宸筆の勅書義貞に下さるる事(『太平記』巻20の3)

1、口語による書き下し文

日を経て越後勢、已に越前の河合に著きければ、義貞の勢弥(いよいよ)強大に成りて、足羽城(あすはのじょう)を拉(とりひし)がん事、隻手(せきしゅ)の中(うち)にありと、皆掌(たなごころ)をさす思いをなせり。げにも尾張の守高経(たかつね)の義を守る心は奪いがたしといえども、纔(わずか)なる平城(ひらじょう)に三百余騎にて楯篭り、敵三万余騎を四方に受けて、篭鳥(ろうちょう)の雲を恋い、涸魚(かくぎょ)の水を求むる如くなれば、何(いつ)までの命をか此の世の中に残すらんと、敵は是れを欺いて勇み、御方は是れに弱りて悲しめり。既に来(きたる)二十一日には、黒丸の城を攻めらるべしとて、堀り溝をうめん為に、うめ草三万余荷(よか)を、国中の人夫に持ち寄せさせ、持楯(もちだて)三千余帖(よちょう)をはぎ立てて、様々の攻支度(せめしたく)をせられける処に、芳野(よしの)殿より勅使を立てられて仰せられけるは、「義興(よしおき)・顕信(あきのぶ)敗軍の労兵を率(そっ)して、八幡山(やはたやま)に楯篭る処に、洛中の逆徒数を尽して是れを囲む。城中已に食乏しゅうして兵皆疲る。然りといえども、北国の上洛近きにあるべしと聞きて、士卒(じそつ)梅酸(ばいさん)の渇(かつ)を忍ぶ者なり。進発(しんばつ)若し延引せしめば、官軍の没落疑い有るべからず。天下の安危只此の一挙にあり。早其の堺の合戦を閣(さしおい)て、京都の征戦を専(もっぱら)にすべし。」と仰せられて、御宸筆(ごしんぴつ)の勅書(ちょくじょ)をぞ下されける。義貞朝臣(あそん)勅書を拝見して、源平両家の武臣、代々大功ありと云えども、直(ぢき)に宸筆の勅書を下されたる例(れい)未だ聞ざる所なり。是れ当家超涯の面目なり。此の時命を軽んぜずんば、正に何れの時をか期(ご)すべきとて、足羽(あすは)の合戦を閣(さしお)かれて、先ず京都の進発(しんぱつ)をぞいそがれける。

2、原文

宸筆勅書被下於義貞事
日を経て越後勢、已に越前の河合に著ければ、義貞の勢弥強大に成て、足羽城を拉がん事、隻手の中にありと、皆掌をさす思をなせり。げにも尾張守高経の義を守る心は奪がたしといへ共、纔なる平城に三百余騎にて楯篭り、敵三万余騎を四方に受て、篭鳥の雲を恋ひ、涸魚の水を求る如くなれば、何までの命をか此世の中に残すらんと、敵は是を欺て勇み、御方は是に弱て悲めり。既に来二十一日には、黒丸の城を攻らるべしとて、堀溝をうめん為に、うめ草三万余荷を、国中の人夫に持寄させ、持楯三千余帖をはぎ立て、様々の攻支度をせられける処に、芳野殿より勅使を立られて仰られけるは、「義興・顕信敗軍の労兵を率して、八幡山に楯篭る処に、洛中の逆徒数を尽して是を囲む。城中已に食乏して兵皆疲る。然といへ共、北国の上洛近にあるべしと聞て、士卒梅酸の渇を忍ぶ者也。進発若延引せしめば、官軍の没落疑有べからず。天下の安危只此一挙にあり。早其堺の合戦を閣て、京都の征戦を専にすべし。」と仰られて、御宸筆の勅書をぞ下されける。義貞朝臣勅書を拝見して、源平両家の武臣、代々大功ありと云共、直に宸筆の勅書を下されたる例未聞所也。是当家超涯の面目也。此時命を軽ぜずんば、正に何れの時をか期すべきとて、足羽の合戦を閣かれて、先京都の進発をぞいそがれける。

3、読み仮名付き

宸筆(しんぴつの)勅書(ちよくじよ)被下於義貞事(こと)
日を経(へ)て越後勢(ゑちごぜい)、已(すで)に越前の河合に著(つき)ければ、義貞の勢弥(いよいよ)強大(かうだい)に成(なり)て、足羽城(あすはのじやう)を拉(とりひし)がん事、隻手(せきしゆ)の中(うち)にありと、皆掌(たなごころ)をさす思(おもひ)をなせり。げにも尾張(をはりの)守(かみ)高経(たかつね)の義を守る心は奪(うばひ)がたしといへ共(ども)、纔(わづか)なる平城(ひらじやう)に三百(さんびやく)余騎(よき)にて楯篭(たてごも)り、敵三万(さんまん)余騎(よき)を四方(しはう)に受(うけ)て、篭鳥(ろうてう)の雲を恋ひ、涸魚(かくぎよ)の水を求(もとむ)る如くなれば、何(いつ)までの命をか此(この)世の中に残すらんと、敵は是(これ)を欺(あざむい)て勇(いさ)み、御方(みかた)は是(これ)に弱(よわり)て悲(かなし)めり。既(すで)に来(きたる)二十一日には、黒丸(くろまる)の城を攻(せめ)らるべしとて、堀溝(ほりみぞ)をうめん為に、うめ草三万(さんまん)余荷(よか)を、国中の人夫(にんぶ)に持寄(もちよせ)させ、持楯(もちだて)三千(さんぜん)余帖(よてふ)をはぎ立(たて)て、様々の攻支度(せめしたく)をせられける処に、芳野(よしの)殿(どの)より勅使を立(たて)られて仰(おほせ)られけるは、「義興(よしおき)・顕信(あきのぶ)敗軍の労兵を率(そつ)して、八幡山(やはたやま)に楯篭(たてこも)る処に、洛中(らくちゆう)の逆徒(ぎやくと)数を尽(つく)して是(これ)を囲(かこ)む。城中(じやうちゆう)已(すで)に食乏(とぼしう)して兵皆疲る。然(しかり)といへ共(ども)、北国の上洛(しやうらく)近(ちかき)にあるべしと聞(きき)て、士卒(じそつ)梅酸(ばいさん)の渇(かつ)を忍ぶ者也(なり)。進発(しんばつ)若(もし)延引せしめば、官軍(くわんぐん)の没落疑有(うたがひある)べからず。天下(てんが)の安危(あんき)只此(この)一挙(いつきよ)にあり。早其堺(そのさかひ)の合戦を閣(さしおい)て、京都の征戦を専(もつぱら)にすべし。」と仰(おほせ)られて、御宸筆(ごしんぴつ)の勅書(ちよくじよ)をぞ下(くだ)されける。義貞(よしさだ)朝臣(あそん)勅書を拝見して、源平両家(りやうけ)の武臣、代々(だいだい)大功ありと云共(いへども)、直(ぢき)に宸筆(しんぴつ)の勅書を下されたる例(れい)未聞(いまだきかざる)所也(なり)。是(これ)当家超涯(てうがい)の面目(めんぼく)也(なり)。此(この)時命を軽(かろん)ぜずんば、正に何れの時をか期(ご)すべきとて、足羽(あすは)の合戦を閣(さしお)かれて、先(まづ)京都の進発(しんぱつ)をぞいそがれける。

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