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三浦芳聖伝 21、日月の滝を発見


日月の滝を発見

1、瀬織津比賣を霊感す

仙人の行を修め神仙道の允可を得た三浦芳聖は、「勤皇維新連盟」「純正日本主義運動全国協議会」等々に関与して、皇国維新運動に邁進まいしんしていた。

昭和6年(1931年)2月11日、芳聖は、熊本に赴任ふにんしていた第六師団長「荒木貞夫中将」に会うため、および熊本の郷軍同志会「大日本護国軍」(創立者は退役陸軍大佐の宇都宮氏)の設立会に参加するため九州に出かけて行った。

郷軍同志会とは、在郷軍人有志で結成された政治結社のことである。

その往路、芳聖は、山陽本線・加古川鉄橋の上で、「瀬織津比賣」を霊感し加古川の上流に高貴な滝があるに違いないと直感した。

加古川鉄橋
兵庫県姫路市(地図マピオン)

2、小戸の阿波岐原を霊感す

そこで、芳聖は、九州からの帰途、山陽本線「加古川駅」で下車して、国鉄「播但線」を北上し、兵庫県加東市滝野町の「闘龍灘」の勝地に「小戸の阿波岐原」を霊感した。

芳聖は、播但線「滝駅」で下車し、闘龍灘の川幅の狭くなっている所(芳聖は、ここを小門の阿波岐原と命名)で寒中禊祓いをし、その日は近くの宿屋に一泊した。

闘龍灘
兵庫県加東市滝野町「闘龍灘」
闘龍灘
兵庫県加東市滝野町「闘龍灘」(地図マピオン)

闘竜灘は、舟運の障害となるため、江戸時代までは上流と下流でそれぞれ一旦荷を下ろし、陸運後再び舟に積み替えて運搬した。このため、両岸の村は中継地として大いに栄えた。明治6年に、当時としてはまだ珍しかったダイナマイトによる岩盤の切削が行われ、船の通る水路が作られた。大正時代には鉄道が開通したことで、加古川の水運は次第に減退し、その後は景勝地として観光客を集めるようになった。(『ウィキペディア』闘竜灘)

3、日月の滝を発見

岩座神

芳聖は、翌日、更に「播但線ばんたんせん」を北上して、兵庫県多可郡多可町加美区岩座神の「千ヶ峰せんがみね」中腹に、高山の末短山ひきやまの末より、佐久那太理さくなだりに、落ち滝つで、「日月の滝」を発見した。

この日は、さすがに寒中であり、この日月の滝にツララが張っていた。

日月の滝
日月の滝(岩座神千ヶ峰中腹、地元では、禊の滝と呼ぶ)

この滝は三段になっていて、地元ではみそぎの滝と呼ばれる。三浦芳聖は、高貴な霊性の人専用の滝で、普通の人は単独では入れない滝であると述べている。

日月の滝は、三浦芳聖が、昭和6年(1931年)2月に発見以来、68回にわたって参篭・禊祓いの水行を敢行した霊地である。芳聖は、快晴の日は瀬戸内海と太平洋が見える場所にあるので「日月の滝」と命名した。

芳聖が、日月の滝を発見した昭和6年(1931年)2月中旬、滝の近くの「卍神光寺」が火事になった直後で、焼け残った柱が燻っていた。

多可町加美区 岩座神(いさりがみ)より
千ヶ峰の南麓、杉原川の支流多田川の最上流域に位置します。千ヶ峰は「仙ヶ峰」とも書き、「神おわす」との山岳信仰により「岩座神いわすわりかみ山」と呼ばれ、後に「いさりがみ」に変化したといわれています。
 また、神光寺の更に奥の山中に塔の石と称する高さ10㍍余りの巨岩があり、信仰の象徴とされています。(多可郡誌)

4、大祓いの原理を秘めた地形

芳聖は、この「日月の滝」から加古川の「闘龍灘」を中継地点として瀬戸内海の「阿波の鳴門」に至る地形は、丁度、大祓詞の後半に出ている祝詞

高山の末短山の末より、佐久那太理に落ち多支つ速川の瀬に坐す、瀬織津比咩と云ふ神、大海原に持ち出でなむ。如此持ち出で往なば、荒潮の潮の八百道の、八潮道の潮の八百会に坐す速開都比咩と云ふ神、持ち可可呑みてむ。如此可可呑みてば、気吹戸主と云ふ神、根の国・底の国に気吹放ちてむ。如此気吹放ちてば、根の国・底の国に坐す速佐須良比咩と云ふ神、持ち佐須良比失ひてむ。

の具象化であり「大祓いの原理」が秘められているので、日月の滝での禊祓いは霊性向上に効果が非常に大きいと述べている。

日月の滝・・・高山の末短山の末より、佐久那太理に落ち多支つ
加古川上流・・速川の瀬に坐す、瀬織津比咩(瀬降津姫、瀬居津姫)
闘龍灘・・・・小門の阿波岐原(伊邪那岐命が禊祓いをされた所)
阿波の鳴門・・速開都比咩、気吹戸主神、速佐須良比咩

昭和10年(1935年)9月10日発行の滝川宗勝著『勅語信仰の体験』(廣文堂書店)の第21章「伊弉諾尊は播州加古川の流域に於て禊祓を遊ばされたり」で、芳聖が霊感で悟ったと同じ内容の事が、古事記や日本書紀、旧事記、播磨風土記などの文献を用いて、詳細に考察されています。

『勅語信仰の体験』は、只今、日本の古本屋で販売中です。

5、日月の滝での最初の禊祓い

昭和6年(1931年)夏、三浦芳聖は、日月の滝に約一ヶ月間参篭し、霊性向上のためと、遠祖「長慶院法皇」の終焉の地に導き給えと、禊祓いの水行を実施した。これが、日月の滝での最初の禊祓いである。

参篭するに当たって、初めの頃は、滝の近くにテントを張って野宿していたが、後には地元の「木原家」(千ヶ峰の麓で岩座神の最奥部の家)に宿泊していた。

6、日月の滝の神風串呂

坂出市天皇と坂井市正善との神風串呂(№50)
「我拝師山」-「八幡」-「天皇」-「甲生」-「大門」-「諏訪」-「日月の滝」-「竜ヶ岳」-「天照」-「大君」-「成生」-「国見岳」-「八幡」-「卍善正寺」-「正善」-「八幡」-「和気町」-「雨晴」

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第二章

御在所山と興国天皇御陵の神風串呂(№61)
「高尾」-「上野」-「岩座神・日月の滝」-「竜王山」-「御在所山」-「興国天皇御陵」-「上野」-「一色」-「三原山」

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第三章

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🔴情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂や三浦芳聖伝の紹介記事のバックナンバーです。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

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串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。