動作がこんなにも自分の胸を刺激してしまう。なぜ左の方に曲がるのだろうか、そっちは校庭でゆっくり絵を描くスペースなんてないはずなのに。
確かめたい……けどまた近づいたら、そろそろ気持ち悪がられるかもしれない。
同じ美術部で出会ってから、私は琉平に釘付けだった。つんと尖った唇と、大きなたれ目、触ったら柔らかそうな肌が、私の瞳に食い込むように記憶された。
彼は絵を描くのが好きだ。
入学してからずっと、授業の時か昼休憩の時以外は基本的にいつもキャンパスや白い画用紙を持ち歩いている。そしてペンや鉛筆を走らせる。琉平は絵を描いている時が一番輝いていると思う。真剣な黒目で物を観察して、絵の具を取り出して筆を細かく動かす。時々背を伸ばして、また絵と向き合う。
その様子がどんなに芸術的で美しいか……私にはわかっていた。
でも、孤独で付き合いづらいと思われているのか、周りからの評価は微妙だった。
「琉平が人間を描いてるのって、あまり見ないよ」と親友のアミも言った。
「あいつって交流苦手でボッチなんじゃないかと思う。だから人と話さないようにしてるというか……」
「うーん……」
琉平が好きなことを、アミには言わなかった。



ある日、私にとっては人生が変わるほどの出来事が起こった。彼と一緒の学園祭実行委員会のメンバーになったのだ。
「山内、これ頼める?」
大きな黒目を開いて私に尋ねた。
「う、うん……わかった……」
声が小さくて暗いと思われただろうか。そうびくびくして相手を見ると、琉平は「ありがと」と一言っただけだった。また胸の奥がわかりやすく火照っている。顔を見られていると感じてはいけない。全身が火の中に入れられたように熱くなって処理が出来ないから。
後一か月という時間、琉平に頼まれたことを私は必死でこなした。少しでも、彼に頼れるいい女だと思われたい。悪い印象は残したくない。
『学園祭で食べ物を扱うグループは直ちに山内まで』
と書かれた紙を全生徒に配る。ありがたいことに、期限を守らない団体はなかった。…………のだが。

「これ、サッカー部だよな」
集計をしていた琉平が提出された紙を見せた。
「うん、あそこ部員全員でじゃがバターやるってことだと思う」
「うーん……」
琉平が長くて綺麗な指でその文字を辿った。彼が引っかかっていることは言わなくてもわかる。
うちの学校は“食べ物の販売は経験者のみ”というルールがあった。
つまり、毎年行っている家庭科部、生物部、そして開校当初から高一が行うチャリティーのみだ。それ以外は先生の許可を得てからでないと、販売出来ない。
サッカー部は顧問の許可を得たのだろうか。先生の許可が簡単に降りるわけないことは学園祭実行委員である私たちがよく知っている。
「ちょっと俺、サッカー部の部長に確認してくるよ」
「私行こうか?」
「いや。あの部長は面倒なやつだから俺が行く」

予想通り、先生の許可を一切得ていなかった。
「え? そんなに?とか言われたよ。ちゃんと山内が書いてくれた紙見ろよって言っといた。この件は俺が確認してやっとくから、他の有志チェックしといてくれるか?」
「いや、ありがとう。わかった」
「まったくあの部長が最低なんだ」
「ありがと」
私は今、顔が赤くなるのを隠すのに必死で何も頭に入らなかった。すごく嬉しい。琉平が自分を気遣ってあれこれしてくれるのが嬉しくてたまらない。男子が苦手だと理解してくれているのか、だとしたらどうしたらいいものか。あまりにもこの人が魅力的で、好きになる要素しかないせいで、毎度“好き”を更新する。琉平の横顔を盗み見た。いつもの通り、顔と体のバランスが美しかった。



