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三浦芳聖伝 38、崩壊した国体信仰(串呂哲学研究ノート№159)

崩壊した国体信仰

1、夢・幻だった国体信仰

昭和20年(1945年)8月15日、午後、大日本帝国政府がポツダム宣言を受諾して敗戦・降伏を決意し、米軍の無血占領が不可避である事を確認した三浦芳聖は、至上絶対普遍的真理の顕現とまで信じていた日本国体が夢・幻であったと覚り、まったく生きる希望を失い、切腹自裁を決意します。

当時の国体信仰に生きていた日本人が、日本の敗戦・降伏に当たって、どのように考え、行動したかの貴重な資料として掲載しますので、そういう角度からご覧頂きますようお願いします。

眼光紙背に徹して、この記録を読み進めますと、当時の権力中枢が、国体信仰の「この字」もない、国民を洗脳支配する道具くらいにしか考えていなかった事が見えてきます。

巻末に、開戦の詔勅(音声付)と終戦の玉音放送(音声付)を掲載しておきますので、ぜひお聴き下さいますようお願いします。

また、蜷川新の「天皇ー誰が日本民族の主人であるか(レビュー)」を参考資料とし掲載しておきますので、ぜひご一読ください。

我が国は、外国軍に75年間も占領支配され亡国の坂を転がり落ちている現状です。お盆休みを有益に過ごして頂きたいと思います。

2、無条件降伏、断じて有る筈がない!

昭和20年(1945年)8月15日、午後1時ごろ、愛知県宝飯郡萩村の村長、助役等数名の人々が、三浦芳聖の寓居に訪ねて来て、大変興奮した様子で「只今天皇陛下の御放送がありまして、ポツダム宣言を受諾して我が国は無条件降伏だそうです!」と投げ出すように言ったかと思うと声を上げて男泣きに泣きだしました。

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大政翼賛会の元幹部で指導的立場にあった三浦芳聖は、下記のように訓示して村長以下の人々を叱り飛ばしました。

「我が国体上、かかる事は断じてあるべからざる事である。既に沖縄が占領せられたから敵国の民心攪乱のデマ放送だ。村長を始め村の幹部が左様なデマに乗るような事で何とする。畏くも天皇陛下が

皇祖皇宗ノ神靈 上ニ在リ 朕ハ 汝 有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ 祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ 速ニ禍根ヲ芟除シテ 東亞永遠ノ平和ヲ確立シ 以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス 

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と宣戦の大詔を渙発(かんぱつ)あらせられた以上、一億悉く忠死すと雖も此の宇宙絶対の至上命令に直往(ちょくおう)邁進する処に天壌無窮の国体の真生命が躍如として生きるのだ。

原子爆弾が投下されようとソ連が参戦しようと、敵が本土へ上陸しようと只管に東亜永遠の平和の為に聖戦貫徹に直往邁進する時、初めて至誠通信、御詔書に仰せ遊ばされたる『皇祖皇宗ノ神靈 上ニ在リ』即ち天佑神助は必ず降るのである。

宇宙に向かって堂々御宣言遊ばされたる至尊が、上は皇祖皇宗の天佑神助を放棄し、下は忠誠勇武なる臣民への信倚を放棄して無条件降伏するが如き事があり得るか。

若し絶無の事を仮に設けて云わんに、かくの如き事が若しそれありとすれば、天孫降臨以来の天壌無窮の国体はその時滅びるのだ。恐らく皇祖皇宗の神霊は、君は継体の君に非ず、臣も忠烈の臣に非ずとして否定遊ばされるであろう。

至上絶対普遍的真理の顕現で在らせらるる陛下が、左様な御放送を遊ばされる事が断じてある筈がない。デマに乗ぜられては駄目ではないか」

すると村長が「村民が学校の広場に詰めかけているから、役場へ来て村民にその事を話して頂きたい」と懇願したので、芳聖は役場へ行き、集っていた村民に向かって

萩小学校

「皆ラジオで陛下の御放送を聞いたと言うが、然らば今日までに陛下の御声を聞いた事のある者が一人でもあるか!私はラジオが無いから聞かなかったが、左様な事は断じてある筈はない。私は只今から御油署長の伊藤可一警視に電話をかけて確かめるから」

と訓示したあと、やっと通じた電話で無条件降伏を確認すると、芳聖は、その場にいた村民一同と共に、しばしの間嗚咽(おえつ)して泣きました。

3、切腹自裁を決意

三浦芳聖は、目を泣き腫らしたまま、何時しか200人近くも集った村民を前にして、

「天皇陛下に於かせられては、これ以上赤子を殺したく無い、自分は如何様になるとも国民を一人でも救いたいという親心を以てポツダム宣言を受諾遊ばされたのだ。無条件降伏をして、敵国軍が皇土を無血占領して天皇陛下を戦争の最高責任者として俘虜としての侮辱を与えらるる時、我々国民として生きて居る事が出来るか。君辱められば臣死すと云うのが我々三ツ児の魂として教育せられ、之が我々父祖伝来の魂である。

