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ドランヴァロ・メルキゼデク『フラワー・オブ・ライフ』にて

文字文化に言及する記述が第1巻pp.201-203にあります。

 アトランティス人たちは、彼らの脳の機能のおかげで完璧な記憶を保持していました。自分たちに起こったことは何でも憶えていました。しかも彼らの記憶はトランスパーソナル(超個人的)なものでした。つまり一人の人が憶えたことは、種族全員の記憶となったのです。オーストラリアのアボリジニの人々は今もこの種の記憶力を維持しています。アボリジニの一人に起こったことは、それを望む者なら誰でも同じように追体験できます。もしアボリジニが今この部屋にいたとしたら、その人は自分の体験を、地上のあらゆる場所にいる同じ種族の仲間たちに伝えていることになります。
 もうおわかりでしょうが、彼らは自分自身と切り離されていない第1意識レベルにあるのです。私たちは第2意識レベルにあり、自分自身と大きく分断されています。……

――p.201 トランスパーソナルでホログラフィックな第1意識レベルの記憶力

『トートの42の書』では、転落の後、アトランティス人がエジプトに入って、すでに完璧な記憶を体験することがなくなってから文字がもたらされたと記しています。実際、世界に文字を導入したのはトートその人だったとエジプトの記録にもはっきり書かれています。これが完璧な「転落」をもたらす最後の一押しとなり、記憶へのアクセス方法を変化させたことで私たちを第1意識レベルから放り出して、完全に第2意識レベルへと至らしめたのです。それは私たちの運命を決定しました。
 書くという訓練は、私たちの頭部の眉毛より上の部分を発達させることになりました。単に書くという行為が導入されただけで、認識する現実の数多くの要因が変化したのです。今の私たちの記憶の入手方法では、どんなものであれ自分で入り込んでいって、ほしいと思った情報を符号とともに引っ張りあげてこなければなりません。事実、私たちは特定の眼の動きぬきにしては何かを憶えることすらできないのです。私たちの眼は、記憶があふれ出てくる時に特定の動きをします。エジプト人の記憶システムは、転落の前と比べてかなり異なっていました。この記憶力の変化をオシリスの物語になぞらえてみると、エジプト人たちはみずからを断片に分割した段階に入っており、自身は肉体の内に存在していて、「現実リアリティ」の他の部分とは切り離されていると考えていたことがわかります。この分離の感覚はもちろん、いかにして人間が生きるかということに関する、数多くの側面を変化させることになりました。

――pp.202-203 第2意識レベルを生み出した文字の導入

オーストラリア先住民(アボリジニ)には、完璧な記憶力があるため、書き記す文字を発明する必要がなかったのです。

以上、言語学的制約から自由になるために。