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Your story withが終わった。

SUBARUのCM、
「Your story with」が終わってしまったらしい。

「Your story with」とは、
自動車メーカーのSUBARUが金曜ロードショーの間に放映している、約100秒のハートウォーミングなCMだ。
娘の旅立ちや親とのむずがゆい距離感など、家族をテーマにしたものが多かったように思う。

ところがつい先日、
SUBARUのCMが全て、きっかりカッチリ切り替わっていたのだ。
しかも、「Your story with」と真反対のCMに。
急な方向転換への驚き、これまでのCMが見れない寂しさ、そして新しいCMへの違和感。
感じるところが多くあるため、ひよっ子の私がひよっ子なりに書き記したいと思う。

Your Story with とは

Your story withは、2011年にはじまった、SUBARUのCMだ。
金曜ロードショーの間に放映されていて(他でもやっていたかもしれないが裏取れず)、
キャッチコピーは
「あなたとクルマ、どんな物語がありますか」
このコピーは、開始時から現在まで変わっていない。
描く内容も一貫していて、
生きていく中で少し上手く進めない時、立ち止まった時、切り替わる時、
そんな誰もが経験するであろう、ある瞬間に、
家族や仲間と言葉を交わし、コミュニケーションを取ることで、次の道へ進んでいく。
SUBARUのクルマに乗って。
そんなCMだ。

著名タレントを起用するようなことは無かったし、エンディングはいつだって同じピアノの音からはじまる。
当たり前のように時代が変わる中で、ここまで変わらないのは、広告コミュニケーションの中でももしかしたら珍しいのかな?と思ったりもした。

それだけ、尊いCMだった。

毎週金曜の夜10時頃、
平日の学校や仕事、あるいは家事等、
疲弊したテレビの前の私たちをホッとさせてくれる、そういう映像だった。

Your Story with と 私

何度か言及したように、
Your story withは金曜ロードショーの間に流れるCMだ。
子供は金曜ロードショーを見て育つし、もちろん私もその例外ではなかった。(今の子は分かりません、!)
小学生の頃は毎週正座して観ていたし、中高生の頃だって録画の定番だった。
「今日の金曜ロードショー○○だってよ!」
そんなやりとりを数えきれないほどした。

特に小学4年生の時にやっていたサマーウォーズは台詞を覚えるほど見返していて、その流れで途中のSUBARUのCMのセリフも、実は完璧に覚えてしまっている。

それはこんなCMだった。
不安と迷いを抱えた大人が、それを悟られないように親族に会いに行く。
そこで会った主人公に憧れる甥っ子が放った、
「レーサーはまっすぐ前にか見ないんだって!」という無邪気な一言で霧が晴れ、SUBARUに乗って自分の場所へ帰っていく。
そんなCMだ。

金曜ロードショーという、映画の合間に流れるその100秒の映像は、
CMであるのに、まるで変わらず映画の中にいるような、そんな気持ちにさせてくれた。

ノリのいい音楽に乗せてタレントが踊る刷り込みのようなCMや、訴求内容をこれ見よがしに輝かせたCMの中で、
Your story withが一際輝いて見えたのは言うまでもない。

そして長年このようなCMを流し続けたSUBARUは、SUBARUという企業の根底にある大切な部分を、変わらないものを、
このCMに乗せているのだ。
そう思っていた。

新CM「インプレッサ」

GW中、これも金曜ロードショーの時だったと思う。丁度実家に帰って来た私は、思い出したようにテレビに張り付き、普段は見ない地上波を楽しんでいた。
その時、Subaruの新しいCMが流れた。

https://youtu.be/567SSz58pL8

人のいのちを守るために進化を続ける
SUBARU独自の運転支援システム。
事故が起こる前に防ぐという考え方で、
死亡交通事故ゼロの未来に向けてたもの。

https://sp.subaru.jp/safety/eyesight/

いかがだろうか。
私は何よりもただ、「怖い」と感じた。

耳を刺すようなアラートの音、
焦って急ブレーキを踏む様、
その直後一瞬のブラックアウト。

見たくない、聞きたくない、
そう思ってしまった。

このCMが言いたいこととしては単純明快で、
「子どもを守るならSUBARU」
アイサイトという独自の機能を搭載したぶつからないクルマで、子どもの命を守ろう、というものだ。
それが冒頭のコピーである、
「一つのいのち、一台のSUBARU」に帰結する。
※アイサイトとは

