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オッサンとは、抽象的で相対的なもの

先日、社外の方とのある雑談で耳にした会話がこちらです。

「え、次の所長が女性?大丈夫?」
「後輩の○○君が2週間も産休とったよ、信じられる?お前ただの配偶者だろ?ってね。俺らの時代からするとありえないよ」

私のWifeが聞いたらブチギレて、ちゃぶ台返しするであろう発言です。
ダイバーシティインクルージョンを掲げる令和の時代において、大きな看板をぶら下げる会社員でも、古い価値観を持つ人がまだいます。
びっくり。街でイリオモテヤマネコを見つけた気持ちになりました。

このような発言、10年前なら普通だったかもしれません。
社会の浄化力は中学生の肌のターンオーバーを凌駕する目覚ましいものです。特にここ最近、政界、芸能界、サッカーなどのスポーツ界では、急速におっさんが強制退場させられている気がします。バイネームで記載すると角が立つので控えますが、皆さんも1人は思い浮かぶと思います。
社会を蝕む「オッサン(※)」とは、どのような人でしょうか。
※強調する意味で、カタカナ表記します

オッサンは抽象的で相対的

老害という言葉で一括りにできないほど、オッサンは奥深い存在です。「オッサン」は、年齢や経験、仕事の成果とは無関係に、若者との価値観のズレで定義される抽象的な概念です。
若い人と考え方にズレが生じ、若い人に自己開示されなくなり、若い人から見てオッサンなら、それはオッサンなんだと思います。

つまり、オッサンは非常に抽象的で相対的なもの
加齢=オッサンではないのです。むしろ、経験や年齢を重ねても柔軟で包容力のある人は、同世代のオッサンと比較して相対的な若さがグンと上がるように思います。
オッサンかどうかは周囲が決めるものですが、オッサンは得てして無自覚になります。なぜなら、オッサンはオッサンと言ってもらう相手がいないからです。言わせないのです。

オッサンになればなるほど自分で承認欲求を満たすことが難しくなり、昔話や自慢話、説教に走るのでしょう。
これは負のオッサンスパイラルです。

オッサンは他者を受け入れる努力を怠り、自分の価値観にしがみ傾向にあります。オッサンは自分自身を守るために、なるべくしてオッサンになっているのです。

加齢=オッサンではないものの、加齢するほどにオッサンが増えることは事実だと思います。同世代でオッサンが増殖するほど、思考が若々しく、柔軟な思考の持ち主である年配の方は同世代を圧倒することができます。
時代に合わせて自分を更新することが、生き残る鍵です。

各界からオッサンが強制退場させらているのは、外部環境の変化に対応するの圧力が大きいからでしょう。
オッサンは脱オッサンしないと生き残れないのです。

個人的にも、20代後半ではありますが油断するとオッサン化しがちだと感じています。ですが、「オッサン化してたら教えて」と周りに頼むのは逆効果。自分で気をつけるしかありません。

とりとめのない話ですが、味わい深いオッサン化についての話でした。

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