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言葉と雑感

言葉なんて無くなってしまえばいいのに

いつからか、そう思うようになった。

・・・・・・

8月が終わる。
最近は少し心に余裕があるらしく、そのおかげでいくつか展示に足を運ぶことができている。

とある展示は、
作者の視点や意図、余白のあたたかさに
思わず目を細めてじっと見つめてしまう様な、
そんな素敵なものだった。
その展示の中の一つに、
World Without Typography
という作品があった。
言葉でなく、イメージで伝える。
そんな世界に心底憧れた。
と同時に、意図は多少違っていても
同じ様なことを考えている人がいることをとても心強く思えた。

一人じゃないって、思いたいのだ。

また別の展示は、
とんでもなく絵が上手な人のものだった。
それは、なんて言うか、
一言で言うと、果てしなかった。
その作品が作者の表したいことをどれだけ表現できているものなのか、私には分からないけど、
大して知識が無く文脈も分からない人間が、
これだけ感銘を受け、想起を促されてしまうのだから、
それはやはり、とてもいい表現なんだと思う。
そんな論文を書いたな。

最近は、そうだな。
自分が精一杯の言葉を尽くして伝えようと試みたことが、
多少伝わらないはおろか、真逆に捉えられてしまうのは結構苦しい。

言葉にするのが恐ろしくなる。

私が表現に触れるために様々な場所へ足を運ぶのは、
見て、感じて、どうしようもない気持ちになってしまうからで、
このままじゃいられないって奮い立ってしまうからで、

これは決して、誰かによって、
どのような意図や意味があるのか
なんてジャッジされて気持ちのいいものではない。

自分が見た景色を、感じた気持ちや思いを、
こうも空虚な言葉に当て嵌められるのは、
なんて言うか、
胸の中がギュルギュルと抗うようで、頭の後ろにモワモワと靄がかかるようで、
それはそれは許容し難い事象なのだ。

そんなことすら、
伝わらないんだけど。

もう草臥れてしまいそうだ。

届く人に届いたらいい。

大切なのはイメージ、そして青。
言葉なんて、なんの役にも立たない。

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