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A Study in Pink

 ピンクという色の美しさを伝えることができたらいいのに。曙のあざやかなサーモンピンク。夕闇に融けていこうとしながら底光りする、青みがかった薔薇色。夜の曇天を稲妻がふかく切り裂くとき、その空が一瞬だけあきらかにするモーヴピンク。青空を背にした満開の桜の、祝福のようなあかるいフラミンゴ色と、その桜の樹に登ったときに見出す、遠くで見るときよりはるかに淡い、白に近いひとひらひとひらのなかに息づく薄紅(そのどちらを、桜色と呼ぶのだろう?)。銀の匙で苺をおしつぶすとき、ミルクのなかに滲み出していくあまい桃色。ケーキの箱にかかったサテンのリボンの、つややかなパステルピンク。大輪の牡丹のマゼンタ、薔薇の薔薇色の無限のヴァリエーション。腕を掻き毟ってしまったあとで思わずはっとして見つめる、花びらを散らしたような内出血のカメリア。
 ピンクが好き、と口にした途端にはじまるたたかいのことを考えている。あなたはピンクが似合うから、とだれかが言うことばのなかに含まれるあきらめのこと、あの子ピンクばっかり着てる、とだれかが言うときの侮蔑のことを。

 私の好きな色がピンクであることを、幼い頃、両親は悪趣味なことだと思っていたようだった。ピンクは内面の豊かさや知性の深さを示す色ではなかった。そう言われたことはないけれど、私はそう理解していた。
 川原できれいな石を見つけると持って帰ると言い出して聞かなかったみたいに、青虫を育てるのが好きだったみたいに、ピンクが好きだっただけなのに。

 服や鞄を選ぶとき、私が不満だったのは、美しいピンクというものが滅多にないことだった。たいがい、色違いの水色や緑はきれいだ(私が水色に情熱を燃やしていないからそう思うのかもしれないが)。だけどピンクは、ピンクならいいだろうと言わんばかりの、けばけばしくて下品なピンクしかない。土産物屋でお守りとして売られているキーホルダーなんかでも、ピンクは「恋愛運」を受け持つことになっているのが不服だった。ローズクォーツの石言葉が愛や恋になっているのも承服できなかった。こんなにきれいなピンクなのに、なんでいちいち恋や愛にかかずらわなければならないのだろう?

 小学校では何度かいじめに遭った。私に与えられた罪状のひとつは、「ピンクが好き」であることだった。そこにはたぶん見えない階級があって、ピンクというのは上流階級の者でなければ身に着けることを許されない色だったのだ。本だけが友達の私はあきらかに学級の最下層に位置付けられていたのだし。私がよく生意気だと言われたのはそういう意味だったろうか。いや、違うのかもしれない。ピンクは、それを身に着けたら誰ひとり断罪されることを免れない、むしろ罪人の色だったのかも。
 ピンクはよほど容姿端麗でないと似合わない色とされ、ピンクを進んで身に着けることはみずからの容姿を美しいと考えていることの現れで――それで、ピンクが好きであることの、あるいは、自分のことをかわいいと思うことの(それが他者からの評価と一致するにしてもしないにしても)、何が悪いのだろう?
 実際のところ、装いとか身だしなみといったものにあの頃は興味がなかったな。ライナスの毛布みたいに、お気に入りのピンクのスカートを毎日身に着けていた。青の方が似合うと親には言われたけれど、私の見た目を見るのは私ではないのだから、私にはどうでもいい。でも装うことが好きでも何も悪いことはない(いまの私は好きだ)。
 私に与えられた罪状は、ほかに「かわいこぶりっ子」「自分のことかわいいと思ってそう」「ちょっとかわいいからって調子に乗ってる」といったものがあったような。クラス一下品であることを自認しているような男の子は、私を見て「俺も『ピンク』、好きだよ」とにやにや笑った。「女の子の色」とされているピンクを「女の子」が好きだと表明することには、「担任の先生の言うことを素直に聞く」みたいなかっこ悪さがあると見なされているのもわかっていた。だけど、「女の子はピンクが好きでなきゃいけない」と同じくらい、「女の子はピンクが好きではいけない」のは不自由で間違っていると思った。それに、担任の先生の言葉なんてその社会ではもう権威でもなんでもなくて、ほんとうの権威はクラスの中心人物である同級生たちだったのだから。

