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荒野はなぜヘブライの原点なのか

ヘブライ人とは、今日でこそイスラエル民族の人々を指す呼称ですが、ヘブライという語が何に由来するのかは分かっていない状況にはあります。
彼らは捕囚後にユダヤ人と呼ばれるだけでなく、族長ヤコヴの子孫としてイスラエルとも呼ばれます。しかし、ヘブライ人とも呼ばれることもあるのですが、このヘブライとはいったい何のことでしょうか。

この「ヘブライ」つまり「イヴリー」の語が何に由来するかについては諸説が唱えられているものの、「端に生きる者」というニュアンスがあることも認められています。また、「横断する者」の意味があることからユーフラテスを渡ったアブラムとその子孫を言うのではないか、あるいはノアの曽孫であるエベル以降の子孫を指すとも言われます。

他方で聖書の用例からすると、この言葉に人類の二つの生活様式、定住と非定住の意味を含んで、非常に深いものがあります。
それは以下にみる通りに、人の生き方、また考え方の二つの異なりを指し示してもいると言えるのです。その概念はキリストの弟子たちによって繰り返されていることからすると、人としての生き方を象徴していることにもなるでしょう。

さて、聖書教の担い手であり続けたイスラエル=ユダヤの源流は族長たちにあり、創世記は『ヘブライ人アブラム』と呼んで、元来が非定住の遊牧民に源を発していることを知らせています。その場面は、アブラムがユーフラテスの彼方から同行するように求めていた甥のロトが一家財産ともに捕われてしまったことを告げられてところで、創世記筆者はアブラムを「イブリーのアブラム」と呼んでいるのですが、そこは聖書中で「ヘブライ人」の初出箇所でもあります。(創世記14:13)

そこで彼を敢えて「イヴリー」と記した創世記の筆者には、甥のロトとの対照を意図していたことでしょう。
なぜなら、その時までにロトはいつの間にかソドムの街に住む定住者となっていたからで、その以前にはアブラムと一か所には居られないほど多くの家畜を抱えて遊牧生活を送っていたはずであったのです。
つまり、ロトは「イブリー」としての生活を止めてしまっていたのであり、その原因には、ロトの妻、あのソドムを振り返って塩の柱と化してしまった彼の連れ合いがカナンの都市生活者であったか、あるいは、それを愛する人物であったのでしょう。
一方のアブラムは、遊牧民らしい果敢さでロトの救出に赴く決意を固めます。その場面で創世記の「ヤハウェスト」と今日呼ばれる筆者の一人は、わざわざのようにその場面で『ヘブライ人アブラム』と記し、そこに都市に住まない勇敢な遊牧民が、親族救出の確固たる覚悟を懐いた風情を漂わせているのです。

確かにロトもアブラムと共にユーフラテスを渡ったということでは「イヴリー」であったと言えそうです。ヘブライ語でユーフラテスの西側を「エベル カンナハル」と呼ぶこともあるのですが、しかし、ロトが捕えられてしまったところで、筆者ヤハウェストが『ヘブライ人アブラム』と呼び、ロトにはそうしないどのような理由があったでしょうか。

それを考えると「イヴリー」とは単に土地を「横断し」、大河を渡った「川向うの」者という以上の意味、つまり依然として都市生活者でなかったアブラム指す意味があることになるでしょう。神から『約束の地』を賜るのはアブラムではなく、その子孫であるはずでしたから、キリストの弟子も『アブラハムには足の幅ほども土地が与えられなかった』と述べています。(使徒7:5)
しかし、一時期ロトは都市に定住していたのであり、彼は神との契約から外れてしまったようにも見えます。

アブラム、つまり後の族長アブラハムについては、明らかにその父テラハが遊牧民であり、「テラハ」とは「子山羊」を意味し、二人の妻を同時に持って、それぞれの子らが互いに婚姻関係を結ぶという、遊牧民特有の家族構成を見せます。
アブラムの妻となったのは、母違いの妹であり、それは後に「自分の妹」と称して夫婦に危機を自らもたらす原因を作っていた様が創世記に記されているところにも明らかです。
(当時のエシュヌンナ法典やヌジ文書によれば、必ずしも遊牧民でなくても妻を二人同時に持つ習慣があり、それは族長ヤコヴに姉妹二人を娶らせたカラン定住のアブラハムの実家の扱いにも見えています)

