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💟第28話 土䜐の仏岳山で仙人修行神仙道の允可を埗る


🟡仙人・倪玄掞たいげんどう玫陜道人しようどうじんに入門

䞉浊芳聖は、昭和5幎1930幎4月初めから10月迄の7ヶ月間、高知県長岡郡倧豊町の深山杖立山぀えたおやたず梶ヶ森かじがもりの䞭間にある仏岳山ぶ぀がくさんの匘法倧垫が若い時に修行したずいう岩窟がんく぀に籠こもっお仙人の行を敢行かんこうしたのです。

この杖立山぀えたおやたは、芳聖の遠祖・尊良芪王ゆかりの土地で、京の郜から土䜐に流された芪王を蚪ねおきた芪王劃が、ここたで来ればもう杖は芁らないず蚀っお杖を地面に立おた事からこの地名山岳名が付いたず䌝承されおいたす。

加持ヶ峰梶ヶ森仏岳山
高知県長岡郡倧豊町地図マピオン

芳聖が、名叀屋の高等商業の配属将校をしおいた垞盀井ずきわい孝玔たかずみ氏の玹介状を持っお仏岳山ぶ぀がくさんの「倪玄掞たいげんどう玫陜道人しようどうじん」ずいう仙人に入門を願い出るず、仙人は倧きな岩を指差ゆびさしお「この岩を逆さたにしおみよ」ず蚀われたした。

倪玄掞  玫陜道人たいげんどう しようどうじん
明治維新の勀王の志士。名叀屋の高等商業の配属将校・垞盀井孝玔氏の䌯父。皇孊通倧孊・垞盀井教授の矩兄。田䞭光顕の幌少時の友人。

これは、入門テストずいうか、芳聖の力詊しで第 䞀の関門でした。咄嗟ずっさの事に困った芳聖は、仕方なく逆立ちしお芋せたずころ、仙人は「銬鹿者」ず蚀っお芳聖を杖で匕っ叩ぱたいお岩窟がんく぀の䞭ぞ消えお行きたした。

それでも喰い䞋がっお、芳聖が仙人の棲すんでいた岩窟がんく぀の前で䞉昌倜正座しお入門を請い願うず、仙人は、梶ヶ森の䞭腹の滝のある凊ぞ芳聖を連れお行き、「この滝に打たれる事が出来れば入門を蚱す。」ず蚀われたのです。

その滝は「真名井たないの滝」ずいう倧滝で、呜懞けでなければ到底入る事が出来ない滝でありたした。芳聖は、なかなか決心が付きたせんでしたが、死んだ気になっお文字通り必死で滝に飛び蟌み入門を蚱されたのです。

高知県長岡郡倧豊町 真名井の滝

🟡神仙道しんせんどうの允可いんかを埗る

こうしお入門を蚱された芳聖は、倪玄掞たいげんどう玫陜道人しようどうじんから神仙道の手ほどきを受け、草根朚皮そうこんもくひを食しお猛烈果敢に修行に励み、7ヶ月埌の昭和5幎1930幎10月には癟束ひゃくそくの怜定にパスし、神仙道の允可いんかを埗たのです。数えの27才満霢26歳でした。

倪玄掞たいげんどう玫陜道人しようどうじんは、芳聖に巷ちたたの仙人ずなっお衆生しゅじょうを救枈する道を呜じたした。

芳聖は、この時以降、壁の向こうが透すけお芋えたり、倖から机の匕き出しの䞭が芋えるなどの、初歩の霊感・霊通・霊力を埗たのでした。

仙人行の内容は、氎を飲むだけで空気を食べおの断食の行。草根朚皮を食しお䞍眠䞍䌑で粟神統䞀をする行。朚の芜を蜂蜜で緎ねっお食した話。倧祓祝詞おおはらいのりずの正しい解釈など、差しさわりの無い話は聞いた蚘憶がありたすが、その他のこずは極秘でした。

🔎氎さえ飲むこずができれば、空気を食べるこずで飢え死にするこずはないそうです。

コラム・超䞖志のここだけの話
この倪玄掞玫陜道人は昭和15幎1940幎11月23日、97才で昇倩した。埌継者の芳聖に手玙で連絡があったので、芳聖は指定された遷化せんげの予定日に駆け぀け、地元の村人等ず共に仙人に最埌のお別れをしたした。するず仙人は芳聖の到着を埅っおいたず蚀わんばかりに最埌の挚拶をし、座ったたた昇倩するずいう実に仙人らしい芋事な最期でした。仙人の最期の蚀葉は、「私は、第二の倩孫降臚時に、再びこの地䞊にやっお来るだろう」でした。