お上は親心を以て皇祖皇宗の御神霊から継体の君に非ずと御否定になる事も御覚悟の上で、赤子に仁愛を垂れさせられたのである。我々臣子の本分として之が甘受出来るものではない。もう一度元に戻して戦わして頂き度いと奏請し奉るが我々国民としての本分と考える。

私は、只今から直ちに愛知県庁へ出頭して東海北陸地方総監に面会し、民意を代表して、もう一度国民が戦わして頂きたいと斉しく仰望しているから、地方総監として直ちに上京奏請の手続きをして頂くよう取り運び度いと思うが諸君のお考えは如何であるか」

という趣旨の演説をした所、村民はみな異口同音に「是非お願いします!」と言って賛同し、反対した人は一人もいませんでした。

三浦芳聖は8月15日、名古屋へ出て、翌日やっと小畑忠良・東海北陸地方総監に会い、声涙共に下って切々と訴えたが、最早どうする事も出来ない事が分かり、警察のお世話になって、17日萩村に帰りました。

しかし、それでも芳聖は、中央の同志が局面を打開してくれる様な気がして期待していましたが、22日、実兄の三浦延治から連絡があり、「わが国の降伏、米軍の無血占領が決定的となった」ことを知らされたので、23日、家族を妻の実弟宅に送り届け、自分は萩の疎開先へ戻って切腹自裁する決意をしました。

(三浦芳聖著『姓名鑑定秘法-神界伝法』8頁~11頁、1955年、要約、読み易くする為、改行、句点を補う等、編集致しました事をお断りします。)

4、開戦の詔書

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天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス

朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ

(中略)

皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

 御 名 御 璽
  昭和十六年十二月八日

5、玉音放送(終戦の詔勅)

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ(後略)

【解説】
(1)朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ・・・開戦の詔書の「天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇」皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ」は偽り(西園寺八郎の子)。
(2)朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ・・・敗戦を受け入れても戦犯として追放されず、今まで通り帝位を保つことが出来る。
(3)堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・戦勝国の属国として屈辱に甘んじて生きることを決意した。

6、誰が日本民族の主人であるか

「天皇―誰が日本民族の主人であるか」(amazon.レビュー)

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1959年に86歳で亡くなった「蜷川 新」という「元」官吏・学者が、戦後「公職追放」されて隠遁生活を送っていた1952年に著した本である。神武以来の「天皇」の歴史とその位置づけを紐解く事でその実態を白日の下に晒し、明治維新以来、そして戦後の「国体」転換以降においてすら日本国民がその「洗脳」から開放されていない「天皇」についての、極めて明快で「民主主義」的意志に満ちた論説である。

「天皇」とは、勿論「現人神」であるはずは無く、又歴史を過去に遡っても「現人神」であった時代など全く存在せず、僅かに天智天皇から始まって藤原氏の実権掌握までのほんの僅かな時期にのみ実質的な「権力」を保持していただけで、更には、全く「倫理」や「道徳」に反する権力闘争や身内での謀略等、どう贔屓目に見ても「国民道徳の鑑」であるような実績も根拠も無い存在であった。

それが明治以降日本国の「元首」として祀り上げられ、更に「帝国主義者」達によって恣意的に「現人神」にまで格上げされ、全国民を侵略戦争へと加担させる精神的支柱となる事で、結果として膨大な数に上る他国の人民、そして自国民に対しても悲惨な被害を蒙らせた。

又、戦時中実質上の「最高権力者」であり、「開戦」や「戦争継続」の「決定者」でもあったにも拘らず、極東軍事裁判では「不当」にも米国の「都合」で戦犯の訴追を免れ、以降は「象徴天皇」という位置づけでその身が保全され、新憲法下で「民主主義国家」となったはずの現在に至るまで、相も変わらず国民を不当な「洗脳」から開放せずに騙し続けているのが「天皇」という存在である。

著者は言う。「この新憲法を無視して、旧憲法と同じような天皇観が、あいもかわらず日本にあって、それを持続する事が正しい思想であるかのように主張する人間が、今日なお多く存在している。不心得な人たちといわねばならぬ。

けだし、そのよって来るところは、古来の日本歴史を、明治以降において誤って解釈したこと、また明治以来の天皇の数多い勅語と、さらに御用歴史家による維新史の誤解曲解とによることが明らかである。それであるから私は、それらの曲解や誤解や虚偽を突き、正しい観念を人民に呼び起こさせることが急務である、と信じるものである。

正に正論である。しかしながら今現在著者のこの主張の明確な「後継者」が見当たらないのが残念である。そして55年も前に著者が正そうとしたその正義の意志も空しく、「曲解」「誤解」「虚偽」をしたり顔で振りまく輩は後を絶たず、それどころか「増殖」し、相変わらず歴史を知らない無知な国民がそれに煽られている。明らかに事態は「悪化」している。

「象徴天皇」を当たり前のように受け入れ、嘘つきどもの空騒ぎに乗せられつつある人達に、一人でも多く読んで、そして「覚醒」して頂きたい本である。

天皇―誰が日本民族の主人であるか (日本語) 単行本(レビュー)


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情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖の伝記及び三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
 三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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