サッカー部の部長、寺山勇吾は次の日すぐに現れた。学園祭実行委員の顧問に自分たちが話をつけると言い放った。有り得ない、そんな勝手なこと。学校のルールでは先に“学園祭実行委員”、つまり私たちを通す決まりになっている。
「だから俺たちだって譲れねーんだ。こっちがどうにかする」
「それは困る。権限はこっちにあって勝手は許されない」
「なんで他の生徒にも決定権与えないんだ! 不公平だろ!」
「公平にやろうとするためのルールで、だから他の団体も理解してくれているんだ」
「そうだとしても俺はしない!」
勇吾は一歩も譲らなかった。ああ、やはり苦手過ぎる。もし私が強くて逞しい女性なら琉平と一緒にこの男に対抗出来たのに。口の中が乾いてしまってじっと身を固くするしかなかった。
「部活があるから」と勇吾がその場を後にした後、琉平は腰をガックリ落として頭を抱えた。
「あ……これは長くなるよ」
「大体、あの寺山が勝手過ぎるのよね」と舞台係の奈津美が言った。
「私、あいつと同じクラスだけど……顔と頭はいいのにうるさいし適当で自分勝手だからむしろもったいない」
「とりあえず、これは有志担当の俺と山内がなんとかするよ」
琉平は私の方を見た。またじわじわと顔に熱が集まってくる。
「うん、そうだね」
あの勇吾を相手にするなんてきっとすごく疲れるだろうけど、私はなぜか今後が楽しみだ。琉平の一番近くでいられるという現実。彼をもっと知りたいし、一番頼りにできる存在だと思われたい。一緒に食事することもあるだろうか……。
私は状況に似合わない喜びがあふれそうになるのを必死でこらえていた。



先生は「ダメだ」の一点張りだった。そりゃあそうだろう。これまでずっとそうだったのだから。
これは向こうが折れるしかない。
先生の話を出せば、折れて上手く収まるはず!……じゃないのは二人とも十分心得ている。勇吾は無駄に自我が強く、なかなか折れてくれない。私なんかが力不足なのはわかっていたが、琉平一人に押し付けたくはなかった。
「琉平、私も寺山に話してみるよ」
「……ああ」
「もしかしたらサッカー部はルールをなぜ守らなきゃいけないのかわかってないんだと思う」
「助かる」
これをこなせるかどうかが、私と彼の今後の動向にかかっているのだ。
正直、勇吾が話を聞いてくれる可能性は0に近いし、自信もない。でも、自分の使命だと思っていた。次に琉平が勇吾と話す時はほんの少しでも役に立っていて欲しいと思った。
私は自ら放送で、勇吾を控室に呼んだ。
「で? 次はあんたかよ」
勇吾は私を見て不機嫌そうに言った。
「何度も言いますが、食材の扱いにはルールがあります。勝手に変えることは許されません」
「だったら協力してくれ。先生の許可を得られるように」
「は?」
「有志担当なんだろ? 先生に話つけんの手伝えよ」
「言ってる意味がわからないです。私たちも勝手なことはできません」
「それはあの生田の受け売りか?」
その名前で私は思わず顔を上げた。
「あいつがくそ真面目なんだ。そのルールをちゃんと理解してないのに、ただ従ってるだけだろ」
一言一言がチリチリと私の胸にこびりつく。許せない。どうして一生懸命頑張っている琉平にそんなこと言うのか。聞きたいのに、言ってやりたいのに……目線の圧に声が出せなくなる。勇吾は私を置いて反対側へ行ってしまった。

すごく自分が不甲斐なさすぎる。
「いいって……山内はよくやってくれているよ。あいつのことは任せて。その他の団体のこと頼むから」
他は何一つ問題は見当たらなかった。家庭科部と生物部は一番対応が早いし、チャリティーも必要な項目が定まり今後も難なく進みそうだ。
お互い同じ情報を共有する。“共有”というワードがいつも私の心を満たしていた。何かを人と分け合い、同じものを得るのはなんと素晴らしいことだろう。それが増して、好きな人なら……。
もっと二人きりの時間を増やして、一緒に食事したり、お菓子を食べて……それから。
その想像は早いことに、琉平の方から「夕方、一緒に居残りして仕事しよう」と誘われた。
「長丁場になるかもしれないから、パンとか購買で買ってきた」
いつも私も買っているものと変わらないのに、どうしてこんなにも特別なものに思えるのだろうか。琉平が私と食べるために買ってくれたというだけで、すごく愛おしく、夢でも見ているような気分になる。彼の口の中に運ばれるメロンパンやクリームパンが少しだけ羨ましい。
「今日、寺山と話した」
「うん」
「なんか複雑な事情があるらしく……全部はわかんなかった……」
目が不意に合わさって顔が熱くなる。
「そっか……」
「まあ、なんとかするから俺に任せて。そっちはどう?」
「今のところ大丈夫だよ。後は定期的に進行を確認するだけ」
「助かるよ。もう少し任せてもいい?」
「うん、他のところも手が空いたら手伝おうかなって思ってる」
これはむしろ相手に対する“優しさアピール”だ。
「山内がいて、みんな助かると思う」
「そんな……」
「一緒にやるのが山内でよかった」
「え?」
その言葉はあまりにも思いがけないもので、私は困惑した。
今なんて? 私で良かったって?
「山内が仕事出来るおかげで、俺はサッカー部の問題に時間を割けるし、混乱しなくて済んでるよ」
「あ……」
ありがとう、と言わなきゃいけないのに! 
大好きな人に言われるのは最高に嬉しい。私は顔を赤くして下を向く。呼吸の仕方も分からなくなるほど暖かい体液で満たされていた。甘くて淡い、ソーダのような軽やかな想いが胸いっぱいに広がっていった。