父テラハのとき、一家は南メソポタミアの都市ウルの近郊に居たとされますが、当時には、都市生活者と牧畜や狩猟非定住者との間には、相互供給関係があったことが知られています。
つまり、定住者は灌漑農耕に携わりつつ、余剰収穫から分業体制を発達させ、工業製品をも造り出していました。
その一方で、狩猟また牧畜を生業とする非定住者は、牧草を追って移動を続けながら時折に都市に接近して、双方の産物を交換し、互いの必要を満たしていました。
農産物や工業品を、遊牧民は自分たちの乳製品や羊毛などを元手に入手するのです。

それでも、これら人類の二つの生活様式の間には、文化的に大きな違いがあったことは、出土する食器などの物品の傾向の違いにも表れていると考古学は告げています。

メソポタミアの都市の多くは、城壁で囲まれた城市であり、当然人口密度が高くなり、繁華な日常が内部を支配します。

人々は日々の生活に追われ、儲けを求めて実利に聡く、うまく立ち回る方法を考案しつつ生業のために一喜一憂して過ごす内に、一定の人格に固定され始めてゆきます。それは『この世』が形作る人格であり、そこで成長する間に受ける間断のない影響により、基本的な性格までもが形作られてゆくものです。それが一度形成されてしまうと、なかなか変えることができません。

都市では、人同士の交流が盛んで、他愛もない出来事が繰り返され、人々のゴシップを含む情報が行き交い、忙しく新し物好きで、何かと流行が起っては廃れてゆく場でもあります。快楽傾向が強く、競争や争いが絶えず、人が多いので性的堕落に陥り易い面もあります。

人間の持つアダムからの『罪』が、人がひしめき合って生活する場ではどうしても問題も起こり易くもなるでしょう。そこで権力の介入の必要も大きくなるのは避けられません。
人々は権力者に不承不承にも従い、時には頼りにもして、生きるために生きる労働と快楽の日々を重ねて過ごしますが、それが当たり前であって、それ以外の事柄は思考の外側に押し退けてしまいます。ただ、人の死に面して一生の虚しさを感じては、死後の世界を説く宗教に慰めを得るばかりで、この世の一生そのものに疑問を抱くことは稀なことです。(伝道の書7:2)
つまり、都市定住生活とは「俗世」そのものと言えましょう。

対して、遊牧や狩猟のような非定住生活では、普段出会う人は限られており、しかも移動することで、深い関係に発展することは稀で、物事はほとんど変わらず、何かが流行することもありません。
放牧の間は、広い場所に在って思索を行うに適する、というより、有り余る時間はそうせざるを得ないほどです。幾らかの繁忙期を除いて、生計を立てるためにあくせくと時に追われることはないからです。

静かに、自分という存在について、また存在させた神について考える時間は豊富にあり、他の人や権力からの圧力が感じられる機会はめったになく、戦争や騒擾に巻き込まれることも、流行病も移動で避けることもできます。
時に、家畜泥棒や肉食獣と闘い、自分の財産を守る必要はあるにしても、生計がまったく脅かされるまでを憂う必要もまずないことだったでしょう。この点では、同じ非定住とはいえ山野を駆け巡り、日毎の獲物を必要とする狩猟民とも異なり、遊牧生活では、よほど鷹揚な気質を形成していたでしょう。

こうして、農耕定住者と牧畜移動生活の間には、環境に大きな違いが生じ、それは人の考え方から人格にまで影響を与えていたのです。

都市生活者からすれば、非定住者は埃っぽくて垢抜けない野暮な存在ではあり、現にエジプト人はベトウィンと共に食事することを避けていました。
エジプト人は彼らを「アヴァール」と呼びましたが、それは「世の端に生きる者」というような意味であったそうです。
この「アヴァール」がセム語の「イヴリー」ではないかとも考えられているとのことですが、確かに都市生活者からすれば、遊牧民は「端に生きる者」に見えたことでしょう。
ですが、荒野の環境は「俗」というものから人を引き離し、自然に考え深い人格を培う環境といえます。

