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三浦芳聖伝 52、大本神諭と三浦芳聖(串呂哲学研究ノート№174)

大本神諭と三浦芳聖

1、土居靖都氏から入手した大本神諭

第一期の修行期間が残り少なくなった昭和28年(1953年)3月18日、三浦芳聖は、大審院検事で後に検事をやめて出口王仁三郎の弟子となり、大本教の信徒となった土井靖都氏(当時は大長老)から、

大正8年(1919年)1月27日に出たと言われる下記の「大本神諭お筆先」を見せられ、書き写させて貰ったと述べています。(右スミの行数字は便宜上附したものです。)

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 現はれて間もなく隠るる西の空   二日の月は上弦の       1
 利鎌の如き鋭鉾を         暫し隠して武蔵野の      2
 草木も靡く時津風         時を松風梅ヶ香の       3
 薫る小さき神の森に        三五の月は澄渡り       4
 谷の戸開けて鶯の         声も長閑な足御代の      5
 竹の園生の清くして        功績も太く村肝の       6
 心の奥は朗らかに         皇大神に捧げ奉りし真心の   7
 千歳の鶴の替玉は         仕へて誉れを酉の年      8
 四十四度の紀元節         みろくの神代の初春ぞ     9
 正しき友の寄り集む        雄々しき清き活動に                  10
 助けの神と表はれて        雲井に高き高松の                      11
 八重の玉垣いと赤き        心の色は日月の                          12
 光に擬ふ尉と姥          鶴は千年亀は万年                      13
 東邦朔の九千年          栄え三浦の皇統家は                  14
 日夜久睦じく神国の        神代の姿備はりて                      15
 三千世界の太平を         松竹梅の経綸ぞよ                      16
 辛酉の紀元節           四四十六の花の君                      17
 世の立替立直し          凡夫の事も菊の年                      18
 九月八日のこの仕組        天津国玉国津御魂                      19
 石凝姥の神御魂          金銀龍の神馬の魂                      20
 高天原に納まりて         天下泰平千秋万歳万々歳           21
 七福神の楽遊び          豊受の神の豊国の                      22
 主と現れ真寸鏡                                                                                        23

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この「大本神諭お筆先」の中に、8~9行目「仕へて誉れを酉の年、四十四度の紀元節、みろくの神代の初春ぞ」、17行「辛酉の紀元節」、18行「世の立替立直し」とあるので、

大本教では、皇紀元年の辛酉年を第一回目の紀元節とし、44度目の紀元節は、60年×43=2580年で、この酉の年は、皇紀2580年の大正10年(1921年)2月11日の紀元節だと考えて、「みろくの神代=世の建て替え立て直し」が、2年後の大正10年(1921年)2月11日に来るとして世直し運動をしたと思われます。

8~9行目「仕へて誉れを酉の年、四十四度の紀元節、みろくの神代の初春ぞ」、14行目「栄え三浦の皇統家は」、18行目「世の立替立直し」が、第一次大本事件の不敬罪の起因になったと思われます。

4行目の「三五の月は澄渡り」から大本教の信者であった中野與之助によって「三五教(あなないきょう)」が出現したのだと推察します。『ウィキペディア』三五教

2、栄え三浦の皇統家

「世の建て替え立て直し」は、政府当局者から見れば、一種の「革命」「謀反」ですので、大本教の内偵を進め、上記の「大本神諭お筆先」を入手し、分析した結果、文中に「栄え三浦の皇統家は」の一句があり、

現皇室以外に「皇統家」があるかのように疑われたので、不敬罪と新聞紙法違反を根拠に事件となったと思われます。もちろん大本教の教えの中には「栄え三浦の皇統家」の他にも政府当局を刺激する「きわどい表現」が多数あったと思います。

第一次大本事件は、その「世の建て替え立て直し」の辛酉年の紀元節の翌日、大正10年(1921年)2月12日に捜索が開始され、出口王仁三郎と教団幹部が検挙されました。(『ウィキペディア』大本事件

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昭和20年(1945年)8月24日、三浦芳聖が萩村の寓居で賜った「天照大御神の御神諭」の中に、「昭和56年(1981年)2月11日に、神武天皇が即位せし如き状況が世界的規模にて行われる」とあったので、

芳聖は、上記の「大本神諭お筆先」の「四十四度の紀元節、みろくの神代の初春」は、60年×44=2640年で、皇紀2640年(昭和56年)2月11日であると解釈し、

また、17行目の「四四十六の花の君」は、大正8年(1919年)当時数えの16才であった「三浦芳聖」の事であり、

 「栄え三浦の皇統家」は、三浦芳聖家の事であると考えて、神風串呂と共にこの「大本神諭お筆先」を公表しています。

*コラム・超世志のここだけの話
 皇紀2640年(昭和56年)2月11日に、「弥勒の神代」は実現しませんでしたが、日本神界の御神意を伺い知る事は出来たのではないでしょうか。
 「なぜ、弥勒の神代は実現しなかったのですか?」・・・はい、それは、私たちがあの世で誓った「約束」を忘れてしまったからです。
 テレビジョン、観光旅行、上級学校への進学、電化製品、自動車、グルメ、ゴルフ、レジャー、お酒、ビール、ウイスキー、その他の見栄や欲望に捕らわれて、弥勒の神代の実現のため、日本建国の理想実現のため頑張りますと誓ってこの世に出て来た事を忘れてしまったからです。

3、高松3串、弥勒2串の神風串呂

弥勒に関する神風串呂は、『三浦家極秘伝神風串呂第一編』(昭和30年)、『三浦家極秘伝神風串呂第二編』(昭和31年)、『弥勒大菩薩(世界大救世主)出現を立證する神風串呂-元海軍大将山本英輔先生序文』(昭和31年)に詳述されているようです。

横手市弥勒

弥勒(みろく、秋田県横手市杉沢)

今回は、これまでご紹介した「弥勒」に関する神風串呂をご紹介します。

【参照】高遠町弥勒と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№98)

高松3串(2) 小

「高松町」―「三浦芳聖晩年の住所」―「高松」―「高松」―「弥勒」(伊那市高遠町)-「日本平山」-「白髭山」―「弥勒」(横手市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』82頁)

高藤町弥勒

弥勒(みろく、長野県伊那市高遠町長藤)

【参照】八尺鏡野と皇大神宮内宮との神風串呂 (№111)

八尺鏡野内宮弥勒

「八尺鏡野」-「皇大神宮内宮」-「弥勒」(伊那市)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』75頁、現住所に改めた)

【参照】龍子と高遠町弥勒との神風串呂(№107)
「龍子」―「⛩白鬚神社」―「大門」―「弥勒」(伊那市)―「御稜威ヶ原」

静岡市弥勒

弥勒(静岡市葵区)

【参照】坂出市天皇と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂(№105)
「天皇」-「⛩伊弉諾神宮」-「八幡」-「三浦芳聖晩年の住所」-「弥勒」(静岡市)-「八幡」


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情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖の伝記及び三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
 三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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