マガジン

  • 遠泳と潜水

    もし、ふたりの書き手が同一のテーマに対し、思い思いに思考を巡らせ、文章を綴っていったとき、 それぞれが異なる価値観で巡らせた思考や考察の末、”誰かに宛てる”事で初めて意味を持ち、時に共鳴し、時に相反する可能性を持つ場合、それは、内容以上に行為そのものに価値があると考えているのであるが、例えば読んでくれる読者が、書き手の二人が気づかないことを、客観的に見つめ、あなたなりに昇華し、解釈してくれるのであれば、そこには、書き手だけでは決して生み得ぬ価値が生まれると考えている。これは書き手2人と観測者である読者の、3人の物語である。

最近の記事

光と闇の続き

真の昏さの記憶があるなら、 その最初の記憶は、高校のプラネタリウムの漆黒か。 校舎の屋上にあった、昭和48年製の五島プラネタリウム。 非常灯もなく、全ての照明を落とすると、真の闇がそこにあった。 そのプラネタリウムの空にある微かな星の灯り光が 目が慣れてゆくにつれ、強烈な輝きに変わってゆくことに驚かされた。 人工の自然の中で、プラネタリウムは、最も人工的なもので、それにもかかわらず、本当の星空以上の星空がそこにあり、その原版の星の一つ一つの穴を職人が穿っていたのかと想像

    • 光と闇

      この2か月ほど、状況が日々変わり、日常も激変して。政策の道筋も見えない。誰もが日常が追い付けていない。そんな気がする。 情報が無い中で人々の思考と憶測だけが肥大化してゆく。 自らの命にかかわる時、人は、ここまで思考を広げ、また狭めてゆくのかと思う。 何かを書こうとして、どうしても今の評論になりがちで どれだけ、その世界に浸っているかを気づかされる。。 作家が「現状を無きものとして、現在という物語を進めてゆくのが 難しい」と書いていたことを、を唐突に理解した。。 ***

      • 未視感と夢の記憶。

        全く、本人以外、意味が解らないかもしれないが。 「夢を見ている時にだけ思い出せる記憶」がある。 それは夢の中で行った場所や、見た景色、夢の中で起きたイベントの記憶だ。 目覚めている時には思い出せない、ただ、夢見ている時だけは、それまでに見た夢の土地を渡り歩ける。 あの土地に行ったな、あの場所は恐ろしい。あの通学路の途中に入り込んだ街はトルコ風だった。 それはアメリカのモーテルだったり、なぞの研究所のパイプ伝いだったり 薄暗いダンジョンだったり…。(※悪夢の割合は高い)

        • 記号と感覚

          「赤と青/あなたと私の差異について/言葉と感覚」 いただいた、ブログを見て、まずは驚いてしまった。 なぜかと言えば、一番最初に書こうとして、やめてしまった話題が赤信号の色の話だったからだ。だから、あなたの文章が信号の青色の話から始まった時は、思わず、可笑しくなってしまった。 前回、私が書きだした文章は、ざっとこんな感じで…。 ****** 子供の頃、横断歩道に立つたび、赤信号の赤色は、皆も同じ赤色に見えているのだろうか?と疑っていた。ワタシが、赤だと認識している色は、他

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        • 遠泳と潜水
          9本

        記事

          海の底で本に出会う。

          「遠泳と潜水/図書館/ドアをノックする音」 今までの人生で、 自分の限界に挑戦すべく、独り山に登ったことはあるだろうか。 新しい知見を得たく、旅に出たことはあるだろうか。 私は、山登りも、旅行の経験もあるが、 しかし、そこで気づかされたのは、自分という枠の強固さでもあった。 今回「同じ事象に対して、互いにブログを交換してみませんか。」と提案されたとき、不意に頭に浮かんだのは「遠泳と潜水」という言葉だった。 私の中に、あてのない遠泳に独り出る勇気は無いし、独り深い海を潜

          海の底で本に出会う。