一方で都市生活では、特に都市の数々がニムロデのような帝王に支配されるようになると、そこはまさに「この世」らしく、権力の支配する場、悪魔が人間を誘惑して招いた世界となってゆき、現在までに連なる人間社会の原形がそこに見えます。
聖書が語るように、『この世は邪悪な者の配下にある』のであれば、荒野に暮らすイヴリーの環境は、この世の端に在って、悪魔の支配から一歩離れた生き方を可能としてことでしょう。(ヨハネ第一5:19)

アブラムやおそらくはその父テラハに話し掛けた荒野の神「エル・シャッダイ」(全能の神とも)は、高い尖塔を備えた街々の、家内安全、五穀豊穣、商売繁盛など、信者が求める目先の欲得や人生の成功を請け合う俗的な「ご利益信仰」の偶像の神々とは異なり、何も無い空間から語る神として、あらゆる人々を清める聖い神、その偉大な価値に気付く人々に『約束の地』を示し、そこからエデンで語られた『女の裔』を紡ぎ出すために荒野のヘブライ人アブラムに契約を持ちかけたのでしょう。その目的は他の様々な神々に勝って意義深くまた崇高です。

アブラムにとって事の初めでは、自分の子孫が広い土地を所有し、繁栄して民となるという申し出に動かされたのかも知れず、あるいは聖なる神に畏敬も感じてその誘いに応じ、長い旅路を行く生涯を受け入れたのかも知れません。
それでも彼は、自分と契約を交わそうとする神が『全地を裁く、公正な方』であることを知っていることを、ソドムとゴモラの滅ぼしにロトを気遣って異議を唱えたところに見せており、一方で都市の神々の道徳性を信用していないところを、サライには妹であると言わせたところに表れていました。

彼の自分の神への信頼性は、子供を持たない時に約束の地に向けて出発したところに明らかであり、以後イサクを得るまでに25年を費やし、その後も孫の代まで異国人の中で天幕生活の居留者であり続けるとしても、その神との契約を信じ続けて生涯を終えています。

後代の使徒パウロは、アブラハムに至るまでの信仰の人々を挙げて『これらの人々は、信仰を抱いて死を迎えた。約束されたものを手に入れなかったが、遥かにそれを見て喜びの声を上げ、自分たちが地上では異国の者であり、仮住まいの者であると公に言い表した』と述べ、それら信仰の人々が『この世』に対しては「仮住まいの寄留者」であったことに注意を向けます。(ヘブライ11:13)

『この世』は神から離れ落ち、『邪悪な者の支配下にある』との聖書の基本的な観点は、神とこの世とが折り合えるものではない事を明らかにします。
エデンの園以来、『顔に汗してパンを食べ、最後は土に帰る』という空虚さと、倫理不全の『罪』にまとわれた人間社会の悪の横行、いつ襲い掛かるとも知れない様々な害悪の中で、人は救済を必要とし、また求めてきたので、諸々の宗教は死後の安寧を説いては慰めを与えようとしてきたものです。

しかし、それらは『あなたがたは死ぬことはない』と請合い、禁断の木の実を取らせた悪魔のなだめの言葉のようにしかなっていません。まさしく、人は『土に帰る』のであり、創造の過程を逆にたどり無に帰するのです。そこではいったい誰が天に召されるものでしょうか。
ある人は「人には魂があるが動物にはない」として、人は死後も神の恩寵に与ると信じるかも知れませんけれども、ソロモン王はこう言うのです。

『人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行きつく。すべては塵から成った。すべては塵に帰る』。(伝道の書3:19-20)
では聖書教に死者の希望はないのかと言えば、死後の意識ではなく、誰もが受ける「復活」にあると教えるのがヘブライの伝統であり、「復活」こそはほとんどの宗教とは異なる概念で、創造の神にしてはじめて可能な死者への扱いであり、しかも不公平がありません。「復活」が信じられないというなら、その人は神が天地万物を創造したことを本当には信じてはいないのでしょう。(ヨハネ11:23-24)