学園祭まであと少しと迫っても、私は最強だった。琉平と過ごす時間のおかげですべてやる気に満ちて、仕事も楽しかった。しかし一つ気掛かりな事がある。サッカー部の問題は完全に彼に任せているのだ。
「サッカー部の方は?」と聞いても、「まあ……大丈夫だと思う」と答えられる。琉平はほぼ毎日あの勇吾と話しているようだったが、ストレスなく出来ているのだろうか。私は完全に忘れていて、配慮が足りない?
不安だ。琉平にこれ以上負担をかけてはいけない。苦手な勇吾とちゃんと対峙できることを見せれば、琉平がもっと私を必要としてくれるかもしれないから。
学園祭実行委員の控室に戻ると、琉平が机に突っ伏して静かな寝息を立てていた。起こさないように慎重に上から毛布をかける。
今私の手が空いているから、何か手伝ってあげたい。
ふと目の前の用紙に目を向ける。サッカー部の有志の明細書だ。もしかして、先生と話がついたのか……。『今後の話し合いの日程』も書かれている。こんなにも頑張ってくれていたなんて。やっぱり私は力になれてなかった。これからは積極的にサッカー部のことにも関わらないと。
閉じられた目に被さる柔らかそうなまつ毛に触れたくなる衝動を抑えて、心で固く誓った。



残念なことに、琉平がキャンパスを持って歩くところを最近見かけていない。学園祭実行委員の控室に入ることも少なくて、私は寂しかった。この間、「サッカー部の件、私もやりたい」と言ったら、戸惑いつつも笑顔で「ありがとう」と返してくれた。私は男嫌いを払拭するかのごとく積極的に関わっていたのだ。
この行事が終われば、琉平との接点はほとんどなくなってしまう。そしたら二度と話せずに卒業……あと一回でいいから「山内で良かった」と言ってもらいたいのにな。できたらあの綺麗な手で私の絵を描いてもらいたいし。
私は家庭科部の進行を確認した後、グラウンドまで歩いた。いつもはそこに彼がいて、一人で絵を描いているのを知っている。今日は前と違って、話しかけられる自信があった。
琉平だ!……と思ったら勇吾も一緒だった。
サッカー部の活動を見ながら手を動かす琉平。
何故かすごく楽しそう……。背が高く筋肉質で目立つ勇吾と、細く引き締まっていてスタイルのいい琉平がすごく遠い存在に見える。あの中には入れない。私はちょっとだけ今切ない。
険悪じゃなかった、上手く話が進んでいることを喜ぶべきなのに……
いや、それならこっちも学園祭を私と琉平にとって青春の一ページにするんだ。
話せなかったが、夜は琉平の方からメールが来た。
『明日は部屋に行くよ。ここ最近行けてなくてごめん。山内がこっちに関わってくれて、事が上手く運んでる。本当にありがとう』
それを見てまた心にすぐ温もりが広がる。私のことを忘れないでいてくれたのだ。押し上げられるような恋心と共に眠りについた。私の心の中は前よりずっと単純で雄弁になっていた。