 私が通った中高一貫の女子校は、校則が比較的緩くて、たとえば制服はあったけれど上着や靴や鞄にはほとんど指定がなかった。夏は水色の、冬は紺のセーラー服の上に、生徒たちはいろんな色のカーディガンを羽織った。白や紺や茶色の定番色から、赤や青や緑、黄色に水色に紫まで。毎朝の礼拝の終わり、生徒たちがぞろぞろと礼拝堂を出ていくさまはあざやかな色の波だった。
 私がピンクのカーディガンを着ていくと、友人はひどく暗い顔つきをしてそっぽを向き、よくピンクなんて着られるよね、と聞こえるようにつぶやいた。何年もして、電話口で「どうしていつも嫌がらせばっかりするの?」という何度めかの問いを私が口にすると、彼女は「君がうらやましいから」と答え、私は「そうだね、そうなんだろうと思ってた」と言って電話を切った。それが彼女との最後の会話になった。
 彼女は見えない階級をそこに見ていたのだろうか。私を、ピンクを着ることを許された特権階級として、あるいは見えない掟を破った階級侵犯者として、見ていたのだろうか。
 ピンクが好きなら君も着ればいい、好きじゃないならほっとけばいい、という言葉が空疎に響くのはわかる。この世の空気の中では。

 女の子として見られたくないなら、どうしてそんなに女の子みたいな格好してるの、と言われたのは、共学の大学に入って間もなくのことだった。恋愛に興味がないし、〈女の子〉として見られるのは気持ち悪い、と言って交際を断ったときのことだった。
 大学に入って、「女の子らしい」と言われることに急に嫌気が差した。それまでは平気だった。ピンクが似合っていいね、女の子らしくて、と言われても平気だった。〈女の子〉しかいないのだから〈女の子〉なんていうのは概念上の存在に過ぎず、女の子らしいなんていうのは犬っぽいか猫っぽいかみたいなもの、あるいはクラシックかジャズかロックかフォークかJポップかみたいな無数の選択肢のひとつ、だと思っていた。
 けれど共学の大学に入ったとたん、〈女の子〉というのは現実の存在だと考えられていて、それは〈わたし〉という実存と不可分のものと見なされているということを、殴られるようにして知らされた。ピンクが好きなのは女の子だからで、ピンクが好きなのは女の子としてあるべき資質のひとつで、女の子というのは男の子に愛されるべきもので、女の子がピンクを着るのは女の子としての自己実現のために男の子に愛されるために自分が十全に女の子であることをアピールするためにピンクを着る、ことになっているらしい、というふうにだいたい理解したのだけど、合ってる? あまり自信はない。
 ピンクの服を着ていることは、「男募集中」の看板を首からかけて立っているようなものだったのだろうか、かれらの目には。

 母は私と同じ大学の出身だ。旧態依然としたこの大学が、数十年前にどんなありさまだったかは、想像するだにぞっとする。そんな環境を通り抜けた母が、私にピンクを愛さない娘になってほしいと望んだのもむべなるかなという気はする。そこに彼女の自由はあったのだろう。でも私の自由はそこにはない。

 ピンクの美しさがあなたに伝わらなくてもほんとうはかまわない。ピンクを好きにならなくてかまわない。世界には無限の色があって、それをピンクかピンクじゃないかで切り分けるのもほんとうはナンセンスなことなのかもしれない。ピンクであり赤である色もあれば、ピンクであり紫である色もあり、ピンクでありオレンジである色もあって、全然ピンクじゃない色もあるし、色なんか全然好きじゃなくてもかまわない。それでいい。

文:川野芽生
吉田による紹介:虹色の水晶窟に棲む蜥蜴
鳥居による紹介 :一生かけて文学をやると決めた存在
この記事は2018年11月に文フリ東京で配布した怪獣のフリーペーパー「Quaijiu Free 1」に収録した文の再録です。怪獣歌会アドベントカレンダー15日目の記事でもあります。

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