「死後の世界」などという「まやかしに慰め」を受けるこの空虚な『この世』は、創造の神の意図した世界ではなく、それゆえにもイエス・キリストは『天に於けるように、地にも御心が為されますように』と祈るよう教えられているのであり、それはまさしく地には神のみ心が為されていないから、というほかありません。(マタイ6:10)
またパウロも、神が『すべてのものをキリストに服させたにも関わらず、しかし、いまだに、すべてのものがこの方に従っている様子を見ていない』と書いています。(ヘブライ2:8)
やはり「この世」の主は今日まで悪魔であり続け、その支配下にある人類には日毎の苦役が課せられた隷属に置かれたままというべきでしょう。

このように、『この世』に対する聖書の観点は明らかであり、それはあの『バベル』、人々が神の意に反して集合して定住し、ニムロデによって帝国化された都市文明が端緒であり、現在までに高度化され人々を苦難のシステムに押し込めた目の前にある「俗世」がその姿であるのです。

そこで使徒ペテロは、キリストに信仰を抱いた人々に向け、手紙の冒頭でこのように呼びかけます。
『各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ』。『愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世では旅人であり寄留者であるのだから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい』。(ペテロ第一1:1・2:15)
これは彼らがこの世に在っても同化されていないことを示すものといえます。聖書の教えの基礎は、アダムが陥って『罪』のままに形作られた『この世』の精神や生き方に染まるべきではないところにあります。
ですから、『世の友となろうとする者は、神と敵対することを知らないのか』と、イエスの弟であるヤコヴも言う通り、聖書の全巻に通じるほどに、神の側に着こうとする者にとって『この世』での生活スタイルには『異国の寄留者』のような仮住まいの意識が培われることは明らかです。(ヤコブ4:4)
使徒ヨハネもこう書きました。
『世と世にあるものとを愛していてはならない。もし、世を愛する者があれば、父の愛はその人のうちにはない』。(ヨハネ第一2:15)

まさに、『ヘブライ人アブラム』との一言に込められた意義は、繁華な都市文明の中心ではなく、人影の稀な荒野でのゆったりとした時間の流れの中に思索を深める生き方を含んでいるので、そこに荒野の神エル・シャッダイの語りかける精神的背景が備わっていたことでしょう。

後にイスラエルが『約束の地』カナンに定住し、イヴリーとしての生活を終えても、彼らの精神の土台は、「俗な世」にはなく、「聖なる荒野」に在り続けるべきでしたが、それは実際に遊牧生活を送らねばならないわけではありません。
この点では、『ロトの妻を思い出せ』とのイエスの言葉に深い意味があるでしょう。『この世の終り』に際して、人は何を愛しているのでしょうか。
『その心のあるところにあなたの宝もある』のであれば、古代のイヴリーの生活様式から、その神髄に倣うことはできることでしょう。

この世の中から出て生活することは現代では難しく、この世の傾向をまったく避けるとすればそれは『世から出てしまわなければならないことになる』とパウロも言う通り、まず出来ない事であり、また出たからといって人の内にある『罪』の傾向を避けられるわけでもありません。(コリント第一5:10)

しかし、バプテストのヨハネが『荒野で叫ぶ声』となり、エルサレムに壮麗な神殿をさえ擁し、イスラエルの諸都市に定住しているユダヤ人に向かって、『主の道筋を真っ直ぐにせよ』とキリストの到来について、何も無い「荒野」という原点から備えさせたように、人は生活の仕方に関わりなく『この世の習わし』から距離を置く精神態度を持つことは現在も可能です。

アブラハムの子孫をエジプトの苦役、まさに『この世』の隷属から荒野に導き出した神は、その荒野という環境の中で、非常に重要な生活上の教訓を与えようとしていました。それは彼らの人格に影響するものとなるべき一つの習慣であり、神の側に着くべき人々の生き方と、心の在り方とを会得させるための実に見事な教育となったのです。

神は、その教訓のためにまた奇跡をイスラエルに見せることになります。


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