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大人達の「時間あるのは学生のうちだけなんだから〜」と学生からの提案

大学生活も残り半年を切った頃、
以前にも増して言われる言葉がある。
「時間があるのは学生のうちだけなんだから、何かしなよ!」「何もしないまま学生を終えるなんて勿体無い!」
あー煩いうるさい。

皆さんも一度は聞いたことがあるだろうこのセリフ。
今回はその言葉に対する不満と、異議申し立て、そしてそれに代わる文言を探求したいと思う。

※今回は怒りの記事ということで少々口が悪くなっております。気分を悪くされた方がいらしたら申し訳ありません。

なぜムカつくのか。

私はこの言葉を言われるたびに、ほぼ条件反射的にイラッとしていた。
「ハ、何?うるさ」みたいな...
しかし、今回このような場を設けたということで、その反射的嫌悪に自ら足を踏み入れ、その姿をこの目で確かめ、皆さまにお伝えしたいと思う。
クワバラクワバラ。南無阿弥陀仏。

言葉を言葉の通りに考えても深いところまでは行けないので、一先ず言葉自体を分解してみようと思う。
「時間がある」「学生のうちだけなんだから〜」
この二つに分けて考えてみる。

①「時間がある」

これに対してムカつける要素は何か。
それは、暗に「アンタ暇でしょ?」と言われているような気持ちになることではないか。
この言葉を言ってくる人たちは、自分のことを大して知らない遠めの距離感の人間ばかりだ。
そのような人たちが、今私が何をしているか、何が好きで何に打ち込んでいるか、という私の大切な部分を何も知らないくせに、勝手に暇認定をしてくることに憤りを覚えるのではないか。
知らないんだったら想像しろよ。若しくは言うな!

「知らん人からの暇ジャッジ」

これが①に対する怒りポイントだ。

②「学生のうちだけなんだから〜」

こちらのムカつける要素は2点ある。
まず一つ目は、学生側が何て返したらいいのか分からないことだろう。
この言葉は大人の"もう戻れないあの頃への羨ましさ"から来るものだそうだ。
決して学生たちに嫌な思いをさせたいわけではないし、人間誰しもだって楽しかったあの頃を思い出すことはある。私もある。(最近はもっぱら高1,2の3月だ。懐かしい匂いがするから。)
ならば一体どこが悪いのか?
問題はそれを学生たちに向けることなのだ。
では、「どう返したらいいか分からない」ということは具体的にどれだけストレスなのだろうか。
学生側の感じ方は以下の通りだ。


会話とはキャッチボールである。
「学生のうちだけなんだから〜」なんて言う人は100%自分よりも人生の先輩の位置にいる人だ。
そんな上の立場だと感じられる人に、
大人の羨望でドロドロになった触っただけでベタベタするボールを投げられる。
上の人から貰ったボールだから返さなきゃいけない。
でもすっごいベタベタしてて投げ辛いし、このベタベタの成分は大人由来のものだから、下手に気持ち悪がったら雰囲気が悪くなる。
どうしよう、面倒臭いなぁ。どうしよう、、。


と、こんな感じである。
不憫!学生が不憫で仕方ない!
そして当の大人たちは、そのボールがベタベタしていることになんて気付いていない。
先述のように、彼ら彼女らは悪気があってベタベタボールを投げているわけではない。
自分の手がベタベタしているものだから、そのベタベタに気付けないのだ。
ベタベタしてる人同士でボールを投げ合っても、両方ベタベタしてるから分からない。
ベタベタしてない人が「ベタベタしてるよ?」
と伝えるか、
ボールを投げる自分を俯瞰で注意深く見て、
「待ってベタベタしてるじゃん!」と気づくことでしか、そのベタベタは自覚できないのである。

ここまで書くと少し可哀想な気持ちにもなってきそうだが、落ち着いて欲しい。
そんなことはないので。
だって、
彼らには会話のキャッチボールをする意思がないのだから。
ボールのベタベタに気付けなくても、投げ返しやすいコースにボールを投げることはできる。
つまり、「学生のうちだけだよ?」なんて言葉を投げかけたところで、先に何かが続くわけではないことは、さすがのさすがに少し冷静になれば誰でも想像できるだろう。
相手の立場になって考えれば、。

つまり彼ら彼女らは、

独り言を他人に聞かせているだけ。
つまり、対話でもなんでもないのである。

まとめると、②については
・目上の人にベタベタのボールを投げられること
・会話のキャッチボールをする意思が感じられないこと

この2点だ。
うわ、致命的だわ、、。そりゃムカつくわ!

では学生はどうして欲しいのか。

これは中々難しい。
なぜなら、どうもして欲しくないからである。
普通に何も言わないで欲しい。黙ってて欲しい。
しかしそれだと、気に入らないことを扱き下ろして終わるだけのなんの未来も生産性もない、ただの分断になってしまう。
だから、我々はコミュニケーションを放棄してはならない。
理解しようとすることをやめてはならない。
コミュニケーションとは、自分と相手の公約数、若しくは公倍数を探し、やり取りすることだと思っている。
今回の場合だと、相手のベタベタ思想は素数も同然なので公約数などない。素因数分解も秒だ。
よって公倍数を探すのだが、、、。
その中で我々学生がギリ許せるセリフを提案するとすると、

『その学生の年齢よりも、昔の話をする』

とかはどうだろうか。
これであれば、大人たちはお望みの懐かしいトークができるし、学生は今の自分に文句を言われている気分にはならない。
年代が違うため、互いの懐かしい共通点と異なる部分を楽しめる。天才か。
え?大人の羨望要素が抜けてる?
いやだからそれが自慰目的だと言ってるんだ。諦めてくれ!

イカリ、アゲイン

はい。
分断はダメ!などと言って、
大人たちに寄り添った提案をしていたが、イカリが収まっているわけではない。
想像してみて欲しい。

「だって暇でしょ?」

今自分がやっていることを、さも何もしてないみたいに言う、その上から目線の厚顔無恥の決めつけセリフを日常的に言われることを。

ていうか、なんて言って欲しいの?大人たちは。
自慰目的のために学生たちの貴重な時間を蝕むのはやめていただきたい。
もっと今の話と、未来の話をしよう。
私の知らなかった世界を見せてくれよ。

何も大人との会話が嫌いなわけじゃない。寧ろ同世代の中では好む方だとも思う。
彼らには生きてきた時間があるから、私の見えてないものが見えている。
だから、新たな気付きや視点をくれるものは大歓迎だ。
でも、分かってることを分かってない風に言われ、分かってない風の反応をする茶番に一体何の意味があろうか。
いや、意味なんてないのは知っているんだけど。
でもそりゃやりたくないレスなわけで。
本当にガキだと思うが、ガキなので許して欲しい。

ニコニコ笑顔の裏側で確かなイラリ
処世術ではあるが、やはり心は擦り減っていくものだ。

少しの会話で分かったみたいになって、
もっとちゃんと目を見て聞いて欲しい。
一言一言、その人自身を想像して欲しい。
過去のサンプルデータから導き出される人間性なんて、その場での発言なんて、そんな誰かの集合体に頼らないで欲しい。

ずっとベトベトのボールを投げられ続け、その度にニコニコしていた学生からのお願いだ。

自分もいつか大人になって
まあ、23歳って十分大人なんですけど。
友達が「(前略)なぜいつも怒っているの?」
という面接でされた質問に対する彼女の答えが
とても気に入ってる。

「若いからです!」

まだ若いので、怒っていくのだ。

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