サッカー部のことを改めて尋ねたのは、学園祭まであと三日と迫った時だ。
「琉平、サッカー部のやつGOサインが出て良かったね。今日先生から聞いたから」
「ああ、何とか通ったよ」
「最初はやめさせるつもりだったのに、どうして聞くことにしたの?」
琉平は飲んでいたカプチーノを置いた。
「じゃがバター、あるメンバーの父さんが好きな食べ物らしい」
「サッカー部のメンバーの?」
「うん。そのお父さん、癌で余命半年なんだって」
「病気ってこと?」
琉平が黙って頷く。
「それで最後にどうしても自分たちが販売したじゃがバター食べてもらいたかったんだ。その要求を部長の寺山が全部引き受けた」
「そう……なんだ……」
「まあ、そいつは『最後にどうしても』って寺山に相談して、寺山がなんとかするって思ったそうだ」
私は何も言い返せなくて、押し黙った。
「俺って単純って思った?」
「え?」
琉平が私の顔を覗き込む。
「自分でも最初はそんな個人的な事情で簡単に引き受けられないって思ったよ。でも……寺山がさ、すごい必死なんだ。他人のことなのにそんなに全力なんだって思って……意外といいやつだと思った。二人で話してとりあえず先生にはわかってもらえたよ。まあ、先生が冷静になったのは山内のおかげだと思うけど」
「そっか……じゃあ良かったね」
私の心の奥に張り付いた恋心がパラパラと舞い降りて、溢れて止まらなかった。
どうしてこんなに素敵なのだろう。事情を真剣に話す姿も、はにかんで笑う顔も、人の思いに突き動かされる優しい性格も……全部好きだ。
「ありがとな」
「え?」
「前も言ったけど、山内で助かったよ。勇吾のことも、お前は話がしやすいし、仕事もできるし。感謝しきれない」
どうして私はこんな……。
今、琉平が私の一番欲しかった言葉を言ってくれて間違いなく満足だ。でも、そこは着地点ではない。私は強欲なことに、心からこの男の全てが欲しいのだ。彼と関わって、強くもなったし、欲張りにもなっている。
「琉平」
私は差し込むように話しかける。
「学園祭の後、大事な話があるんだけどいい? 片付けとか全部終わって、この部屋に戻ったら」
「いいよ」
「ありがとう」
本当は今すぐにでも聞いて欲しい。どれだけ君が好きで、ずっと心が揺さぶられているのかを……。でもそれはまだ、大事な日はまとめて大事な日にしたいから!



「彼女みたいじゃーん」と委員会のメンバーに言われ、琉平は間違いなく迷惑そうな顔をしていなかった。それは断言できる。だから絶対大丈夫だと不思議な自信が沸いていた。
『部屋に午後七時に』という約束。
片付けが終わって私は急いで琉平のもとへ向かう。多分彼は今、サッカー部と話が終わるか、もう少しかかるか……のところではないだろうか。
私は緊張するより、新たな喜びが沸々と沸き起こっていた。想いを伝えて、一歩踏み出すだけでいい。それが先に繋がっていく。私は体を弾ませ、実行委員控室に戻った。
あれ……? もう琉平の姿がある?
琉平は目の前の誰かと楽しそうに話していた。女の子かもと思って急に心音が速まった。
どうしよう……誰かが先に告白してたら……と不安になりながらおもむろに中を覗き込んだ。
いたのはサッカー部の部長、勇吾だった。
あ、なんだ。てか、部外者はここにいてはダメだけど? まったく……
中に入ろうとドアノブに手をかけて私は硬直した。
勇吾が琉平の唇に唇を重ねた。琉平は派手に払いのけることも押すこともしない。勇吾が少しだけ角度を変え、一回啄んで離れる。その時、何かを直接口で伝えた。
琉平は顔を下に向け、目を泳がせた。すると勇吾が頬に手を添え、そのままゆっくり抱きしめた。
私はその光景を見て、息をするのを忘れていた。
どういうこと? まさか。でも。

勇吾が琉平にもう一度何かを伝えると、琉平はじわじわと顔を赤くした。また二人の唇が合わさる。今度は少し長めに重ね……離した後、琉平は勇吾に優しく笑いかけ、頬にキスをした。
また恥ずかしそうに背けた。長いまつ毛の奥の澄んだ目が目の前の人物を捉えていた。
勇吾の表情はこちらからはよく見えない。しかし、全部わかった……。

私は急いでその場を離れた。ふとこちらを振り返った勇吾と目が合いそうになったのだ。駆け足で階段を降り、人がまばらにしかいない校内を飛び出る。
数メートル行った場所で、私はようやくちゃんと呼吸をした。棒のような足も小刻みに動くまでには回復した。
数分前の光景。
鮮やかな映画となって何度も私の頭を駆け巡っている。ここに来て、困惑とは別の感情が心を支配した。
あれはどう見ても“そういうもの”、私が琉平と望んでいたものだ。
片想いしている人間の表情なんか、穴があくほど見ているし、全部記憶する。
琉平は“好きな人”に、あんな顔をするのだ。私も今まで見たことがないようなあんなに嬉しそうで幸せに満ち溢れた表情……。

勇吾といつそんなに距離が縮まったか? とか、男同士なのになんで? とか細かいことは今はどうでもいいよ。

ただ私は猛烈に悲しかった。
あの柔らかそうな赤い唇にキスして、白い頬に触れていた……。そこは特権だ。
“琉平が人のものとなった。”

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