人のいのちを守るために進化を続ける
SUBARU独自の運転支援システム。
事故が起こる前に防ぐという考え方で、
死亡交通事故ゼロの未来に向けてたもの。

https://sp.subaru.jp/safety/eyesight/

分かりやすい。
本当に分かりやすい機能訴求だ。
そう、悲しくなるほどに。

このCMはもはや、
人の恐怖心に付け込んで生活者の注意や興味を引く、という手法を取っているように感じる。
もちろん子どもの命を守るという、ポジディブなニーズに即したものだが、あの分かりやすいが故の直接的すぎる表現方法に対し、
人は否が応でも恐怖を覚える。
制作物のクオリティーこそ異なるものの、
YouTubeで流れてくる脱毛のCMや、目を逸らしたくなるバナー広告と同じようなものだと思う。

人の恐怖心につけ込むことと、インサイトを捉えることは別である、と私は思う。
やっていいことと、よくないことがある。
(残念ながら悪いとは言い切れない)

その"よくないこと"をSUBARUがするとは、
想像もしなかった。
まだブランドが確立されていない企業ではないし、心が無い企業でももちろんない。
何より、Your story withを作り続けたSUBARUがするなんて、、本当に驚いた。

なぜそうなったか

なぜだろうか。
私はSUBARUの人間では無いので本当のことは分からないし、マーケッターでも無いので緻密な調査もできない。
しかし誰しも思いを馳せることはできるので、
憶測でしかない上にふわっとしているが、恐れながら少し考えてみたいと思う。

まず、企業が目指すべき未来のためにコミュニケーションを変えることなんてザラにある。
それが以前と真反対の方向性であることだって珍しくない。
寧ろガラリとイメージを変えるためには、真逆である方がより有効的であるのは想像に難くないと思う。
その前提を踏まえ、
さらに"CMコミュニケーション"という情報のみの中で考えるとすれば、
強烈な機能訴求をしなければならない状況だったのだろう。

状況とは、売上を競合のX社に抜かれてしまったからかもしれないし、偉い人が10年ぶりに変わって企業が目指す先が変わったのかもしれない。
もっと単純な話で、製品が売れてないからかもしれない。

上記はあくまでも想像でしかないし、もっとたくさんの要因が複雑に絡み合っているのだと思う。
そして、その中で多くの人が悩み、時には諦め、進んできたのも確かであろう。

問題とは

企業がガラリとコミュニケーションを変えることが珍しくないのであれば、本件もよくあることなのではないか。
であれば、何が問題だと言うのか。

それはただ一つ。
人の恐怖心に付け込むような表現を、
"SUBARUが" 形にしたことだ。

ゴールを見据えて新しいSUBARUになるのはいい。まして私は株主でも無ければSUBARU車に乗ってもいないから、偉そうなことは言えない。
でも揺るぎない事実として、
ブランドとしてSUBARUの中で積み重ねているのと同じように、私たち生活者の中でも積み上がったSUBARUがいるのだ。
私の中のSUBARUは、
口下手だけど美意識がある、粋なSUBARU
だった。

そんな企業が、
YouTubeの不快な広告をプロが作ったようなものを世に放てば、違和感を覚えるのも無理はないのではないか。

何をするかが意思で、何をしないかが美意識

だと、私は常々思っている。

だから、
機能訴求でもいい。ハートウォーミングじゃなくていい。
だけどせめて、
美意識だけは変わらず携えていて欲しかったのだ。

最後に

ここまで散々書いておいてなんだが、
Your story withは高級なCMだと思う。
それはCMとしての制作費や金曜ロードショーという時間帯の広告媒体費とは関係ない。
ここで言う高級とは、高尚と似ている。
企業が豊かになってはじめて作れるCM、という意味である。

あのようなCMには、企業としての確固たる理念や人格を持ち、そしてそれを世間に伝えようと思えるほど、余裕がある企業しかできない。
なぜなら、上記の訴求方法は売れないからだ。
先のようなCMは、ブランドイメージの向上には繋がっても、即効性という面では機能訴求には明らかに劣る。(あくまでも直接的に売れないと言う意味である)
具体例を挙げるとすれば、生活者がCMを見てWEBサイトにアクセスをして製品購入を検討するかどうか、という違うだろうか。
できるだけ早く、できるだけ多く売りたい時に、悠長に情緒的なコミュニケーションなんてしていられないのだ。

だから、TOYOTAのトヨタイムスは贅沢品なのだ。SUBARUの舵切りを見て思う。

そして改めて、
私たちは豊かで在らねばならない。
そう強く感じた。

同時に、
いつか私が企業のコミュニケーションの転機に携わることになった際、
本件のようなことにならないか、自分の将来を憂う。
売るべきところと打ってはいけないところ。
私も同じことをするのだろうか。
そう思うと、怖くて仕方ない。

※これは、SUBARUのコミュニケーションや「インプレッサ」のCMに関わる人々を批難するようなものではなく、ただ一個人の違和感の言語化として受け取っていただければと思っています。

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