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『自分らしくいこう』 第1回 自分らしくあることって?~ 自分の「あるがまま」を進化させて、自分らしく生きていく~

 はじめまして。マーサ(薄井昌子)です。
私は、5人兄弟の上から2番目(兄と弟3人)で男の中で育ち、学校は中学~大学まで女子校。
10年間バスケットボールで鍛えた気力は今も健在です。2023年は60歳になって、3回も転びましたが、転び方が旨かったのか?厚みに守られたのか?傷一つおわずに済みました。でも痛い!2024年は「転ばずにいこう!」です。皆さんもね!
 マーサの自己紹介の詳細はこちら。マーサを知っていただけるとうれしいです。
 
『自分らしくいこう』をテーマに、今月からコラムを書きます。毎月アップしていきますので、皆さん楽しみにしていてください。

 「自分らしさ」「自分らしくあること」って、どんなことなんでしょう。自分が感じる自分らしさだから、多くは自分の主観なのかもしれません。しかし、目の前のことに一生懸命になって取り組んでいるつもりでも「あなたらしくない」なんて言われたことはないですか?自分が知る「自分らしさ」と、周囲が見ている「自分らしさ」がずれている時、ちょっと苦しかったり、はっとしたりしませんか。「自分らしさ」はなかなか深いテーマです。
第1回は私がなぜこのことをテーマにしたのかを、私の人生を少し紹介しながら、お話ししたいと思います。

 『自分らしくいこう』をテーマにしようと思い立ったルーツは、小学6年生に遡ります。私は5人兄弟の上から2番目で、兄と弟3人の男兄弟の中で育ち、相当おてんばでした。
小学4年生にして自分の将来が心配になり、両親に「女子校に行かせてほしい」と懇願したんです。女子校に行けば、自分も「おしとやかになれる」と思っていました。ガリガリと勉強し、合格した女子校から入学前に送られてきた創立者(女性故人)の話が刻まれたレコードの中で、私の心に深く残った言葉が「らしくあれ」でした。

 中学~大学まで、私は10年間バスケットをやってきました。私が中学1年生の時の高校3年生の先輩は、高校女子バスケット界では有名な憧れの選手たちでした。中学生ながらに、先輩方の築いた伝統を受け継ぐ者として私自身もバスケに励んでいました。この延長線上で、大学でもバスケットを続けていて、大学2年の時はインターカレッジにも出場して、「全国大会の夢」も果たしました。まさに、自分らしく頑張っていたんです。しかし、その結果、私は大学4年の時には、「1つでも大学バスケの順位を上げたい。下げてはならない。」という想いから、下級生を怒鳴り散らす不機嫌なキャプテンになっていました。監督はキャプテンの私をスタメンから外して、代わりに下級生をスタメン起用しました。
 最後の大会で、試合の負けが決まると、今までベンチにいたメンバーも監督の計らいで試合に出ます。私がその時に決意したのは、共にコートに立つメンバーのためにシュートチャンスを作ること。ただひたすらにそのために動きました。シュートをした初心者のチームメイトを観て、ベンチも湧きに湧きました。もう勝敗には関係無いところで、皆のはじける笑顔が見れて、チームが一つになり、最後のゲームが終わりました。私が心から願っていたのは、大好きなバスケをこんな風に皆と心を合わせてやっていくことだったと実感しました。ベンチから控え室に下がるとき、同学年でスタメンの副キャプテンが通り過ぎざまに、小さな声で言った言葉が、60歳になった今も心に刺さっています。「最初からそうすればよかったのに」。その時の私は聞こえなかったふりをしましたが、はっとして、気づけました。私は自分らしさを完全に見失っていたんだと。この時の体験は、その後の人生で私らしくいるための大事なことを、教えてくれました。

自分らしさとは、「あるがまま」といい替えることができますが、「今のままの自分でいい」「独りよがりでいい」ということではないと思います。自分の頭で考えて、心で感じて、試行錯誤して、時には転んでけがもする。これを繰り返し、年齢を重ね、人生のさいごの時に、「自分らしく生きてこれたのかな・・・」と総括的に感じることなのかもしれません。だから私もまだまだ「自分らしさ」の途中です。人生100年時代に、まだまだ60歳。自分自身の心が上向き、自分も周りの人たちもハッピーな気分にできる「自分らしさ」に、これからも進化させていきたいです。

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