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古典は無駄?必要?

 唐突になりますが、古典って必要だと思いますか?

 なんでいきなりこの話題かって、先日abemaTVで取り上げてたんですよね。ひろゆきさん、吉野先生、ICUの先生など、さまざまな人が議論してました。そこで、ひろゆきさんが、「将来古典って使わないっすよね、学校教育は限られてるわけだから、お金とか、経済とかの話した方が良くないっすか?」って述べられてました。ICUの先生は、真っ向から反対の立場で熱弁してたんですけど、吉野先生なんかは、ひろゆきさんに押されて、「いらないかもな…笑」って。

 僕は、もちろんひろゆきさんのおっしゃることもわかるんです。確かに、古典って将来使う場面そうそうないし、それなら、将来役に立つ知識を子供達に与えたらいいんじゃないかって。

 ただ、全面的には賛成できないんですよ。むしろその考え方って視野が狭くなってないかなって思うんです。

 というのも、今話題になってる、斎藤幸平さんの、「人新世の資本論」を読んだんですが、地球環境って実はやばいところまできてるみたいなんですよ。最近やけにSDGsとか、エシカル消費よく聞くし、そうした動きに大企業までもが取り組んでますよね。一昔前まで、「環境問題なんて存在しない」「地球変遷のサイクルの一つだ」みたいな論調(トランプさんのような)が、割と主流だったじゃないですか。

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 でも、それが実は違うらしいということが、数十年前から科学的にわかってきてしまったらしいんですよ。つまり、近年何度も聞く、何十年に一度の大災害、気温上昇、恐ろしい山火事、、、こうしたものが実は自然現象でなく、人間が作り出した人為的なものだということが。

 まあ、考えてみればそうですよね。地球は有限なんですよ、僕たちが出すゴミを無限に受け止める四次元ポケットじゃないんです。でも、僕たち人間は、経済成長し続ける。それも指数関数的な。そりゃ「これ以上いい加減にしろよ」って、地球怒りますよね。

 ごめんなさい、そろそろ古典の話に戻しますね

 ひろゆきさんの主張って、今の経済システムとか、社会の価値観を前提にしている話だと思うんですよ。確かに、今はお金とか、金融とかの知識が生きる世界なのかもしれません。

 でも、今後どうなるかわからないと思うんです。環境問題を例に取りましたけど、成長のために成長する社会とか、経済至上主義、もっといってしまえば、この資本主義システムにがたがきているのではないかと。

 別の観点で言えば、一時間目「お金」、2時間目「金融」、3時間目「経済」。そんな教育を受けた子供たち、僕は少し怖いなって思ってしまいます。

 教育は単に勉強だけでなく、人を作ることと同義だと思うんです。つまり、どんな教育をしたいかは、どんな子供達を育てたいか、それと同じことなんじゃないかと。

 環境問題だけじゃなく、それこそ歯止めが効かない格差の拡大など、これからの世の中は、僕たちが思っている以上に深刻だと思います。新しい社会のあり方や、幸せの価値観を、捉え直さなければいけない時期に、僕らはきてると思うんです。

 そんな変化を必要とする時期に、今の社会システムを温存させるような、金融やお金の話を、子供達に本当にするべきなんでしょうか。彼らには、これからぶつかるであろう、未来の深刻な社会問題に挑んでもらわなければいけないわけですよね。子供たちこそ、未来の可能性だと、僕は思うんですよ。

 僕は古典いいんじゃないかなって立場です。別に必ずやれってほど、ICUの先生ほどの熱はないけど。

 古典をやると、「割と現代みたいに恋愛してたんだな」とか、「今は!でおしまいだけど、昔は係結びしなきゃいけないんだ」とか、歴史の幅を学べますよね。今「ふつう」だと自明視していることに、メスが入れられますよね。

 それに、将来何が役に立つかなんて、わからないし。役に立つかわからないけど、やってみる、今は頑張ってみる、僕はそれくらい余裕のある社会であって欲しいですね。


#abemaTV #ひろゆき #人新生の資本論#古典#環境

 

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