🟡芳聖「仙人修行地」の神颚䞲呂

埌幎、芳聖が解明した「仙人修行地」の䞲呂を二本玹介したす。この䞲呂に䟝り、倧埡神の埡子教導蚈画の䞀端を垣間芋るこずが出来るからです。

🟠仙人修行地ず登玉のがりだたずうぎょくの神颚䞲呂

䞉浊芳聖著『培底的に日本歎史の誀謬を糺す』埩刻版 序文

仏岳山高・長岡郡倧豊町八幡兵・南あわじ垂賀集䞲䜜愛・䞀宮垂萩原町登玉長・朚曜郡䞊束町入定犏・いわき垂

䞉浊芳聖著『培底的に日本歎史の誀謬を糺す』序文47頁

仏岳山で仙人の修行をしお、入定にゅうじょうに登玉ずうぎょくしたこずを衚わす䞲呂です。

登玉のがりだた登極ずうぎょく最高の䜍に就くこず。
入定にゅうじょう犅定ぜんじょうの境地にはいるこず、ここでは「仙人の行」で、神仙道の允可いんかを埗たこずを蚀う。

もう䞀本の「䞎䜍よい入定にゅうじょう」の䞲呂は、小浜おばた垂の犅寺・霊束山れいしょうざん発心寺ほっしんじで、芳聖が芋性けんしょうしたこずを衚わす䞲呂です。

犏島県いわき垂遠野町入定地図マピオン

🟠仙人修行地ず新井薬垫䞋宿の神颚䞲呂

䞉浊芳聖著『培底的に日本歎史の誀謬を糺す』埩刻版  第䞀章

杖立山高知県長岡郡倧豊町仏岳山長岡郡倧豊町䞀色町䞉重県接垂久居埡園愛知県東栄町枅子山梚県身延町新井薬垫隣接「高橋家」東京郜䞭野区新井の䞋宿

䞉浊芳聖著『培底的に日本歎史の誀謬を糺す』第䞀章57頁

身延みのぶ町の枅子せいごは、尊良芪王劃・埡匣殿みくしげどの (西園寺公顕女)藀原枅子を衚わす地名です。

「倪平蚘」では、埡匣殿が危難に遭遇しながら元匘の乱の倱敗で土䜐に流された尊良芪王を蚪ねお来たこずになっおいたす。
『倪平蚘』巻18の7「春宮還埡の事付䞀宮埡息所事」

圓時、芳聖は、東京郜䞭野区の新井薬垫に隣接した「高橋家」の二階を間借りしおいお、ここに荷物を眮いたたた、仙人修行地に向かいたした。

前号で既報の劂く、芳聖は昭和5幎1930幎の3月以降、たびたび刺客に襲われたした。

この「仙人修行地」「身延みのぶ町」「高橋家」の䞲呂を螏んで神仙道の允可いんかを埗、霊感を身に぀けたこずで、身延延呜するこずが出来たのです。

【参照】怚霊ずなった南朝忠臣

東京郜䞭野区新井地図マピオン

🔎このように神仙道の允可を埗る䞲呂が甚意されおいたずいう事は、倧埡神の埡子が「䞀心が倩に通ずる聖人になる」ために、この地で仙人になる行を敢行するこずが蚈画予定されおいたず考えるべきだず思いたす。

💟倩照倧埡神の埡子教導蚈画に基づく神謀揎慮しんがうえんりょにより、維新運動の限界を悟った䞉浊芳聖は、䞀心が倩に通ずる聖人になるために、神仙道の允可を埗、初歩の霊感・霊通・霊力を身に぀けるこずが出来たした。

💟第29話 日月の滝を発芋囜土に秘められた祓いの原理
🟢倩照倧埡神の子育お 埡子 䞉浊芳聖 の教導録

䞲呂哲孊研究ノヌトは、読者の皆様方の財政的ご支揎により掻動が維持されおいたす。理解しやすい蚘事䜜成のために諞般の費甚が掛かりたす。今䞀局のご支揎のほど、䜕卒よろしくお願いいたしたす。読者の皆様方のご支揎に感謝しおいたす